
毎年恒例、11月23日になるとケネデイ暗殺の話題がABCやCNNで特集されるから私も書く。 1963年11月22日、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディはジョンソン副大統領、コナリーテキサス州知事各婦人等とともに、オープンカーに乗り、ダラス市街をパレードをしていた。 しかし、オープンカーがエルム通りを左折した時点でオープンカーのスピードは停止状態になった。 その後、オープンカーは30Km程度に加速したがその直後、まず前方からケネディ大統領の首の真ん中に1発命中し、2発目は背後からケネディ大統領の右肩内側に命中した。 3発目は背後からコナリーテキサス州知事の右ひざに命中、知事は「皆殺しにされる!!」と叫んだが、運転手のシークレット・サービスマンのロイ・ケラーマンとウィリアム・グリアには何も動きはなく、そうこうしているうちに4発目が後方から発砲されたが、これはまったくはずれて跳弾となり、見物人の一人に傷を負わせ、直後、右前方から発射煙が上がると同時に苦しむケネディ大統領の右頭部を吹っ飛ばした。 この時点で、シークレットサービスマンのクリント・ヒルがオープンカーに取りつき、取り乱すジャクリーン夫人を座席に押し込み、そして、全てが終わったかのように急加速して現場を離れた。 パレードルートは前夜変えられていた まさに、3点交差射撃戦術の罠に嵌めるようなもので、射撃する方から見れば七面鳥打ち気分の仕事だったろう。 だが、一体誰がこのような有利な射撃に有利な条件に持っていったか?その権限を持つ者は? それは、アール・カベル、ダラス市長だった。彼は元CIA副長官チャールズ・カベル将軍の実弟であり、キューバ革命後の反攻戦、ピッグス湾侵攻作戦時に、チャールズ・カベル将軍は米軍の介入要請をケネディ大統領に対して半ば脅迫的にせまったが、ケネディは共産国の牽制行動を憂慮しこれを拒絶。結局作戦は失敗、カベル将軍は罷免されるという最悪の結果を招くことになった。 勿論、カベル将軍はケネディを売国奴呼ばわりし、憎むこと甚だしかった。 結果、パレードルート変更など犯罪にも当たらぬ何気ないようにも見えるカベル将軍のちょっとした復讐だったに違いない。