ウチの前の雪 です。
もう ほぼ溶けました。
悪性黒色腫生存34年目 奴間(ぬま)泰惠です
詳しくはこちらに書いています。 & 夏子の栄養学
気づいたら、生存33年超えてました。
34年目に入りました
悪性黒色腫…メラノーマともいいます。
いわゆる ほくろの癌 です。
当時の悪性黒色腫の手術は、例えば 足の裏にあった場合、足首の上から切断します。
私は、右の腰・ウエストラインにありました。
右の腰で、足切断級の手術を受けています。
医療・福祉では放り出されてしまったので
歩き続ける為に、独学での体の勉強を積み上げまとめています
頚椎・肋骨・肩・頭蓋骨が、メチャメチャ凄まじく動いてました。
まだ、終わってないですけど、頚椎の峠は越えたようで…
頭蓋骨もね、
耳たぶを回した数だけ、耳管がグルグル回っていたようで、ギリギリと痛みと共に解けていきました。
34年前、悪性黒色腫の手術を受けて…
闘病 に必死になっていたけど、
ただ、『歩く』だけも大変で、かなり頑張ってきてました。
なぜ、『歩く』コトに、こんなに痛みや辛さが伴うのか…
やっと答えがわかりました。
主治医が、あんなに執拗な改ざんをしなきゃいけなかったワケ。
たぶん、整体に行っての大手術の時に、私の背骨や右横の肋骨たちが、無残な形状になっているコトに気づいたんだろうな〜と。
わからなかったら、医者として、どーかと思うほどなんです。
手術後の言葉が、明確に蘇ってきたり
8日間の入院の時の会話を思い出したり
私が、そのあと、ドンドン落ちていく姿を、主治医は、容易に想像できたはず。
その私に、何か助けなきゃ
と思わず…
保身のために、改ざんに勤しんでいたんだな。。
ずっと、改ざんをした(された)理由がわからなかったけど…
やっと、わかった
術後、放置したコト…を、
隠さなきゃいけなかったんだ。。
日赤病院への紹介状にも、嘘八百並べなきゃいけなかったんだ…
フツー紹介状は、患者本人は見られないように、糊で封印しています。
でも、私は、封筒の下の合わせのトコロに、針に水をつけて〜下から開けて、中身をカラーコピーしてあります。
殺意…
主治医のことを
殺したい ってほど、エネルギーがあるワケではなくて、
ただ…
生きている。。
のうのうと生きている。。。コトが、たまらなくイヤ
2008年6月18日の大手術のあとから、コツコツと改ざん。
足が腐る病気…
関節リウマチや、糖尿病を仕立て上げる為に、
勝手に、私の血を抜いて、コツコツと、病気を『有る』ようにつくっていたカルテ。
私が、あのとき、気づかずに、のほほんと時間を過ごしていたら
私は、仕立て上げられた 関節リウマチか、糖尿病患者として、きちんと医療を受けられたんだろうな〜
その方が、幸せ だったんだろうか。。
と、ここしばらく考えていました。
2008年、整体に行って大手術。
でも、ずっと、その前から、体のうしろ右側のプチ手術は、数えきれないほど受けてきています。
何度目かの手術のあと
私「コレ…右側ばかりって、悪性黒色腫の手術のあとと関係あるよね」
主治医「たまたまだ! 偶然だ!」
と、のたまってたけど…
焦ってたんだろうな〜
流石に、大手術のあとは、いろんな言葉を発してました。 主治医。
助けなきゃ
って気持ちは、カケラもなかったんだろうか
と、哀しさが拭えないけど。
日赤病院への紹介状を書いてもらうとき…
正式に医療手続きをして。
その時の会話は、ボイスレコーダーに録音したんだけど。
ホント 主治医の言葉遣いってチンピラみたいだった。
たぶん 私じゃなかったら、人生に負けちゃってるよ。
私は…
私は。。。
前を向いて、生きていきます。
いい歳してるけど
取り止めのない文章になっちゃいましたけど。。
書いて、区切りをつけるコトにしますvv
整体に行っての大手術のあと、私がやってたのは、エゴスキューと、さとう式リンパケア。
その動画をつくりました。
言葉と文字を合わせるって、難しいですね。。
途中で、諦めました。
なぜ、私は耳たぶ回したくらいで、顎関節脱臼したのか
私ね
さとう式リンパケアはじめてから、間もなく、指ほどの細い便しか出なくなってました
2021年、『坐骨を入れる』を見つけて、やっとフツーの便に戻せました。
その間、10年以上。
私の場合、筋肉を緩めちゃ、グチャグチャになってた骨格が、歯止めがきかなくなったのでしょうね。
顎関節が脱臼しちゃったから、耳たぶ回して筋肉緩めるコトで、痛みがなくなって…
負のカルマにハマっていってたんだと、今ならわかる。
戻すコトで、体のいろんな答えを見つけられたのだから、
結果良ければ、すべて良し
と、します
カルテ開示
カルテ改ざん
紹介状
20年生存を迎える前に・・・