折り紙作家の清水みのりさん
 
 
イタリアの日本文化協会「L’ALTRO GIAPPONE」より羽生結弦と上杉謙信の共通点にフォーカスしたエッセイを書いて欲しいと依頼され
 
書かれたエッセイのイタリア語版の一部をHPで公開して下さっています
 
 
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プロフィール
 
《抜粋》
日本の古典文学の世界や四季の情緒を紙で表現する独自の試みに取り組んでおり
まるで和紙で描いた絵画のような、より独創的で幻想的な作品創りを目指している。
その幽寂閑雅な世界観は、折り紙と和紙のコラージュによって実現される独自の画法と共にイタリアとヨーロッパで高い評価を得ている
 
 
ギャラリー
 
 
エッセイ
 
日本語版はこちらで
是非、全文、お読みになって下さい。
 
 
イタリア語版
より
 

エッセイ
戦略と美学と間
~羽生結弦と上杉謙信
 

 
 
《部分抜粋》
 
 
戦術に長け、戦場における圧倒的な強さ故に後に軍神と呼ばれた謙信は、謀反、下剋上、骨肉争いが日常茶飯事であった戦乱の世にあって、一貫して「義」を貫いた清廉な武将として知られている。 実際、覇権争いや領土拡大のための内乱や戦が絶えなかったこの時代、謙信は秩序と道理を通すために戦っても、決して私利私欲のための戦はしなかった。 謙信のこうした気性、闘いの美学は羽生と共通する。
 
 
 
しかし、羽生のフィギュアスケートには美学がある。 
彼は4回転ジャンプを多く跳ぶために振付や音楽との調和を犠牲することはない。彼にとって、ジャンプはあくまでも表現の手段であり、プログラムの中に自然に組み込まれた振付の一部でなければならないのだ。 
勝ちを優先するならば、他の多くの選手達がそうしているように、体力を温存し、失敗のリスクを低減するために、振付を省き、ジャンプを跳ぶことに集中する方が得策だろう。数年前に導入された「シリアスエラー」なる不可解なルールによって、難しいステップからジャンプを跳んで万が一転倒した場合、トランジションやスケーティングスキルを含む演技構成点まで一律で下げられてしまうのだ。長い助走からジャンプを跳んだ方がより安全で確実ではないか。 しかし、彼は決してそうはしない。彼の美学に反するからだ。
 
 
羽生にとって、悟りの境地の先にあるのが4回転アクセルなのではないかと私は思う。どうしても主観や組織的な思惑が入り込む人間による評価や得点を超越した、彼にしか見えず、彼にしか到達出来ない別のフロンティアにあるジャンプ、それが4回転アクセルではないか。彼はこの前代未踏のジャンプを試合で成功させたいと公言している。彼にとっての「成功」とは、彼のフィギュアスケートの美学を犠牲にしてただ跳んで降りることではない。彼が理想とするフィギュアスケートの形、ジャンプもスピンも全ての要素が表現の一部となったプログラムの流れの中で、正しく跳び、完璧に回転し、美しく着氷することなのだ。 
これが羽生結弦であり、彼の美学なのだ。