つづき。






まだまだ曹操批判。






当時、飢饉があり、そのうえ、


さらに戦争がつづくので、


曹操は上奏して酒をつくる


ことを厳禁した。




孔融は何度も何度も、


手紙を送って反対したが、


その中には曹操のことを


馬鹿にした言葉が数多く。




曹操が偉大な詐欺師である


ことがだんだん判明したもので、


孔融としては腹に据えかねる。




そこでついひねくれた言葉を


吐いた。




このことでしばしば曹操を


怒らせた。






『曹操が偉大な詐欺師


であると判明した。』




て。曹操批判な書き方だ。

つづき。






207年、曹操は烏丸(桓)を討伐した。




孔融はまた曹操を嘲笑って言った。




「大将軍閣下には


遠く遠征にでられ、




海外できっと人が


いない事で、ございましょう。




昔、粛慎氏(しゅくしんし)が、


?樹の矢を貢ぐ事を怠りました。




又、丁零(ていれい)族が蘇武の


牛羊を盗みました。




この二つの事もついでに糾明して


きなさいな。」と。












要は曹操の烏丸討伐を、


『暇つぶし』として皮肉った。

つづき。



曹操が、業+阝(ギョウ)城を

攻め落とした時、袁氏の

婦女子の多くが犯された。


曹操の子、曹丕はこっそり、

袁煕の妻であった甄氏を

わがものにした。


孔融はそこで曹操に手紙を

遣った。


はるか昔、周の武王が

殷王紂を討った時、

紂の妻妲己を自分の

弟である周公旦に、

賜りました。


※ウソ。実際は

そんな事実はない。


曹操は自分への当てつけに

気付かない。


曹操が孔融に問う。


「どの経典に出ているか?」


孔融が答えて言う、


「現代から推し量りまして、

そんな事だろうと思っただけ

です。」と言った。






曹操が袁氏に対して

やった事を皮肉ったと。


正しいのは孔融なんだけど、

時の権力者に直言とは。

つづき。




200年




曹操が献帝を


迎えた年が、


196年。




200年は官渡中。




献帝の子、


南陽王劉馮、東海王劉祗が


亡くなった。




181年生まれなので、


献帝二十歳くらい。




当時は珍しくはないか。






献帝はその早死を悼み、


二人のために、四季の


祭りをしたいと思った。







普通、十九歳以下の者が


亡くなったとき喪は九月を


越さない。




八歳以下であった場合、


喪に服さないという決まり。




四季…一年中。






そこで孔融に下問した。




孔融が言うには、




「陛下には恩愛の情が深く、


時に触れて悲しみを新たに


され、二王の霊を悼んで、


哀憐の詔書を出されました。




『過去にこのような例があるか』




と言う事を調べましたところ、




先に粱懐王、臨江愍王、斉哀王、


臨淮懐王はなくなられて後継ぎが


ございませんでした。




血を分けたご兄弟といえば、


景帝、武帝、昭帝、明帝で


ございますが、前朝廷が、


彼らのために、正規の祭を


修めたためしを聞きませぬ。




あるいは臨時に行ったのかも


しれませんが、歴史には載って


おりません。




私愚考しますに、幼くして


亡くなられた皇子に対し、


陛下が哀悼の御心から、


皇子を成人並みに祭り、


諡をお付けになりたいと、


思召す場合、やはり亡き


人の年齢に適った仕方を


なさるべきで、礼法どおりに


するのが当然であります。




一年間にもわたって祭るのは


先帝の定めた掟にも背くことに


なります。




私はこれが不安でございます。」














要は、




献帝は、我が子の早死をいたみ、


幼いものには喪が短かったり、


無かったりするのを、特別に


一年間やりたいと。




孔融は過去の漢朝の帝と、


その息子の例とだし、過去には


無かったからそれをすることは、


先代の帝が定めた掟を、


破ることになるのではと。

前回↓


「後漢書」<孔融伝>②-Ⅶ




つづき。






孔融が朝廷にいたころ、


荊州では、牧の劉表が、


朝貢を怠り、身分を越えて、


出過ぎた行いをすることが


多々あった。





天子にしか許されない、


天地の祭を行ったり、


自身を天子になぞらえたり。





帝は詔をくだし、群臣の


意見を求めた。





孔融が上奏して言う、





「聞くところによると、


荊州牧、劉表は、


お上を恐れず、その


行いは度を越え、


天地の祭を行い、


不届きなるふるまい。





劉表の愚昧極悪なる事


その罪は万死に当たります。





※愚昧(ぐまい)…


おろかで道理に暗いこと。





しかしながら、国体に関する


ことは、しばらく包み隠すのが


良いでしょう。





何となれば(なぜならばの意)、


天子と言うのは、とても尊く、


重い地位。身は神聖で、


国は神器、身分の位は


臣下に比べてとても高く、


かけ離れています。





天子の禄位には、


何人も及ばないもの


でございます。





それを例えるであれば、


天に梯子をかけて登る事が


出来ず、日月は越えることが


出来ぬようなものでございます。





気持ちや考えが卑しい


悪臣(劉表を指す)が出る度に、


必ず、





『あの野郎め、


天子の位を狙いおった。』





と咎め立てますが、もし、


これを四方に示したとしても


それにより、必ず悪の芽を摘む


ことにはなりません。





愚見によれば、





『劉表には大罪がある』





というのは、その通りで


ございますが、ぜひ耐え


忍んでいただきとう存じます。




賈誼が申しました





『ねずみをうちたいが、


そばの器を壊すのが


憚られる。』





とは、このことであります。





されば、昔、斉の桓公は、


楚に攻め入りながらも、





〈楚の僭上〉





については咎めず、





王室の祭に


使う貢物を怠ったこと〉





だけを責めました。




周王の軍が晋に


敗れた時も、


『春秋』には、





『王の軍敗れる』





とだけ書いて、





『晋人王を破る』





とは記しませんでした。





劉表が僭上する前に、


袁術は僭上し、


その事を暴露し、


今また劉表の事を


群臣に示し給う。





これはあたかも、


びっこの山羊に、


到底登りえぬ高い崖を


窺い見せるようなもので


ございます。





※意味分からん。


要は、





《僭上した》




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