羽生結弦:祈りのような、歌のような

2016.11.22
槇村さとる=漫画家

 

 

 

 GP(グランプリファイナル)での羽生結弦は衝撃だった。私は、テレビの前で何が起こっているのかよくのみこめずポカンとしていた。

 

 見たことがない。受けとめ切れない。今までの常識が役に立たない。ただ、彼だけ何かが全くちがうのだ、ということだけがわかる。

 

 どうしてこんな離れ技を出現させられるのか理解はできないが、ビンビン伝わるものがある。体も技術も演技も、時間も空間も越えて流れこんでくるのは、祈りのような、歌のようなものだ。

 

 羽生はインタビューでこう答えている。「4歳でフィギュアスケートを始めた時から自分は何も変わってないです」。

 

 4歳、目からビームを出せて、空を飛べると思っていた。のに今、私の頭と体はガチガチだ。小さい時に持った志をブレずに追い続ける彼だから、今でもビームを出せるのだ。自分にブレーキをかけない生き方に、打ちのめされる。

 

 

。。。。。

 

 

羽生君は踊るタイプというより、歌うタイプだなと思います。

技術が高みに到達すると、あとは「歌う」「祈る」「願う」といった領域に行くんじゃないかと思うんですよ。

そういう域に達してしまった。

GPファイナルの羽生君は歌ってましたね~

それまでのフィギュアの枠ではとらえきれないものを観ちゃって、ポカンとしちゃいました。

羽生君は何かを終わらせてしまったんでしょうね

伊藤みどりさんが登場したときに似たものを感じました。

GPファイナルを境に何かが終わり、フィギュアの新しいステージが始まったんだと思います。

 

 


>フィギュアはどんなに踊れてもどんなに跳べても、チャーム(魅力)がなければ成立しない世界
>羽生くんは踊るタイプというより、歌うタイプ
>技術が高みに到達すると、あとは「歌う」「祈る」「願う」といった領域に行くんじゃないか




 

 

 

 

 

 

バレエ関係者が語る羽生結弦とギエム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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