たまには趣向を変えて、お堅い歴史の話など。
武田勝頼といえば、かの有名な武田信玄の跡継ぎで、武田家を滅ぼした不肖の二代目というイメージがあります。しかし、実際の武田勝頼は父信玄に勝るとも劣らない猛将だったといわれています。確かに長篠の合戦までの武田勝頼は、信玄時代よりも版図を広げていて、戦えばほぼ無敗でした。軍事的に唯一失敗したのは、長篠の戦いだけだったでしょうが、これは武田軍全滅といっていいほどの大敗となりました。
しかし、問題の本質は長篠の戦いだけではなかったと思います。勝頼時代の最もクリティカルな課題は人事制度でした。特に世代交代の失敗が大きかったと思います。武田勝頼全盛だった前半は、その主力が山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、高坂昌信(春日虎綱)、秋山信友など、全て武田信玄時代からの老臣達でした。しかし、ほぼ全員が長篠の戦いか、その前後に死去しています。そして、長篠の戦い後に残った武将で主だった武将は、高坂昌信、穴山信君、小山田信茂、武田信豊、武田信廉、真田昌幸くらいでした。3年後に死去した高坂を除くと、かなり層の薄さが目立ちます。
武田信玄が中心となって作った最強の武田軍。武田信玄個人の能力ではなくて、軍団としての強さを誇ったのが武田軍の強さの秘訣でした。それを失った勝頼にはもう再起の方策はありませんでした。武田氏滅亡の際にまともな抵抗をしたのが勝頼の弟、仁科信盛だけだったというのは、もはや皮肉というほかありません。
なぜ世代交代に失敗したのでしょうか?
武田信玄は譜代の家臣団に加えて他国の有能な武将をどんどん登用しました。真田幸隆、山本勘助、原虎胤は甲斐以外の出身です。また、馬場や高坂は身分の低い武士出身から取り立てられましたし、内藤は一度武田氏を離れてから信玄時代に戻ってきた武将です。
しかし一方勝頼は、現状維持を選びました。自分の能力に自信があったのかもしれません。その結果世代交代に失敗して、勢力を大幅に後退させました。
話はそれますが、武田信玄のライバル上杉謙信の跡継ぎとなった上杉景勝も世代交代の波にさらされていますが、彼は直江兼続を筆頭とした上田衆という本来は陪臣だった有能な武将を重臣に引き上げることによって質を維持しました。武田勝頼と上杉景勝。優秀すぎる父を持った二人の二代目は、個々の能力だけなら確実に勝頼のほうが上でしょう。しかし結果的に江戸時代まで命脈を永らえたのは上杉景勝の方だったというのは、良い対比と言えるかもしれません。
この話を現代に置き換えてみると、有能な創業社長の後継として有能な二代目が居ても、必ずしも世代交代は成功しないということになります。むしろイエスマンのみが残ってワンマン経営という弊害が起こるでしょう。有能な二代目よりも、後継の社員育成がどれほど重要なのかということを示しているのだと思います。