高野山は和歌山県の標高800mの山上盆地にあり、真言密教の根本道場として空海が816年に創建しました。大阪の「なんば」から南海電車に乗り「極楽橋」からケーブルに乗り換えると高野山駅に着きます。車でも行けます。高野山大学もある3千人以上が暮らす町で、117箇所の寺院の内52箇所に宿坊があります。

2002年9月27日、そんな高野山に行くことになりました。私は東京から、愛知県からの同行者とは「なんば」のビジネスホテルで落ち合い、28日は朝5時前に定食屋で朝食を食べ、南海電鉄高野線の紀伊細川駅で下車し私達は町石道(ちょういしみち)を歩くことにしました。

山麓の慈尊院から高野山奥の院までの参道には216基の町石という石塔の道標が置かれています。
九度山駅で下車し慈尊院から歩くのが町石道踏破コースなのですがこのコースは高野山の根本大塔まで約21.5Km・6時間35分もかかるので、紀伊細川駅からの9.9Km・3時間という短縮ルートを歩くことにしました。

慈尊院は空海が高野山開創に際し伽藍を草創し政所や宿所、冬期の避寒修行場所としたそうです。

女人禁制の為入山できず、この地で亡くなった母公の為に空海が弥勒堂(御廟)を造り弥勒菩薩坐像を安置し、以来「女人高野」と呼ばれているそうです。

矢立の茶屋で休憩し、焼き餅と抹茶と持参のおにぎりを食べ、やがて高野山の総門である大門に到着。

 


宿坊にリュックを預けて空海が最初に整備した金剛峯寺の壇上伽藍へ行きました。

壇上伽藍は高野山全体を金剛峯寺という寺院と見たとき、その境内地の核にあたる場所で、胎蔵・金剛 両部曼荼羅の「胎蔵曼荼羅」の世界を表しているそうです。

金堂や大塔を見て回りました。大塔は816年から887年頃に完成したそうで、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたもので、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼ばれています。

その根本大塔内の立体曼荼羅に大感激しました。

                 

宿坊の夕食は美味しく、私達2人だけ新館に泊まれて、トイレ洗面付きの部屋のようでした。
(今は高野山の宿坊もトイレ付きの部屋が多くあるそうですが2002年頃はありませんでした)

ネット予約した宿坊から9月26日夜に電話があり、そのお寺のご住職が26日の夕方急死されたとかで急きょ別の宿坊を紹介されたのです。

29日は朝5時に起き一人で伽藍を散策。6時半朝のお勤め読誦(どくじゅ)礼拝に参加。

朝食後には、それまで全く知らなっかた「阿字観(あじかん)」というものに参加しました。

阿字観とは梵語(サンスクリット語)の阿字を観想する瞑想法です。
四国旅行から帰った後に空海や真言宗の本は多く読みましたが阿字観については知りませんでした。

たまたまその日は、留学生が阿字観を体験したいということで予約があり、
お寺側からのお誘いで私達も参加させていただきました。

ネットで見ると金剛峯寺でも、先着順で阿字観体験できるようです。


その宿坊で体験した阿字観は、月輪(がちりん)の中に金色の阿字が書かれているご本尊が掛けられ
座禅の姿勢で座り呼吸を整えリラックスして目を閉じ、阿字を思い浮かべ瞑想するというものでした。

            

            
目を閉じ阿字を観想すると、
やがて銀河系宇宙が回転しながら次々に星が迫ってきては消えてゆく、動くGC動画に似たものが視えました。

静かに瞑想していましたが、心は驚きと感動でいっぱいでした。


指導していただいた阿字を長年観想されているご住職に、その方はどんなものが見えるのかお聞きしました。「私はふわふわと雲が流れていくのが見えます」とおっしゃいました。

私は初体験だったので「こんなものが見えました」などとは言えませんでした。


その後は、寝るとき目を閉じると、その動画は視えるようになりました。

その日によって向こうからこちら側に星の渦が回転しながら迫ってくる日もあれば、逆の日もあります。銀河のようでもあり星雲のようでもあり、ふわ~っと幾つも幾つも現れては消えてゆきます。

それはまるで宇宙です。視え始めると目を開いていても薄暗い寝室では視えます。

目に焼き付いた残像なのでしょうか? 私の脳が作り出しているものなのでしょうか?
脳神経外科の医師にも眼科の医師にも聞いたことがありますが、答えは得られませんでした。