でも、私は、外国人(韓国人)が怖い | 名古屋栄・東京自由が丘 きれいはカンタン!リンパケアsalon-de-NATSUKO

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ゆる〜い呼吸でリンパケア。整体の要素のあるエステのようなリンパケア施術です。 2020年7月から三重県桑名市でおウチサロンになりました。〜名古屋栄・東京自由が丘も〜

岩ちゃんの話を書いたあと、込み上げてくる恐怖心。。

迷ったけど、書いておきます。



私の祖父は、戦後すぐの政治家でした。


戦後…


原爆は、みなさんご存知だと思いますが、

パンプキン爆弾は、知ってますか?

原爆の模擬 です。模擬爆弾。


原爆って、突然、落とされたワケじゃないのです。


日本中のあちこちで、模擬爆弾を落とされてました。全国で49弾。


原爆と同じスケールで、核が入ってないだけ ってモノ。


それが、カボチャの色に塗られていたから、パンプキン爆弾!








同じスケールだったから、そりゃあもう、辺りは焼け野原です。




悪性黒色腫生存34年目 奴間(ぬま)泰惠です

詳しくはこちらに書いています。 & 夏子の栄養学

 

 

悪性黒色腫…メラノーマともいいます。

いわゆる ほくろの癌 です。

当時の悪性黒色腫の手術は、例えば 足の裏にあった場合、足首の上から切断します。

私は、右の腰・ウエストラインにありました。

右の腰で、足切断級の手術を受けています。

医療・福祉では放り出されてしまったので

歩き続ける為に、独学での体の勉強を積み上げまとめています

 

 

名古屋もそう!

三重県の四日市は、3つ落とされました。


焼け野原。

だから、名古屋には、100メートル道路

四日市には、70メートル道路ができました。

つくりました。


マイナスがあったコトを、利点に使いました。


四日市は、その昔、日本のライト兄弟と呼ばれた人がいて、飛行機を作っていたから…狙われたのかもしれません。

四日市重工業だとの話が強いですが。


戦後の区画整理に奔走したおじいちゃん。

頭が良くて、背がスラリと高くて、カッコ良かったです。



そして、時は流れ、私が高校生の時、

同級生に、越境入学の朝鮮人がいました。

本人が、朝鮮という言葉を使っていたので、そのまま使います。


ある時、他学校の男の子の家に忘れ物をしたから、取りに行くの…ついてって と頼まれました。


学校から駅まで、12分。

駅より向こうに3分ほど のおウチです。

ついていってあげました。


まさかね

朝鮮人の男の子たちを集めて、私を集団レイプする計画だったとは知らずに私はのこのこついてってあげました。


その男の子は、バンドを組んでいるってコトで、家とは別に、防音装置のお部屋を建ててもらっていました。


私を誘った女子…KMは、部屋に入るなり、すぐさま、奥のドラムの椅子にちょこんと座りました。

私が集団レイプされているのを、見下ろして眺めるつもりだったそうですゲッソリ



私は と言うと…

部活が終わって着替えをしていた時、靴下の足の親指のトコロに、穴が空いているのを見つけました。


忘れ物を取りに行くのについていってあげてる途中、歩いていると段々と、穴は大きくなっていき、

とうとう、そのレイプ場に着く前に、親指が飛び出してしまいました。靴の中で。



レイプ場について、KMが部屋に上がっても、私は、靴を脱げません笑い泣き


上がれよ

上がりなよ

上がれさ


と、何度も促されても、断固として、拒否しました。

とうとう私「K! 忘れ物取りに来たんじゃないなら、私、帰るよ!」とキツく言いました。


その部屋の主は、TK。

TKは、貞操観念が固く天邪鬼な女子が好きらしく、

その場で、私に惚れちゃったみたいで、他のヤツらにやらせるのがイヤになって(後から、本人談)、


「おい 帰れ」と、KMに命令しました。


あとから、「付き合って」と告白された時に、教えてくれました。

モチロン「そんな頼み事、受けたんだよね」と断りました。

ついでを書けば、TKは、その後、他のレイプ等々で捕まって少年院に入ってました。



そして、20年以上経った同窓会に、KMは、初めて参加してきて、

当時のコトを謝ってきました。


(朝鮮人の)親に言われたから


と謝りたいと言いながら言い訳だけでした。


当時、おばあちゃんが危篤になり、帰宅を急いでいた私が、おじいちゃんの名前を出したのです。


朝鮮人の人たちに、おじいちゃんは有名だったらしく、区画整理を恨んでいた人物だったとのこと。


そこから、同じ部活入ってきて、仲良くなり…

と、親と一緒に長く計画してだった と言ってました。

友達だと思っていても、こんなコトを目論んで近づいてきている人がいるんだな。。。と衝撃的なショックで聞いていました。


未遂に終わってはいるけど…

許しませんでした。許せない。

同窓会の場ででも、

「私に2メートル以内に近づくな!」と大声で拒絶しました。



あの時、私の靴下の穴を大きくしてくれたのは、おばあちゃんだと今でも信じている私です。


靴下の穴が大きくなって、親指が飛び出していなかったら…

と、今でも背スジが凍る思いです。


この話は、高校生当時の気持ちで、祖父祖母ではなく、おじいちゃんおばあちゃんで書きました。



今、日本は、外国人を多く受け入れています。

日本を愛して入ってくる人ばかりではないコト…恐ろしく思っています。少なくとも、日本に恨みがあるのなら、母国に帰らないで日本にいるのは、何故?と。


magoちゃんたちを守らなきゃ!と強く思っている今日この頃です。