太平洋戦争末期1944年10月、フィリピンレイテ湾上陸作戦「しょう一号作戦」時に、アメリカ空母エンタープライズ所属機が肉薄して撮影した日本海軍空母「瑞鳳」の有名な、悲惨な姿。

既に500kg爆弾を2発、後部甲板に食らって黒い猛炎を吐きながら、それでも戦闘速力30ノットで盆踊り中である。

搭載していた護衛戦闘機の零式艦上戦闘機も度重なるアメリカ軍機の前にバタバタ落とされ、空母の防御性の脆弱

性をもろに出している。

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甲板の迷彩など、搭載機のための標識のラインに邪魔されて、まったく意味をなしていない。

フィリピン派遣のゼロ戦部隊約20機が初めてカミカゼ攻撃を、主に護衛空母や揚陸艦艇に行い、アメリカ軍をパニックに落とし入れた。

この瑞鳳が所属していた、小沢艦隊(空母4隻戦艦2隻主幹)は、レイテ湾からアメリカ機動部隊(ハルゼー大将)の誘い出しに成功したが、肝心の栗田中将率いる戦艦部隊(大和、武蔵、長門、榛名、金剛主幹)が、レイテ湾突入寸前にUターンしてしまい、肝心のパニック状態に陥っていた上陸輸送部隊(マッカーサー元帥指揮下)に砲撃すらせず去っていった。戦後、栗田中将はこのことに関して無言を貫き、終戦日当日、切腹し自決した。

沈んだ艦の水兵たちは艦と運命をともにするか、水面に浮かんでもアメリカ軍の捕虜となることを拒否し、みなフカの餌食となって死んでいった。