??(センギョク)続き。




変換できないので、カタカナ表記。








センギョクは物静かで、


思慮深く、知謀が豊。




物事の万端に通じ、


才能あるものを養い


育てて行政に当たらせ、


時の動きに沿い、


天の意思を……。






具体的な内容は無いのね。




堯・舜・禹が後出るけど、


これらの流れでいいたいのは、




「徳のある人物から


徳のある人物へ」の




『禅譲』の形を示す。

史記






有巣氏


 ↓


燧人氏


 ↓


庖犠氏(伏犠)


 ↓


女?氏(じょか)


 ↓


神農氏(炎帝)


 ↓


黄帝


 ↓


??(センギョク)










さて、


??(センギョク)




黄帝は西陵氏の、娘を娶り、


これが…漢字が見つからん。


女+累(ルイ)祖。




二人の息子を生んだ。


この二人はどちらも天下を


自ら治めることは無かったが、


その子孫はそれぞれ天下を


治めることに。




一人を玄囂(げんごう)


又の呼び名を青陽




彼は臣下の列に下り、


江水のほとりに住んだ。




もう一人を昌意(しょうい)。




彼も臣下の列に下り、


若水のほとりに。




江水、若水ともに蜀




前者の子孫に帝?(こく)





後者に??(センギョク)







これまでは『史記』の


記述。




他にも


玄囂を五帝の一人に加えて、


小昊金天氏とす。




小昊てのは伏犠を太昊と


するのに対し、庖犠氏の


やり方を学んで治めたため、


一回り小さい小昊と。




また「『五帝本紀』には黄帝には


25人の息子がいた。」としている。




これは果たして一夫多妻の


言い訳か。

<人間万事塞翁ヶ馬>


(にんげん)じゃないよ。

(じんかん)。


いやはやwikiみたら

「塞の国の翁」だって。


なんたる…。


あれね。よくないな。


普通


「近頃塞の上(ほとり)の人に」


てなるんだけどね。



淮南子(えなんじ)より


淮南王(わいなんおう)

劉安により。


なんで読み方変わるんかね。


「荘子(そうじ)」と「荘子(そうし)」

みたいな。



本編


近頃国境の砦の人で術に

巧みな人がいた。


ところで『術』を『占い』て訳す人

居るんだけどそれっぽいけど、

何でだろうね。


閑話休題。


~~人がいた。

その人の馬が逃げて

〈胡〉の地に逃げ込んだ。


人々はこれを気の毒がったが、


その家の父親は


「このことがどうして福(さいわい)

にならぬことがあろう」と。


それから数ヵ月、


その馬が〈胡〉の駿馬を連れて

帰ってきた。


人々はそれを祝福するも、

父親は、


「このことがどうして禍に

ならぬ事があろう」と。


その家は(駿馬を連れて

きたおかげで)良馬に富む

ことになったが、その子供は

乗馬が好きで、ある時落馬して

しまった。子供は腿を骨折し、

人々が気の毒がるも、父親は


「このことがどうして福い

とならないことがあろう」と言った。


それから1年、胡人が大挙して

国境を越えて攻め入った。


若者は弓を引いて戦い、

国境の砦の人で死者は

10人中9人に。


ところがあしなえであったが

ためにかの父子は助かった。



と。


そういえば、くりぃむしちゅーの

上田さんがこんなようなことを

言ってたな。


普通は不幸があったら、

「いつかいい事ある」とは思えても、


いい事があって、

「いつか悪い事あるな」とは思えん。


荀子① より。


今回は『性悪説』。


学校では、


儒家


孔子の礼、仁、孝

    ↓

孟子『性善説』

    ↓

荀子『性悪説』

    ↓


法家


荀子の弟子として、

韓非子、李斯



(法家はもともと管仲

から始まり商鞅、呉子

などこれらは荀子とは

関係ねぇ)


商鞅は姓を公孫 名を鞅


衛国出身なので衛鞅。

または後に商の地に

封ぜられたので商鞅。


閑話休題。


『なんで荀子から法家に。』


これは性善説が、

『人の性は悪である』

であるからして礼や仁、孝で

教育すると。


それが発展して、

『いやいや教育じゃ無理。

法で人の行動範囲を決める』と。


『性善説』は単純に其

のまま言えば、

『人』の『性』は『善』だと。

生まれながらに『善』を

心に備えていると。



漁父

      『荀子』内山俊彦著


これは評論のようで難しいけど。


これいわく、

『性』は人の生まれたままの『生』の『心』

だと。


後は難しいので今は言えん。

登場人物


秦王…昭襄王


ちなみに

昭襄王

 ↓

孝文王

 ↓

荘襄王

 ↓

始皇帝

 ↓

二世皇帝胡亥

 ↓

秦王子嬰


白起(武安君)

…秦の将軍


范雎(応侯)

…秦の宰相




本編


白起

「臣の聞くところによりますと、


『賢明な王様はその国を愛し、

忠義な臣下はその名を愛する』


と申します。


壊れた国は再び元通りになる術

はなく、死んだ兵卒は再び生き

返らせる術はございません。


臣はいっそのこと、伏して思い

誅罰を蒙って死にましょうとも、

勝てもしない戦をし、敗れて軍を

辱める将となるには忍びません。

何卒、王様にはこのことをよくよく

お考えください。」と。



王は何も言わずに立ち去った。








白起は長平で趙を破ったり、

秦国内どころか天下に名を

知られた名将なので、秦王は

再三、将として趙を滅ぼすこと

を言うが、武安君はまだ時期では

ないと。あまつさえ病気と称して

出てこない。


秦王は将軍をかえ趙を攻めるが、

勝てない。


秦王は宰相范雎を白起のもとに

遣わせて出陣を督責するも、

説得できず。


秦王は自ら武安君にあって

出陣を強要するも、

白起は、(出陣せよ)という王命に

背いて罪を得ようとも、勝ち目の

ない戦にでて、敗軍の将となることを

よしとせず、出陣を固辞した。


これにより秦王と白起の仲は険悪。


ついに誰かが讒言。


秦王は始め、白起の身分を落とし、

田舎へ行かせる。


途中気が変わり自害を命じたと。


白起は死ぬ間際、


「自分は何の罪があって死ぬのか。


いや長平で降伏してきた兵卒40万を


生き埋めにした。


だからこそ罪を得たのだ」と。











白起は始め秦の実権を

握る穣候に気に入られ、

一兵卒から封地を与えられる

までに。


穰侯が失脚した時、白起は

(穰侯派と応侯派で内乱がおき)

秦が衰退することをよしとせず、

穰侯が乱を起こさず身を引いた

のと相俟って新しい政権に仕える。


昭襄王は穰侯らに擁立された

わけで、文句は言えない。

たしかに穣候一族は諸侯に

取り立てられたりあったが、しかし、

秦はこの頃強かったと。


穰侯は司馬遷いわく、

「秦が領土を東方へ拡大し、

諸侯の力を弱め、(秦王が)ある時は

帝と称し、天下の諸侯がみな秦に

向かって頭を下げるようになったのは、

すべて穰侯の功績である。」と。


また太史公が白起についていわく、


「ことわざに『尺にも短き所あり、

寸にも長き所あり』とある。

白起は敵の出方をよく見て、

臨機応変に対処し、奇抜な戦法を

次から次へと繰り出し、その名声は

天下の人々を畏れさせた。


しかし応侯の悪だくみから、

逃れられなかったのである」と。




応侯については人物像がよくわかる

話もあるんだけど割愛。


白起は軍事に関しては天下一

であったけれども、政治において

身の置き方を心得ていなかった。




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