私 28年前に 悪性黒色腫になりました。
3人の子供を産み終わったあと、2年の間に
癌かもしれない と、頭を切り
癌かもしれない と、乳房を切り…
そして、本物の癌…悪性黒色腫になりました。
当時、悪性黒色腫は、10万人に一人という癌でした。
つまり、99,999人には、あてはまらない癌だということです。
たまたま…
ホントに、たまたま、私は、運良く、最初から専門医にかかることができたのですけど、
多くの人は、近くの無知な医者にかかって、アホな処置をされ…手遅れになってから、私の主治医に回されてきていて、命を落としていました。
10万人に一人の癌だから
多くの医者は、『気になるホクロがある』と心配で来院した患者に向かって
「気にしすぎだよ。ホクロの癌なんて、そうそう居ないから!」
と、笑い飛ばして、安易にチョチョイと削って
「2週間で結果が出るから、2週間以降に、また来て」
と、次回の予約も取らさないで 患者さんを帰してしまう…
そんなお粗末さ。
悪性黒色腫は、出たら、『即』、大きく周りを切除する手術をすることが、命の分かれ目になります。
『即』とは、4週間以内です。これは、医学的に、悪性黒色腫の常識です。
私の場合、小さな子供が3人もいたから、そして、家庭でもゴタゴタしていたから、指定された日に、結果を聞かずにいたのですが、
病院から電話がかかってきて(看護師さんからでした)
「先生が、何時まででも待っているからと言ってます」
と、その日のうちに来るように促されました。
促してくれました。
この電話がなかったら…
私は 生きていなかったかもしれません。
でもね
近くの無知な医者に行った多くの人は、
2週間どころか、3週間、4週間…と、時間を過ごし、
手遅れになってから、思い出した時に、病院に行き…
その無知な医者も、検査に出した細胞が悪性だったことを、
患者さんが来てから、初めて目を通す
なんてこともあるようで
そこではじめて、「大きな病院に行って!」と言われた人も。
そここら、医者も、病院探しなのです。
当時は、私の住んでいる三重県には、専門の医者はいませんでした。
そうなのです。
私…最初に行った病院が、県外だったのです。
今から考えると、そんなひとつひとつが、奇跡としか思えません。
そんな風に 助けられた命をいただいて生きていると
思考のスタートから 違うのかもしれませんね。
まず、最悪を想定します。
最悪を想定して、最悪要素を、ひとつひとつ削除していきます。
そこに、ブレはありません。
というより、つくれません。
ブレをつくることが、私には、怖すぎるのです。
私、ビビリです。
私が、悪性黒色腫の手術で、仙骨と大臀筋が繋がっていない身体になったのに歩いている…
歩いていることを、理解できる医者に出会ったことも、未だにありません。
身体のブロにも。
なんて書いていると 暗ーくなりそうですが、
医学が 科学の全てではないし、
医師が、全ての科学を学んでいるワケではない!
の考え方から、身体の基本を、独学で勉強してきています。
自分のセンサーを いつも全開、稼働させていると、ヒョンなトコロで、有益な情報・知識も、拾えたりします。
拾った情報を、即、自分で裏付けをとるべく、調べまくります。
情弱
という言葉を、昨日、聞きました。
文字で見ている間は、情緒が弱い人のことだと 勝手に解釈して、読み流していましたが
昨日は、人の話す言葉の中で、『情緒が弱い』では、前後の脈絡に合わないトコロに使われていたから…
「どういう字?」
「どんな意味?」
と、聞き返していました。
情報に弱い人。。。と書いて、情弱!
私が、悪性黒色腫になった時は、情報自体がなかったのですが、
今は、情報が氾濫しているからこそ、情弱になる人は、増えているのかもしれませんね。
何を書きたいのか…
まとまりがつかなくなってきましたが、
そんな『今』を生きている 未来ある若い人に向けて、丁寧に書いていこう〜と、思いました^ ^
と、しめておきますね^ ^