羽生結弦を強引にバッシングする人の「不可解な心理」
そんな羽生に対し、一体どこで前出のように「あざとい」といった妄想を抱く思考になってしまうのだろうか。これまでも羽生は過去に参加したアイスショーや、リンクでの練習後にも整氷作業に参加し、率先して整備したことが幾度もあったはずである。
実際に今から4年ほど前の話になるが、筆者も取材現場において某施設のリンクで練習を終えた羽生の整氷作業をこの目で見た。むしろ模範となるべき行動を素直に「素晴らしい」と褒められず逆に蔑んでしまうなど言語道断であり、甚だ嘆かわしい。同じ日本人として情けなく恥ずかしい限りだ。
それだけではない。羽生が今大会のSP終了直後に他の競技者のトレース(スケート跡)によってできた穴にはまってしまったと明かしたことに加え、全演技終了後にはフリーの前日練習で右足首を捻挫していた事実についても口にすると、一部週刊誌系メディアからの報道も含め、「言い訳」などと批判の声が一斉に飛び交うようになった。
質問されたことに答えたことが「弁明」とは
いろいろな意見があるのはスーパースターゆえに仕方がないのかもしれないが、個人的には羽生の言動には何らおかしなことなどないと考えている。前者のアクシデントが発生した際、取り乱すことなく「氷に嫌われちゃったかな」と冷静さを保ちながら自分に言い聞かせるような言葉を発していたのは印象的で非常に立派だった。
ジャンプのタイミングとしては自他ともに認めるほど完璧なはずだった4回転サルコーが1回転となってしまった要因を終了直後のインタビューで本人が明かすのは、その件に関して質問を受けたのだから至極当然の成り行きであろう。これを「弁明」ととらえることこそ明らかなこじつけであり、むしろ「詭弁」というものである。
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無理やりにでも批判する必要があるのか
スーパースター・羽生結弦だって言いたいことを言ったって別にいいじゃないか――と思う。彼の大会中の言動がまさか人様に何らかの迷惑をかけたわけでもあるまいし、ましてやアスリートとしての尊厳をどこかで踏みにじったわけでもない。そういう意味において今大会はむしろ羽生結弦という稀代のスーパースターが「素」の感情をむき出しにし、本音も露わにした貴重な舞台であったとも筆者は解釈している。
それから最後になるが、一部の週刊誌系メディアの中には世間からの「羽生批判」を煽るかのような論調を展開する記事も見受けられた。これにも強い違和感を覚えざるを得ない。要は「今の日本では羽生批判を許さないような雰囲気になってしまっている」という趣旨の内容であったが、そんなことなどあるまい。特に批判されるべき要素がない羽生をなぜ無理強いでバッシングする必要性があるのか。全く持ってナンセンスだ。
偉大な功績を残し、その行動も人々の模範的な対象となっているアスリートに称賛を送れず逆に蔑む。たとえ一部とはいえ、この羽生結弦に対する過剰なバッシングを見聞きする限り、日本には段々と歪んだ見方をする人たちが増えつつあるという危機感を覚えずにはいられない。
過去記事ですが、書いてくださる方は