Date:2012年10月5日
曲名:レディー・ガガ
技術点:31.94
構成点:37.09
合計:69.03



Date:2012年10月6日
曲名:エスカーラ 「レクイエム・フォー・タワー」  ~ 「サラバンド」 ~ エドウィン・マートン 「フレデリック・ショパンセレクション」
技術点:56.65
構成点:75.74
合計:132.39





たらさんの翻訳から


今年2月にジョニー・ウィアー(アメリカ)が現役復帰を宣言したとき、多くの人が、どうせ自己PRのためのスタンドプレーだろうと思っていた。ソチ五輪のプレシーズンとなる今年はカムバック宣言があいついでいるが、実際にはどうなるのか、ファンはいつもどおりシーズンが進むまで待っていなければならない。安藤美姫(日本)はごく最近GPシリーズの欠場を決めたし、エヴァン・ライサチェク(アメリカ)も怪我のためスケート・アメリカを棄権することになった。エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)はヨーロッパ選手権に専念するため意図的にGPシリーズへの出場を見送った。



過去3度全米王者に輝いたウィアーは、2010年バンクーバー五輪後に現役を退いて以降、、アイスショーや芸能関係のイベントに出たり、歌手デビューしたり、本を出版したり、結婚したりと、多忙な日々を送ってきた。そんな生活に比べたら、過酷な練習の日々に戻ることは、必ずしも魅力的ではないはずだ。ウィアー本人でさえ、最初は現役復帰を考えることなど想像すらしなかったという。



「バンクーバーの後、競技スケートはもう1分たりともやりたくなかったんだ」彼はそう打ち明けた。「でも、家で料理する生活を2年もやったら、どんなことだって起こりうる。オリンピック以降の2年半に自分がやったことはすべてすばらしいことばかりだったけど、選手として競技すること、それが自分に与えてくれるものというのは、ほかには比べようのないものなんだ」



そのとおり、ウィアーは復帰を果たした。今月上旬の2012年フィンランド杯に出場したのだ。やや精彩を欠き、4位に終わったが、キャリアで初めてショートとフリーの両方で4回転に挑んだ。



「ずいぶん久しぶりだったよ。競技用の照明に照らされたリンクに立って、“アメリカ合衆国、ジョニー・ウィアー選手”というアナウンスを聞いたのは。ずいぶん長いことなかったことだったからね。圧倒された。強烈だったな」



「バンクーバー以降、僕は悠々自適だった」28歳のウィアーは冗談めかして言った。「スケート以外の仕事に打ちこんで、そんな生活を心から楽しんでいた。でも、フィギュアスケートに勝るものはないんだよね――強い決意とモチベーション、過酷すぎるほどの練習。シーズンインに備えるために、体重を8.5キロも落としたんだ。大変だったよ」



ウィアーはすすんでメディアに話をし、大会の直前でさえリラックスしているように見えたが、試合本番では緊張にさいなまれた。

「自分で思っていたよりもっとずっと緊張してしまったよ」2008年世界選手権銅メダリストは打ち明けた。「僕は緊張してても集中は失わないんだ。緊張しているときは、怒っているような顔がしやすくすなる。[←攻撃的、威嚇的な表情というニュアンスだと思います] そんな顔をしていれば周囲に緊張を悟られないからね。でも(この試合のときは)脚がガチガチになってしまった。現役の場に戻ってくるのは、おそらく今までのキャリアで一番困難なことだったと思うよ」



それでも、後悔はないという。

「わかってるんだ。僕が最初に復帰を宣言したとき、多くの人はこんな感じだったよね。“なんで復帰なんかするんだ? 何のためだろう? 宣伝のため? ほかのアメリカ人選手たちのように、復帰する復帰すると言ってばかりで結局しないんじゃないか?” だから、自分がファンやスタッフたちとの約束を守ってスケートすることができて、自分ですごく誇りに思っているよ」

結局フィンランドでは大満足の演技はできなかったが、第一歩を踏み出せたことがとてもうれしいという。



「(フリーの)プログラムを滑り終わったとき、僕はすごく興奮していた。観客も興奮していた。ボロボロじゃない、まあまあの演技ができたからね」ウィアーはさらに言った。「僕はみんなに感心してほしかったんだ。ただ復帰しただけでなく、すごいと思ってほしかった。その目標が果たせたかどうかはわからないけど、自分のためになることはたくさんしたよ。この大会では両方のプログラムで4回転にチャレンジすることができた、ダウングレードになろうがなるまいがね。とにかく、僕は4回転を跳んだんだ。プログラム後半に3Aをコンビネーションで跳ぶこともできた。いい面も悪い面も両方あったね」



「正直、この2年半の間に、現役の緊張状態に戻りたいと思ったことはないよ。演技するときやショーに出るときは、今でもまだ緊張するんだ。ごく自然なことだよね。緊張しないということは、そのことを大事に思っていないってことだから。でも、試合にのぞむこの緊張感というのは、いくら小さな大会であっても、ひどいもんだよ。世界で一番いやな気分だし、正直まっぴらごめんだよ。でも、僕はそこへ自分を置いて、向き合わざるをえなかった」



「全体的には、僕はこの大会からポジティブなエネルギーをもらえたと思う」彼はそう言ってから、プルシェンコが2010年と2012年のヨーロッパ選手権でみごとな復帰劇を見せたことについて語った。



「僕はジェーニャ・プルシェンコじゃない。復帰していきなりロシア選手権やヨーロッパ選手権で勝つなんて、僕にはできない。彼と同じ戦い方は 僕にはできないよ。僕には彼とは違う魂があり、エネルギーがあるんだから。もちろん彼がやってきたことはすごいと思う。でも僕の場合は、(復帰は)もっとゆっくりしたペースになるだろうね」

ウィアーは冷静だった。フィンランディア杯に出るにあたって、完璧な結果になるだろうとは思っていなかったという。

「もう一度試合に出て、みんなに示したかったんだ。ごまかしやトリックなどではなく、僕は本当にまだスケートをしているってことを。僕は本当に戻ってきた。本当に現役として戦う用意ができている。僕の演技や成功したジャンプ、失敗したジャンプについて、人がどう言おうがどうでもいいんだ。大切なのは、みんなの話のネタができたってこと。僕は約束どおりのことをしたんだ。つまり、ファンのために戻ってくるってことをね」

実際に、アメリカや日本、ロシアから多くのファンが、ウィアーを見るためにフィンランドにやってきていた。

「うれしかったな。ショートでもフリーでも、滑り終わったら観客からあんなリアクションがもらえたなんて。観客の多くが遠くから来てくれた僕のファンだったけど、僕の復帰を知って応援しようとしてくれたフィンランドのスケートファンもたくさんいた。ロシアやアメリカやフィンランドの国旗が振られているのを見るのは、すばらしい気分だったよ。みんな僕をリスペクトしてくれたし、僕がすぐに完璧なスケートができるわけじゃないこと、僕にはまだ課題があることを理解してくれた。そう、観客はそれをわかってくれていた。それが一番うれしいんだ」



復帰を宣言した当初は、それが何を意味しているのか、ウィアー本人でさえちゃんとはわかっていなかったという。

「宣言したのは2月だったけど、“よし、これは現実だ。自分は本当にやるんだ” と認識するまでしばらくかかったよ。たぶん初めてプログラムの通し練習をした6月になって、ようやく認識できたと思う。自分は本当に競技に復帰するんだってね」

復帰のプランについては、家族やコーチ、夫、少数の友人などに相談していた。

「僕にはごく限られた、親しい人たちがいるんだ。僕が慎重にその話を持ち出すと、だれもが賛成してくれたよ。(コーチの)ガリーナは、ぜひやるべきよ、準備が整ったらいつでもリンクで待ってるわ、と言ってくれた。夫は、実はだれよりも強く背中を押してくれたんだ。君の才能は魅力的だ、スケートをしてその才能をみんなに見せるべきだってね。復帰にあたっては、彼に励まされた部分が大きいんだ」


しかし、ウィアーには現実が見えていた。競技に復帰するのはたやすいことではないとわかっていた。

「カムバックして17とか18、19歳の子たちと戦うのは、簡単なことではないよ。ソチ五輪の頃には僕はもう30近くになってる。かなりきついよ。プルシェンコみたいに犬のように(死ぬ気で)戦うわけじゃないしね。とても困難なことだけど、それをやることでファンを感動させたいんだ」

彼は、この数年間で自分はたいして変わってはいないと考えているという。

「僕は今でも僕だよ」と、ウィアーは笑顔で言った。「今でも言いたいことは何だって言う。自分の言うことが正しいと証明するための努力は今でも惜しまない。ちょっと年をとって、結婚したってだけ。そのことは僕のライフスタイルや競技に向かう姿勢を大きく変えたけどね。僕はけっして変わらない。いつだって僕なんだ。いつも輝いていたいし、最高の状態でいたいし、スポットライトを浴びていたい。でも、リンク以外の生活を持てたことで、これ(競技復帰)が何を意味するのかまったく新しいとらえ方ができるようになったけどね」



「これ(競技スケート)は僕自身なんだ。でも、それが僕を殺すことはない。もし誰かに負けたり、0.1ポイント差で表彰台を逃したりしても、死ぬわけじゃない。僕にはたいしたことじゃないんだ。僕の人生で大切なことは、いい演技をすること、フィギュアというスポーツと僕の国にもう一度注目を浴びさせて、みんながまたフィギュアに恋するお手伝いをすることだ。だから、そう、僕は変わってない」



練習環境については、引退前と基本的には同じだという。



「コーチは同じだよ。ガリーナ・ズミエフスカヤ。以前とほんのちょっと違うのは、コーチはズミエフスカヤだけってこと。ビクトール・ペトレンコには教わっていないんだ。彼は僕のライバル選手のミハル・ブレジナを教えているからね。僕らはみんな一緒に練習して、お互いのことも全部見てるけど、僕が教わるのはズミエフスカヤだけだ」

「オフアイスのトレーナーも同じだし、衣装の裁縫師もデザイナーも同じだよ。でも、同じという感じはしないんだ。おそらくオフアイスの生活や、僕がスケート以外の人生で成長したせいだと思う。練習に対して昔とは違う気持ちでのぞむことができているよ。もう毎日ガリーナにリンクに無理やり引っぱっていってもらわなくてもいい。もし頭の中がパンパンになって、あまり強い気持ちが持てない日があったら、“ガリーナ、悪いけど今日はできない”って言えばいいんだ。僕の仕事は今はとても成熟してる。以前みたいに死にものぐるいじゃない。今のほうが自分が毎日やってることを楽しむことができているよ」



ウィアーからすると、フィギュアスケート自体も以前とそう変わっていないそうだ。引退後、彼はある時期まで競技スケートに目を向けなくなっていたという。

「バンクーバー以降、特に最初のシーズンは、フィギュアスケートにすっかり嫌気がさしていたんだ」ウィアーはそう打ち明けた。「フィギュアに関することは何ひとつ知りたくなかった。新しい才能を見たくもなかった。バンクーバー後にはひどく傷ついていたからね。人生で最高の演技をしたのに、ジャッジ席に座る誰ひとり満足させることができなかったんだから。僕はフィギュアから離れた。でも、また少しずつ見るようになったんだ」

「僕は羽生結弦の大ファンでね、彼の活躍を見たかった。仲良くしている女子選手のこともね。長年の間に親しくなったスケーターたちが今どうしているか、youtubeで見ることもある。僕の考えでは、フィギュアスケートは昔と変わらない。同じジャッジたち、同じコーチたち。若い選手には新しい顔もいるけど、変わっていく部分はそんなにないと思うよ」

「ルールは毎年変わるけど、それ以外は同じ。昔も今も子供だましのお馬さんショー(サーカス)みたいだ。一生懸命選手を身づくろいしてあげて、精一杯飾りたてて、ジャッジのいるリンクに押し出すんだ」ウィアーは犬の身づくろいをしているようなジェスチャーをしながら言った。



主にファンのために復帰したと言うウィアーだが、それでも試合に勝ちたい、勝てると証明したい気持ちはある。そこでフィンランディアでは、ショートとフリーの両方で4回転ジャンプに挑んだ。



「4回転はちょっとずつ戻ってきてるよ。この夏はスケート靴の問題をかかえていたんだ。バンクーバーから使っていたスケート靴がとても快適だったんだけど、それを夏に替えたんだよ。新しい靴をはいてみると、内側がCの字みたいに曲がっていてさ。その頃はあちこちでショーに出演したり、復帰にかかる費用の支援を集めるのにすごく忙しくて、靴を直す時間がなかった。それがわずか1か月半前のことさ。今は靴の問題が起きる前の調子を取り戻そうとしている。その頃はすごく好調で、クワド・サルコウの練習もしていたんだよ」



ウィアーの目標はフィギュア・ファンを呼び戻すこと。彼の復帰には間違いなくその効果があるだろう。



「世界のほとんどの場所では、フィギュアスケートは4年に1度しか人気がない。僕はそれを変えたいんだ」とウィアーは言う。「世界に証明したいんだ、フィギュアスケーターはユニークな人間であって、キラキラしたロボットなんかじゃないってことを。それぞれ人格があって、一生懸命努力していて、世界から認められる価値が十分にあるってことを。毎年600万ドルの契約をかわす一部のサッカー選手よりもっと価値がある。サッカー選手は足を怪我しても600万ドルもらえるし、まだ有名でいられるよね。フィギュアスケーターはものすごく努力してるのにちょっぴりしか見返りがない。もし僕が少しでもファンの数を増やして、このスポーツに人を呼びこむことができたら、それはすばらしいことだと思うんだ」

2度オリンピックに出場したウィアーは、間違いなく観客を魅了するスケーターだ。そして世界でもおそらく最初に同性結婚をしたトップアスリートのひとりだろう。彼の夫で弁護士のビクター・ウィアー=ボロノフは、彼を支えるためフィンランドに同行していた。

「僕はただ自分の人生を生きたかった。自分自身でいたかった。別に議論を巻き起こしたかったわけじゃない。人々に僕を好きになってほしいとか、僕の人生を認めてほしいというわけでもない。僕の望みはただ生きること。そして、もし僕が男性と結婚したことが人々の興味を引くなら、僕は誇りに思うよ」



「僕にとっては、(同性結婚は)ごく自然な生き方なんだ。なんだかアメリカでゲイの代表みたいになってしまったことで、以前は想像もしなかったようなことにたくさん出会えているよ。子供たちが自殺したり、学校でいじめられたり、けんかで怪我をしたり、そんなつらい世の中で、自分の足で立って、自分に誇りを持ち、強くいられるのは、僕にとってすごく大事なことだったんだ」



率直にものを言う性格ゆえに、ウィアーとアメリカスケート連盟との関係は必ずしも常に良好なものではなかった。



「僕がゲイであることは、スケートとはまったく切り離されているよ。今は連盟との関係は以前とは違うものになっている。なぜなら、オリンピック以降、僕はアメリカである程度の有名人、セレブになっていて、僕ならもっとフィギュアのお客を増やせることを連盟もわかったんだ。連盟にとって僕はファンを呼び寄せる存在、僕にとって連盟は僕が世界選手権やオリンピックに行ってファンを増やすために必要な存在だって、お互い気づいたってことさ。だから今はある程度、理解し合っている。僕は連盟を変えようとはしないし、連盟が僕を変えることもできないけど、以前よりお互いにわかり合ってはいるよ」



ウィアーは、ショート「ポーカーフェイス」、フリー「フェニックス」という新しい2本のプログラムを披露した。とりわけ、ポップスターのレディーガガ本人が曲づくりを手伝ってくれたことを、彼は誇りに思っているという。ウィアーはレディーガガの母親とニューヨークのレストランに行き、娘さんの曲で滑りたいと思っていること、だが歌詞つきの曲は使えないことを話した。すると、母親はその場でレディーガガに電話をかけたのだという。



「その夜、その電話からまさに1時間後、レディーガガが僕に「ポーカーフェイス」を送ってきてくれたんだ。歌詞なしバージョンを3タイプね。クールな話だろ。僕がうまく滑れるかどうかは別として、僕はガガから曲をもらったんだからね」

SPでは、ガガの振付師にも振付を手伝ってもらったそうだ。フリーのほうは、ウィアー自身とコーチのガリーナ・ズミエフスカヤが振付のほとんどをおこなった。最初の試合で完全な振付を披露できなかったことを、ウィアーはくやしく思っているという。

「両方とも本当はもっとずっと美しいプログラムなんだ。でも、ジャンプに集中するために振付の多くを省かざるをえなかった。プログラムはこれからよくなって、成長し続けていくと思うよ。毎日滑るたびに新しい発見があるんだ。大まかに言えば、とてもおもしろくてかっこいい、そして心地いいプログラムだ。試合の緊張さえ克服できたら、みんなにもわかってもらえると思う。練習ではもっとずっとスムーズに滑れているんだよ」

出場するGPシリーズ、11月のロシア大会とフランス大会まで、準備する期間はあと1か月だ。

「ロシアでの試合はいつもすごくワクワクするよ。このクレイジーな競技に復帰する最初のGP大会だからね、とても特別な試合になると思う。すごく楽しみだよ。その1週間後にフランスだ。もしファイナルに行けたら、ソチで滑れるんだよね、本当に楽しみ。もしファイナルがだめだったら、全米選手権の前に冬休みがとれるね」

ほとんどのトップアスリートがそうであるように、ウィアーもいつ症状が重くなりかねない軽い怪我をいくつかかかえているのだという。

「毎日ちょっとした新しい故障が起きているよ。僕ももう年寄り馬だからね」ウィアーは笑いながら言った。「毎朝起きるたびに手の親指が痛いんだ。ジャンプでステップアウトしたときに手をついてしまうから。前日派手に転んだせいでお尻が痛い日もある。また、体を絞るために今年のはじめ以降、ずいぶん体重を落とさなくてはならなかった。そうやって体を慣らしていっているんだ」

いずれにせよ、そうしたことすべて覚悟の上だったし、対処する準備はできているという。



「実際、夫に言われたんだよ。“4回転にトライしても2ポイントしかもらえなかったじゃない。なぜトライするの?” そこで僕は言った。“だって2年半も競技から離れてたんだから、自分が挑戦しているんだって人々に示したいんだよ”って。もし試合に勝てなくても、もしトライしたことにすべて失敗してしまったとしても、自分は向上しようとしているところをみんなに見てほしい。自分の限界を超えるのに年齢は関係ないんだよ」

「もしも僕のキャリアでもう二度とメダルをとれなかったとしても、僕はすでにたくさんんのことを成し遂げてきたからね。片田舎の小さな町から出てきた人間が、ふつうの子供にはやるチャンスさえないようなことをいっぱいしてきたんだ。だから、悲しむことはけっしてないよ。ミスを犯したら自分に腹が立つけど、悲しくなることはない。今までやってきたこと、そしてこれからやっていくことに、僕はとても誇りを持っているんだ」