羽生選手の印税の寄付の件は
2021/03/11
Number で松原孝臣さんが記事にして下さっています。
大手メディアが書いてくれなった、、、
って、何の事なんだろう
記事の最後の一文
「羽生君はここの、私たちにとっての希望の光です」
「羽生君はここの、私たちにとっての希望の光です。テレビを通じてでも感謝を伝えてくれているなと感じるし、我々も励みになる。そういう意味で希望の光なんです」
震災の日の夜、羽生は夜空の星を希望の光と捉えたという。今、アイスリンク仙台を支える人々は、羽生という星に希望の光を見ているのだ。
羽生結弦と一緒に被災、アイスリンク仙台支配人が今でも「羽生君が希望の光」と語るワケ「自分が勇気をもらいたいだろうに…」
「再開していなかったらスケートをやめていた」。羽生がそう語る原点は、東日本大震災から今年3月で10年を迎える。建物損壊による一時閉鎖、コロナ禍での営業休止にも屈しないリンクを支えていたのは他ならぬ彼だった。
記事中の田中とは、現在、千葉百音ちゃんのコーチをされている田中総司さんの事
《抜粋》
電力供給体制も逼迫する中、アイスリンク仙台がスケーターたちの要望に応える形で営業再開にこぎつけたのは7月24日。後日、リンクに戻った羽生は心から喜んでいた様子だったという。
再開の3日後、羽生と田中は八戸のリンクにいた。田中が当時を振り返る。
自叙伝の印税、数百万円をすべて
「練習の合間、休んでいると『降りた、降りた』と声が聞こえてきました。リンクを覗くと、羽生君が『(4回転)サルコウを降りた』と喜んでいました。『目の前で跳んでみせて』と言ったら跳んで、ちゃんと降りたんです」
既に習得していたトウループに続き2種類目の4回転ジャンプを決めた瞬間だった。
「まだ4回転が1種類くらいの時期でしたが、キャパシティを上げたかったから練習に取り組んでいたのでしょうね。見た瞬間は、『おお、やるな』と素直に思いました」
新たな武器を手にした羽生は世界の頂点を競うスケーターの1人として羽ばたく。'12年には拠点をカナダのトロントに移した。
だが、絆は途切れなかった。
同じ年、羽生から数百万円もの寄付が振り込まれたのだ。自叙伝の印税すべてをあてたものだった。
「事前には聞いていなかったので、いきなり振り込みがあってびっくりしました」
在家は使い途を思案した。リンクを拠点としている複数のクラブの強化にあててみてはどうかと考え、一度コーチたちに打診。すると一様に辞退する旨の声が寄せられた。「羽生選手はリンクのために寄付してくれたのだから、その意志を尊重してほしい」。それがコーチたちの考えだった。
できれば利用者の目に触れるものに使いたい。考えた末、送迎用のバス2台の購入費用などにあてた。
撮影 bee 2018年
多くの寄付金だけではなく、その活躍によっても
その後も羽生からは寄付が届いた。アイスリンク仙台の昨年4月時点の報告によれば、総額は2932万5864円に上る。感染症対策として導入したサーモグラフィーカメラもその寄付金によるものだ。
「リンクが存続してほしい、そのための手伝いを少しでもしたい、という気持ちが伝わってきます」
・・・・
「現在、東北で通年営業のリンクはうちと盛岡と八戸の3つしかありません。ですから夏季などには近県からもここに練習に来ます。なくなると東北にとって大きなダメージです。なんとしても存続させたい。金メダルが3つも出たリンクなんてほかにありませんし、次のメダリストを出せるよう、耐えしのぎながら、みんなを笑顔で迎えられる施設として続けたいです」
そう言って少し微笑むと、続けた。
「羽生君はここの、私たちにとっての希望の光です。テレビを通じてでも感謝を伝えてくれているなと感じるし、我々も励みになる。そういう意味で希望の光なんです」
震災の日の夜、羽生は夜空の星を希望の光と捉えたという。今、アイスリンク仙台を支える人々は、羽生という星に希望の光を見ているのだ。
八戸、仙台、そして、盛岡
全て、意味がある気がする。。。。。