「戦国自衛隊 女性自衛官死守セヨ」何度も観すぎて
さすがに冷静に観られるようになりましたw
なのでDVDを観て、改めて感じたことを。
今回は完全にネタバレですので、ご注意ください。
まずは「若槻、滝の瞑想」
若槻曹長(鈴木)が滝に打たれるシーンです。
舞台を観た後の感想で、こう書きました。
注目といえば、滝に打たれる若月曹長。
タンクトップ姿の愛理に注目…してたわけじゃないですよw
あそこの若月曹長の決断がそもそもの始まりなわけで
この舞台のテーマにも直結してると思うんです。
なので、どんな経緯で長尾勢に加担することを決めたのか、
堀一尉の言葉には、どんな意味があるのか、
意識を集中して聞いていたのですが、未だ結論は出ていません。
DVDが出たら、再度じっくり観て聴いて、考えたいです。
というわけで、実際に何度も観て聴いて、考えました。
まず最初に気づいたのが、あのシーンって
堀一尉と若槻曹長じゃなくて、堀教官と若槻二士なんですね。
若槻は現在の曹長としての自分ではなく
まだ未熟だったころの、初心に戻って
堀教官なら、なんと答えるかを自問自答していたわけです。
堀教官の教えは、次の2つ。
人の命は地球より重い。
が自衛官は(己の)命より重いものがある。
それは国民を守るという使命である。
自衛官は、いつか銃を撃つ時のためではなく
銃を撃たない未来のために、訓練を積むのだ。
そして、影虎の言葉。
戦の世を終わらせるために、戦をする。
堀教官の2つ目の教えと、影虎の言葉は、相反します。
ですが、平和を望む思いは同じ。
平和を維持するために武力を保持するのか
乱世を終わらせるために武力を行使するのか
その違いです。
若槻は、現在の状況を考え、後者を選択したのです。
文章にしてみると単純なことで、何を今更という気もしますが
劇場で観た時は、若槻の決断が堀教官の教えに
逆らってるように思え、違和感がありました。
でも、そうじゃなかったんですね。
進む道は違えど、堀教官と影虎は
同じ方向を指し示している。
そのことを、若槻は確信したんだと思います。
そして堀教官の1つ目の教え。
以前の感想で、こうも書きました。
死んだはずの砥部が復活したことに、不満の声もあるようですが
隊員の命を犠牲にしてでも、民間人を守りきったことが
若月曹長にとっては、救いになったのではないでしょうか。
まさに堀教官の教えそのものです。
帰還組は、最後に無事帰還しましたが
死守組は、いったい何を死守したのか。
山姥洞の民を含めた、国民を守るという使命。
それを死守したのではないでしょうか。
若槻隊が、長尾勢と敵対したのは私恨じゃないか。
そう捉える人もいるようです。
ですが、自分たちを裏切り、金山を欲する長尾勢から
山姥洞の民を守る、そのために敵対したのだから
自衛隊として間違ってないと、私は考えます。
長くなったのでこの辺で。
千奈美については、また後で書きます。