漁父 -37ページ目
【車魚の嘆】
中国戦国時代の孟嘗君の
食客に馮カンっていう人が
いたんだけどその人の話
孟嘗君…斉の公子田文のこと
数多くの食客を養っていた。
馮驩(ふうかん)…食客の一人
孟嘗君の食客には等級があって
一等は
代舎(だいしゃ)…車がつく。
送り迎えする車ね。HONDAとか
NISSANとか。……ウソ。
【車客】
二等には
幸舎(こうしゃ)…食事に魚が出る
ふぐとか。…ウソ。
【魚客】
三等には
伝舎…なにも
初め孟嘗君は馮カンを一番下の
伝舎においた。
食事の時馮カンには野菜しかでない。
しばらくすると馮カンはひとりで柱に
もたれかかって帯びていた長剣を
叩いて歌う。
馮カン「長剣よ、帰ろうか、俺には
魚を食わせない」
孟嘗君はこれを聞いて笑って
馮カンを《魚客》にし、魚を出してやった。
またしばらくすると、またも馮カンは言った
馮カン「長剣よ、帰ろうか、外へ出るのに
車もない」と。
馮カンは《車客》に昇進した。
はたから見ると随分図々しいけど、
この人は孟嘗君の領地の税収を
安定させたり、孟嘗君が宰相の地位を
追われた時には彼の活躍により、
その地位を回復させている。
なんか想像すると面白いよね。
こんなのは時代が時代だからこそ
通用するけど今は「なんだ、コイツ」って
思われるだろうね。
やる時はやる人だったんだね。
高校の時にさ先生に『決断力』
が大事って言われたんだよね。
今回はその決断力を上げるための
名言を。
秦末の動乱期会稽郡の殷通(いんとう)
って人が土地の実力者項粱(こうりょう)
に言った言葉
『先んずれば人を制す』
これは『先に何かをすれば、すなわち
人を制す』って意味で、
決断を迫る時に使ってみれば、
「おお、こいつ出来るな」って思われるかもね。
これは中国戦国時代、斉の孟嘗君が
父の靖郭君に対して説いた言葉
『玄孫の孫を何となす』
この言葉の意味は、
「孫の孫は玄孫(やしゃご)、
ではその孫は?と聞かれても
誰も答えられない。
そんな答えられない自分の子孫
のために財を蓄えることに励むより、
周りにいる財がなくて貧乏な生活を
している不遇の人物に注意を注ぎ
国の大事に目を向けるべきでは。」
という意味です。
今も昔もほとんど変わらんね。
ただ今と昔が違うのは、
昔は言われれば直したけど、
今は指摘するような人物を
排除するからね。たちが悪い。
指摘されたとしても、言い訳が
出るからね。
「諸葛亮は丞相に…」とか
「○○将軍に…」とかよくわからん
ということでひとつ資料を。
≪あくまでも前漢の表です≫
一番上は、もちろん
【天子】つまり【皇帝】です。
次に
「太師・太傅・太保」
これは非常置、でも三公の上
名誉職
演義で董卓が三公を廃して自
分がこの官職についた。
また相国はこれより上
魏の司馬懿
その次は
<三公>(月350石)
丞相(後漢では司徒)
蜀の諸葛亮
呉の陸遜、顧雍
大尉(後漢では司馬)、軍事面
朱儁とか
御史大夫(後漢では司空)
<将軍>(上から4つは三公並)
大将軍(月350石)
呉の諸葛謹、諸葛格、
魏の夏侯惇
蜀の姜維
驃騎将軍(驃騎兵の指揮)
驃騎=軽騎兵
蜀の馬超とか
車騎将軍(騎兵団の長)
魏の張コウ、蜀の張飛
衛将軍(近衛軍の将)
ここまでが三公並
こっから下がる
前将軍(前軍の将)
後将軍(後軍の将)
左将軍(左軍の将)
右将軍(右軍の将)
他に「雑号将軍」がある。
※あくまでも前漢の官職表
征西将軍とか征東将軍とかは
その後に置かれて多分
雑号将軍より上
その他にもたくさんあるが
書ききれないのでこの辺で。
タイトルの【漁父】なんだけど、
(ぎょほ)って読むんだよね。
『漁夫の利』とは別もんね。
【漁父】は屈平の詩なんだけど、
細かいことは今は書かん。
屈平についてちょっと。
中国戦国時代の楚の国の人
字が原で通称は屈原で知られる
最初楚王に仕え信用を得るが、
讒言にあい、次第に疎まれ、
官を追われ、入水自殺。
ちまきの由来も関係ある。

