つづき。
「後漢書」には
「孔融は志が高く、
巧みに物事を処理する
知的能力は衆に抜きんでて
いると自負していた。
天下を救おうとする志はあった。
が、しかし、注意力が散漫で
気が大きい。
それで結局何事も成功しなかった。」
て。
名門意識?
「何事も成功しなかった」て。
なんかは成功したろうよ。ねえ。
つづき。
「後漢書」には
「孔融は志が高く、
巧みに物事を処理する
知的能力は衆に抜きんでて
いると自負していた。
天下を救おうとする志はあった。
が、しかし、注意力が散漫で
気が大きい。
それで結局何事も成功しなかった。」
て。
名門意識?
「何事も成功しなかった」て。
なんかは成功したろうよ。ねえ。
孔融は黄巾の残党の
管亥に包囲され、劉備に
援軍を求めたと。使者は
太史慈。
劉備は3千の兵を救援に
派遣。
賊は逃げた。
当時、曹操、袁紹の勢力が
大きくなる。
左丞祖なるものが孔融に、
どちらかと結託しろと勧める。
しかし孔融は曹操、袁紹両者
ともが漢の天下を奪うだろうと
見抜き協力する気には、
なれなかった。
ところで気に事が。
中国では後に蜀漢びいきが
顕著になっていくけど、この
記述もそれっぽいね。
「漢の天下を・・・」が。
孔融は漢から魏へとつづく
流れで、魏の建国者曹操に
反抗してたからそう描かれたのか。
閑話休題。
つづき。
そのころ再び黄巾の残党が
侵略に。
孔融は都昌県にでて陣を張る。
賊の管亥に包囲される。
孔融はこのままでは危うい
と感じ、東莱郡の太史慈を
使者として、平原の相、劉備に
救援を求める。
劉備が驚いていった、
「何と孔北海殿までが、
天下に劉備と言う者が
いることを御承知くだされたか!」
と。
ちょっと、胡散臭い。
平原は北海からそのまま西に。
長い。
さて、負けて逃げて
立て篭もって、人民も
戻ってきた。と。
4万人余り。
そこで改めて城市を作り、
学校を建て、儒学を奨励し、
鄭玄・彭〈『王』に『?』〉・?原(『丙』に『?』)
を推薦。
県には甄子然、臨孝存は
高名であったが、早くに死んだ。
孔融は生きている間に会う事が
出来なかったことを残念がり、
県の社に祀るように命じた。
孔融は他にも、わずかな善行でも必ず
表彰し、郡の人で子がなくて死んだもの
(つまり遺体の引き取り手とかがいない)、
他国から来ていて死んだものには、
棺桶を必ず用意して葬ってやった。
そういえば、(臥龍と鳳鄒)の?統も
人物批評をしていて、
人に「お前はなぜ過大評価するんだ」
と言われ、?統が答えるには、
「このような時代
(宦官、外戚によって政治が乱れ、
国が乱れている)
だからこそわずかな
善行を大げさに評して、推薦するのだ」
て。
人間的には孔融は悪いやつでは
ないんだけど、軍事とか政治が少し
表面的になりやすいいんだな。うん。
閑話休題。
続き。
その時代、黄巾の賊(残党?)が
各州で略奪、侵略を繰り返していた。
北海郡には賊が住み着いていた。
董卓(以後〈卓〉)に三公は口を
揃えて孔融を推薦して、
北海の相に。
孔融(以後省略して〈融〉)は
着くなり、人民を集め、
軍隊を編成して、訓練。
隣接する州、郡に
共同戦線を練る。
賊の張饒ら20万が冀州から
帰ってくる。
融は迎え撃って…………
……………………敗れる。
面白いね。
負けるんだから。ここで。
中々いい味出してる。
閑話休題。
融は散り散りなった兵をまとめ、
朱虚県に立て篭もる。
また少しずつ官吏や人民が、
戻ってきた。