ランチは豊園さんへ

 

 

「豊園」

https://www.houen.jp/

 

昨年、店舗移転しました。

 

 

 

 

お店のHPのトップのお薦めが

 

「仙台マーボー焼きそば」

「フカヒレ冷やし中華」

 

 

流石に、3月、冷やし中華は無理なので、「仙台マーボー焼きそば」を注文。

 

(仙台のB級グルメはてなマークはてなマークはてなマーク)

 

 

笑ううさぎいや~

おもったより美味しかった~~~

 

 

 

 
 
羽生結弦さんのサイン
3013年
 
当時高校3年生
 
 
 
 
おそらく、高校3年生
何故かというと
高校の先生が連れてきたとおっしゃっていたから。。。
 
 
「豊園」さん
地元でも人気店みたいで、駐車場は満車。
席も 少し時間をずらしたので、丁度、空席がでたところでした。
 
混んでいるランチタイム
先代(おそらく、、、笑ううさぎ)がレジをされていたんですよね
 
 
お写真をとっていると、ここでも「古いけど、、、」と声をかけられました。
 
せっかくなので、
『羽生さんは何を食べられたんですか?』
 
と、お聞きすると
 
 
「体調が悪くてね、食事してないんだよ」とのこと
「食べれないって言って。車から降りてこなかったんだよね。。。」
 
 
びっくりびっくりビックリマーク
 
(車から降りてこなかったのは、
お食事を出してもらっても、食べれなくて、残したりしたら、申し訳ないと思ったんでしょうね)
 
 
 
 
「ジュースをだしたかな?
食事はしなかったけど、せっかく、来たからって、サインを書いてくれたんだよね」
 
「あの頃、羽生くん、ヒョロっとして、体力無かったでしょ。。」
 
 
と、
その他にも、昔、羽生くんのファンが、東京から、ジャンボタクシーで来たんだよ
とか話をしてくれました。
 
 
 
 
オッドアイ猫当時の羽生くんに思いを馳せました。
ちょっと、胸が締め付けられました。
 
サインの日付は3013年だけ、何月なのかわからないけど
特に、2012ー2013シーズンは体調不良の時が多かったですよね
 
 
 

雪の結晶2012年のGPファイナル

体調が悪かったというのは聞いていたけど、画像でみたのは初めてでした

 

 
 
笑ううさぎ怪我とか、体調不良とかが多かった羽生くんが
単独のアイスショーで、ツアーとか。。。
 
もう、ほんと、信じられない。。泣くうさぎ
(今だに、大丈夫かなぁ...と心配しながら初演をまってるけど・・・笑ううさぎ)
 
 
 
 
泣くうさぎそして、思いの芯は何年たってもぶれない羽生さん
 
 
 
羽生結弦選手のインタビュー、聞き手は浅田舞さん。2011年7月のアイスショー「The ICE」の頃に行われたものから
 
 
 
 
フィギュアスケート男子の羽生結弦選手は3月11日の東日本大震災で被災したことで「すべての部分で感情のレベルが1段階、2段階、上がったかなと思います。喜びであり、哀しみであり、つらさであったり……」と話しています。

 舞 今、スケーターの人ができることって、ショーだとかになるけど、結弦君はどうやって、周囲を元気つけようとか、どういう風に思った?

 羽生 仙台で避難している時は、ボランティアに行きたいなって、東北の選手としてではなくて、一般市民として、仙台市民、宮城県民として、沿岸の方々を助けたいなと思いました。地震がおきて、津波もおきたって情報が全然、入ってこなかったから、まず最初に家の中を片づけなきゃいけなくて、その後、避難所に行ってもまだ、情報とか手に入れる手段がなかったから、一晩過ごして、被害がおこっているのは、宮城県くらいかなと思っていたんですけど、次の日、起きたら、新聞が届いてたんですよ。驚きました。それで、何でこんな風になってんだろうって、もう初めて、テレビの映像を見た時とかは、本当に5日後とかくらいでしたが、現実のものとは思えなかった。自分たちが体験したことが、本当にこういうことになっていたんだってことが、信じられなかった。でも、今は、こうやってスケートを見てもらって、「元気が出たよ」っていう言葉をいただいているので、まず自分がやるべきことはこれなんじゃないかなと思っています。まず、できることを、僕しかできないことをしっかりやる。それをまずはまっとうしたいかなって思います。
 
 
 
トラももさんより
 
 
今季初戦となるネーベルホルン杯で優勝した羽生選手。
彼の実力からいえばこの結果はある意味当然ともいえるものですが、3月に仙台で被災して練習場を失い、生活のリズムも全て変わってしまった。一つの場所で集中して練習ができず、練習場所と時間を確保するためにアイスショーを渡り歩くという生活を送った羽生選手が、シーズン頭にこのような成績を修められたというのは奇跡に近いことです。
羽生選手本人に怪我がなく、ご家族も無事だったのは本当に幸いでしたが、ご自宅も全壊の判定を受けて不安もあるでしょうし、何より感受性の強い彼が震災の時に受けた恐怖とショックは彼に今後もつきまとうことになるでしょう。
最初はスケートをするという気持ちにもなれず、スケートを辞めることも考えたという彼が、会えない辛さという感情を伝えたいと話していたのが印象に残りました。

彼は心に大きな傷を負ったでしょうが、そこからしっかりと立ち上がってみせました。その時に感じた感情や心の揺れを、演技や表現を通して放出しようとしている。
それはフィギュアスケートという競技としても、羽生選手の表現する力にも大きな成長のカギになるでしょうが、彼自身もそれをやりきったと思えた時に人間としてもきっとものすごい成長を遂げるだろうなと思いました。

「この経験をバネに」などというつもりは毛頭ありません。そんな通り一遍のありがちなフォーマットにあてはめられるような規模の災害ではなかったですし、自分も被災した人間の端くれとして、彼が感じた恐怖や不安、極限の状況というのは多少なりとも共感できるものがあるからです。
彼は頭のいい選手ですから、この震災がなくてもきっと自分できちんと考えて大きく成長したと思います。ですがこの経験をしたことで、彼に更に大きな突破口が生まれたのではないかと感じました。
ただ、それはとても危ういものです。今でも当時の話をすると涙ぐんでしまうという彼の心境を察するに、間違った方向に向かってしまうと心を閉ざしてしまったり、逆に前に出て行けなくなる危険もまだあると思います。
ですが彼自身もその突破口が開いたことを自覚して、そこにあえて挑んで行こうとする姿勢を感じるので、このまましっかりと一歩一歩踏みしめて行ってほしいなと思っています。

頑張れ羽生選手!!
 
 
 
 
 
泣くうさぎ信じられないですよね泣
有名〇〇〇なので、URLは貼りません
 
人の心は分からない
何がきっかけになるか わからということでしょうか、、、?
 
他人事ではないかもしれませんね。。。