salon-de-NATSUKO 奴間(ぬま)泰惠です
博多…
いつだったかな?
『福岡』と『博多』…
どっちを正式名称にする
って市民(?)投票したのです。
って市民(?)投票したのです。意に反して 『福岡』の方が 票が多かったらしく…福岡市。
でも 『博多』の名称を残したい
ってコトで、鉄道の駅名だけ 『博多』としたのです。
ってコトで、鉄道の駅名だけ 『博多』としたのです。電車では 福岡駅ってないのです^ ^
博多からのお客さま

お土産をいただきました。
ありがとうございます

私 若い頃、博多に住んだコトがあります。
ホンの少しの間だけ
その頃は、名古屋から7時間だったような。。
飛行機をとれない時は、新幹線や寝台列車で行ってました。
どこへ。。。
先日 最終回を迎えた パーフェクトワールド…自分ごとのように 観てました

まだ、博多に地下鉄がなかった頃…
大学を卒業して、就職したばかりの 彼氏さんが、その地下鉄の工事現場の事故で 車椅子になってしまって…
彼は 就職して、まだ1ヶ月半。
1級の試験を受けるには 実務経験が2年必要で…
1級を受けるすべは、どこを探してもありませんでした。
飯塚に 労災が 脊損センターをつくったのは、その頃。
(日本の 車椅子テニスは ここからスタートしました)
労基や 障害者の社会復帰を あちこち駆けずり回って 片っ端から調べました。
でも 当時の労災の扱いは 障害者にしてしまった会社でも、一時金500万円を払って 首を切れる ってモノでした。
脊損センターを出た後の 彼の人生。彼の夢。
必死で調べて、必死で考えて 私は 1つの挑戦に出ました。
脊損センターに入院中の彼には内緒で 動きました。
お正月休みを過ごすべく 博多駅すぐのホテルを予約して…
モチロン 車椅子の人の設備なんて無し!
飯塚市で、レンタカーも手配しておきました。
車椅子の人間でも なんの設備もなくても 大丈夫なんだ
って知ってもらうトコロから、スタートです。
って知ってもらうトコロから、スタートです。全然運転していない私の拙い運転で、飯塚から、八木山峠を抜けて〜博多へと 彼を乗せて車を走らせました。
大晦日に 博多駅近くの…
彼の会社の現場は お正月休みもなく 稼働しています。(突貫工事?)
そこに 車椅子の彼と挨拶に行きました
案の定 噂は一気にひろがって〜
九州支社長の耳にまで届きました
会社側も まだ彼の退院後の処遇を決めかねていた時…(時期も、バッテイングさせました)
支社長が、家にまで来る と連絡が入りました
ヤッター

私の目論見通り 話は進みました。
彼を 支社をバリアフリーにして迎える という計画。
バリアフリーなんて言葉…まだまだ、世間では誰も知らない。
計画はうまくいったのだけど…
支社長からの条件が 2つ。
彼の生活面を 退院直後から 私がみること
その↑条件を 彼には内緒にすることオッケーしました。
だから、決定してから あまり時間がないまま 私は全てを捨てて 彼の元にいきました。
場所は 会社指定でした。
福岡の西区に住みました。
彼の会社は 支社長以外 みんな公共交通機関利用だったのですが、
会社の駐車場に、彼の車のスペースも用意してくれました。
車通勤を許可してもらいました。
でも…
福岡に 誰も知らない人ばかり。
私は ただ押しかけただけの女。
いろんな噂をされました。
彼自身とも、事実を話せない
私…壊れていきました。いえっ すぐ壊れてしまいました。
福岡に行って 一晩で 円形脱毛症ができたし…
まっすぐ歩けなくなるし…(バビンスキー反射が出ました)
勤労学生だった私が 全てを捨てて 福岡に行ったのに…
だから、仕事場では、後ろ指をさされて 彼の元に行ったのに…
彼には 恥ずかしい存在扱いされて。
そうですよね。
彼からしたら、ワケわからないですよね。
本人は なんの自覚もないのに、退院したら 女が押しかけて来たワケですから…(笑)
九大病院の神経内科に通う私(笑)
数ヶ月で 断念しました。
支社長に挨拶に行きました。
「もう無理です。でも…
条件だったけど、私がいなくなっても彼をクビにしないでください」と、お願いして帰ってきました。
彼は その後も 支社で勤務できていました。
福岡を離れる前、名古屋のお友達が来てくれて 一緒に長崎を旅しました。
頭のてっぺんに 円形脱毛症ができていたから、上だけ短く切ってパーマをかけて、隠してます



誰にも言えることではないけれど…
私は 彼の夢を叶えることを 達成したんだ!と、その想いだけは、自分に言い聞かせて生きてきています。
そんな
私の若かった頃の 恋のお話 が、は・か・た

渡辺通りに、チャゲアスの『ひとり咲き』の街宣車が走ってました



