名言・格言】<陳平>

漢の左丞相の

陳平の話



漢の文帝が右丞相の周勃(しゅうぼつ)

一年間の裁判の実情について下問

(かもん)した。周勃は答えられない。

次に文帝は周勃に予算の内容を下問した。

が、また答えられない。


そこで文帝は左丞相の陳平にこのことを

下問した。

その時の陳平の言葉


陳平「もし決獄を問わば廷尉(ていい)を

責めよ銭穀(せんこく)を問わば治粟内史

(ちぞくだいし)を責めよ」


下問…自分より身分の下の者に尋ねること。

この場合は皇帝が丞相に尋ねること。


廷尉…古代中国の官名。

九卿の一として秦代に設けられ、

裁判・刑罰などをつかさどった。



つまり「裁判のことはその裁判をつかさどる

者に聞いてください。予算のことはその予算

の担当者に聞いてください」と言ったわけ。


あれね、別に責任転嫁してる訳じゃないよ。


つまりそのことに詳しいい人に聞けと。

この後に文帝は、

「じゃあ丞相の君たちは何をしてるんだ。」

って聞くんだけど、

陳平は「私たち丞相の必要なのは、上は

天子を補佐するためであり、下は万物を

…………」

ようはすべてのことに対応するため細かい

ことはその担当者に聞いてくれと。


最後


【白起】


長平での戦いで白起は敵の首級40万を

得た。このことに秦の宰相(さいしょう)

応侯は、自分の地位が脅かされるものと

危惧し、秦王に進言して趙と講和させ、

軍を撤退するよう白起に言った。


このことで白起と応侯との間に確執が生じた。

秦王は自分の説得では応じないから、応侯に

説得させに行かせるんだけど、もともと悪いの

は応侯で白起は正論で返したもんだから、

応侯は面目がつぶれてしまい、さらに関係が

悪化してしまい、最後には応侯の白起に

対する讒言になるんだけど…。


白起の最後の言葉で、秦王から自害を

命じられ、死のうという場面での言葉

「私は天に何の罪があってこのようなことに

なってしまったのか。いや、長平での戦いに

おいて敵の降伏者をだまして生き埋めにした

これは死罪に十分値する。」と言って、

自ら首をはねた。



【白起】という人は将軍としてはものすごい人

なんだけど、その終わり方は自殺なんて

すごい生涯で、おもしろいなと思うんだけど、

一兵卒から将軍になって領地も貰って、

最後にはまた兵卒にされるって………

…どんな人生だよ。

戦では常勝将軍であっても、政治的立場では

簡単に負けるんだね。


最後に

<史記>の著者司馬遷の彼に対する評価を、

「ことわざに『尺にも短き所あり、寸にも長き所

あり』とある。白起は敵の出方をよく見て臨機

応変に対処することが出来、奇抜な戦法を

次から次へと繰り出し、名声は人々を畏れさ

せた。しかし、応侯の悪だくみからは逃れら

れなかった。」


司馬遷が「応侯の悪だくみ」って言ったのには

理由があるんですが、それにしてもいいすぎな

感が…。


続き


【白起】


<史記>のエピソード


白起は一兵卒から将軍に昇り、

常勝将軍として各国から畏れられた。


導入

白起は長平で趙軍40万を生き埋めにし、

そのまま趙の都邯鄲を包囲した。

が、応侯は白起にこのままでは自分の

地位が脅かされると思い秦王に言って

趙と講和させた。

白起は不満に思いながらも、軍を

引き、秦王に不信感を抱きそのまま

病気と称して家にこもってしまった。


その後数年して秦は再び趙を攻めた。

が、趙はなかなか陥ちない。

そこで秦王は病気と称して引きこもっている

白起に指揮をとるように命じる。


秦王は講和してのち、再び王陵に命じて

趙を攻めさせた。しかし、あまり効果が

得られなかった。その後もたびたび攻撃を

加えるが効果が得られないばかりか、逆に

損害が出る始末。

秦王は白起に将軍として超攻撃の陣頭

指揮を執るように命じたが、白起は応じない。


白起が秦王に言うには、

「今はまだ趙を攻める時期ではありません。

なぜなら他国の趙に対する援軍はいつも

やってきます。いまたとえ趙を破ることが

出来てもわが軍の損害はかなり大きなもの

になるでしょう。また、秦に恨みを抱いている

諸侯はひとつではありません。

秦軍は遠征軍です。秦が趙を攻めている間に

秦に恨みを抱く諸侯が秦国内に攻め入るのは

目に見えています。だから今はまだ時期では

ありません。」と。


秦王はその後も趙を攻め続けるが、芳しくない。

何度も白起に出陣を命じるが白起は応じない。

とうとう白起を讒言するものが出て、白起は

自害を命じられる。



白起(武安君)…秦の将軍

応侯(范雎)…秦の宰相

秦王…昭王


秦の制度ではとった敵の首の数で昇進する

訳なんで、仕様がないと言えばあれなんだ

けどね。




今回は、中国史で個人的に


好きな人物Best10にはいる


【白起】について書きます。




【白起】?(ビ)の人


戦国時代の秦の将軍


詳細はwikiとかで載ってるから、


エピソードだけ。






昭王13年、白起は左庶長(さしょちょう)


となった。次の年には左更になり魏・韓を


伊闕(いけつ)の地で破り、敵の首を斬ること


24万を数えた。


その後、国尉となり、大良造となり、


昇進して武安君という称号を得た。


昇進してのちも常勝将軍として活躍し、


三晋の将軍を捕虜にし、首級13万を得た。


趙と戦い敵の兵卒2万を黄河に沈め、


昭王43年には敵の首5万を得る。


その後も目覚ましい活躍を遂げ、


昭王47年に趙の兵卒40万人を


長平にて生き埋めにした。




以下地図


よく見といてさ。






漁父



秦と趙ね。

北朝鮮が「撃ち落としたら戦争だ」

って言うてるけど大丈夫かね。


千葉やられない?

東京に近いし…。


アメリカは役に立つのかね。

日本の自衛隊あんまし役に立たなそうだし。


こんなん見つけた。
漁父

面白いね。


引っ越そうかな。

茨城辺りに…。