羽生結弦 その“ことば”の先に
羽生結弦選手
「誰も跳んだことがないんですよ。誰もできる気がしないと言っている。それをできるようにする過程は、ひたすら暗闇を歩いているようなもの」
羽生結弦選手
「本当は、全日本でおりたかったので。NHK杯の前に、やっと軸が取れるようになって、初めて転ばなくなった。それからケガをして、1か月間でいろんなものを失って、やってきたことが全部失われた。だからそこの1か月の分、神様がくれたのかなって。いいよって。十分苦しんだから、その1か月、もうちょっとプラスアルファで練習しなさいと言ってもらえたのかな」
羽生結弦選手
「スポーツが持つ力というよりも、アスリートの力という方がしっくりくる。アスリート自身がどれだけ努力したか、どれだけ真摯(しんし)にスポーツというものに、競技というものに向き合ってきたか。何となく伝わってきて、そこに共感を得て、そこに自分を重ね合わせるだけじゃなくて、その人の感情が何となく伝わってきたりとかして、感動が生まれる。僕自身、4回転半をやってる時に難しすぎてどうしたらいいのかなとか、本当にできないなと苦労したり、もう何もかも投げ出して逃げ出したくなる時ももちろんあるが、それって、たぶん、社会で生きていらっしゃるすべての方々が、大なり小なり同じような感覚を抱えている。それをそのアスリートが越えていく姿だったり、そこで苦しんでいる姿だったり、そういったものに何かを感じるのかなと思う」
羽生結弦選手
「楽しくない時もたくさんありますよ。やっぱり負けた試合は今でも見たくないですし、見ないですし、楽しくない。もちろん反省はするけど、でもやっぱり勝ったり、自分の目標が達成できたり、自分がイメージする演技ができたりした時ではないと楽しくはない。その達成感をえたいがために、毎日練習を頑張れている」
羽生結弦選手
「心はシーズンごと、その試合ごとに変化しうる。例えばピョンチャン。勝つ事がすべてだとあの時は思っていた。絶対に自分が進化し続けるんだという、その進化への気持ち、向上心をすごく大切にしている時期もあった。自分の今までのスケート人生を振り返っても、新しいジャンプを跳びたい、早く回転数を増やしたい、それが跳べた時がすごく楽しいという部分もあったり。逆に表現したり、自分がプログラムを演じている時にすべての方々が自分の事を見て下さって、その方々に何か感じてもらえたらうれしいという自分もいたり。さまざまな自分がいる」
「ただ、自分の理想を追い求めるとともに自分だけの価値観に固まってしまうのではなくて、本当に違う価値観を持った誰かが、自分のスケートやジャンプやいろんな技術的なものを見た時に、やっぱりうまいなって。感動しなくてもいいので、これが羽生結弦だなと思ってもらえるような演技を目指したい」