我々は今や「法」の下で「管理」されるだけの存在ではない。
いつまでも政府の「立法」の下に這いつくばると思ったら大間違いだ。
そもそも、日本は古来から「法家」の国であり、中国の歴史では「秦」がそれに相当する。
だが、秦は2代で敢え無く亡び、聖高祖劉邦(劉兄貴という意味)が建国した法三ヵ条を標榜した「前漢」が建国される。途中、反乱があったものの、前漢、後漢合わせて400余年の統治を保ち、今でも漢民族のイデオロギーの源泉でありつづけてている。
日本は、1955年体制移行、偽りの自由民主主義と高度経済に隠れ、我々の主張はないがしろにされてきた。
... その結晶が「六法」であり、ユダヤ教の400ヵ条の戒律も真っ青の「法律がんじがらめ社会」だ。
日本は古来から「法家」であり、中国で言う「客家」という思想と真っ向から対立する。
「客家」とは血縁を重視し、なおかつ、「食わせてくれる長者の元に集う」というところから、名づけられた。だから、孔子が弟子3000人いたというのは、「長者」「大人」である何よりの証拠でもあった。
ただ飢饉時や腐敗政治が行われると、流民化し、食わせてくれる大将の元へ馳せ参ずるものが多く吸収したものが、政権を握ったに過ぎない。
この背景にあるのは「多くの民を統治する」という前提があり、とても「法律」では縛れないことが分かる。
これを日本に当てはめるとどうか?もはや、「公」の概念など浸透するべき時なのに、いらぬ東電保護の法律ばかり、または、消費税20%を「法」にしようとしている。
果たして「法」それほど尊いのか?
よく、法は空気に例えられる。鳥は空気が無ければ飛べないがスピードを増すごとに邪魔になる。
古代ギリシアでも法と民主主義の共存は4000人が限度という結論がでている。
我々はいずれ、脳内に「法律ICチップ」でも埋め込まれ一生、「管理」されるのだろうか?
あるいは、法や政府が小さくとも秩序と責任を持って行動できるかは我々の決断と行動、
そしてチャンスは今しかない!
いつまでも政府の「立法」の下に這いつくばると思ったら大間違いだ。
そもそも、日本は古来から「法家」の国であり、中国の歴史では「秦」がそれに相当する。
だが、秦は2代で敢え無く亡び、聖高祖劉邦(劉兄貴という意味)が建国した法三ヵ条を標榜した「前漢」が建国される。途中、反乱があったものの、前漢、後漢合わせて400余年の統治を保ち、今でも漢民族のイデオロギーの源泉でありつづけてている。
日本は、1955年体制移行、偽りの自由民主主義と高度経済に隠れ、我々の主張はないがしろにされてきた。
... その結晶が「六法」であり、ユダヤ教の400ヵ条の戒律も真っ青の「法律がんじがらめ社会」だ。
日本は古来から「法家」であり、中国で言う「客家」という思想と真っ向から対立する。
「客家」とは血縁を重視し、なおかつ、「食わせてくれる長者の元に集う」というところから、名づけられた。だから、孔子が弟子3000人いたというのは、「長者」「大人」である何よりの証拠でもあった。
ただ飢饉時や腐敗政治が行われると、流民化し、食わせてくれる大将の元へ馳せ参ずるものが多く吸収したものが、政権を握ったに過ぎない。
この背景にあるのは「多くの民を統治する」という前提があり、とても「法律」では縛れないことが分かる。
これを日本に当てはめるとどうか?もはや、「公」の概念など浸透するべき時なのに、いらぬ東電保護の法律ばかり、または、消費税20%を「法」にしようとしている。
果たして「法」それほど尊いのか?
よく、法は空気に例えられる。鳥は空気が無ければ飛べないがスピードを増すごとに邪魔になる。
古代ギリシアでも法と民主主義の共存は4000人が限度という結論がでている。
我々はいずれ、脳内に「法律ICチップ」でも埋め込まれ一生、「管理」されるのだろうか?
あるいは、法や政府が小さくとも秩序と責任を持って行動できるかは我々の決断と行動、
そしてチャンスは今しかない!