長くいない大学生にピアノの講師をさせてくださる保護者がいることは本当に感謝なことだ。

私は今3人の小学生の生徒を持たせていただいている。

私が真面目に出来ないのもあり、とにかく楽しく時間を過ごす。

今日は2人の姉妹のところに行ってきた。

一年生と三年生。がっつり教育家庭で育ったお嬢ちゃんたちだ。

たまにイヤだ!!やりたくない!!と泣き叫ばれることもあるが、そういう時は音で遊ぶ。

大好きな歌を一緒に歌ったり、聴音の変わりにアニソン当てゲームしたり、練習曲に題名つけたり、役割を交代して私が生徒になったり。

今は夏休みなのでよく練習が出来てるのもあり、時間が余るので嵐の話をしたりなんかして。

2人とも嵐が好きで、妹のとうちゃんに質問してみた。

誰が好きなん?

櫻井くんと大野くんと相葉くん。

櫻井くんはなんで好きなん?

お姉ちゃんが好きだから影響された。

大野くんは?

とうちゃんと性格が合うと思う。

相葉くんは?

最近高い声が出るって知ったから!



楽しいレッスンはまだまだ続きます。

オープンキャンパスがあった。


いやー懐かしい。


もちろん迎える側で参加したわけであるが、


すっぴんで、何度も梳かれた黒い髪、


あどけない笑顔。




懐かしい。


あの初々しさは何処へ。



私は


大分大学教育福祉科学部学校教育課程教科教育コース音楽専修


っていうとこに属している。


多分、全国でも名前の長さなら上位だと思う。


そこに、入りたい子や興味がある子がブースに訪ねてくる。


そして入試に関することから大学生活への質問を大学生に相談するといった感じだ。



若い。


私も、結構自分が若いほうだと思っていたが、若い。


高校1年生に関しては7つも違う。


モー娘。とか絶対しらんやろ。


3年生にはさすがに不安が見え隠れしていたが、


1年生は希望で満ちていた。



3年生には、


とにかく楽しいけん!


あとちょっとがんばりよ!


と大分弁で熱弁。




笑ってた。



私も同大学のオープンキャンパスには来たので知っている。


大学生がめちゃくちゃうらやましく見える。


そしてすごくかっこよく見える。


同じ道を通ってきて、それを乗り越えたからあたりまえなんだけど、


すっごくうらやましい。



けど、案外私も今同じ場所に立っている。


ベクトルが、もうちょっと先に行っているだけで。


乗り越えるべき壁があって、


現場で働いている先輩たちがうらやましくって、


けど、それは先輩たちが乗り越えられたからあるわけで。


そうだな。同じだな。


なんだけど、今、焦りがないのは、平安があるのは、


主が大丈夫だよって言ってくださる言葉に耳を傾けられるからだと思う。


結構それって感謝なことだと思う。


一つの壁を超えるときに携えるものが平安か、不安か。



私はいま平安とともにある。




今、不安なことっていったら、


無事に東北にたどり着けるかっていうことと


無事に結婚できるかっていうこと。



前者はともかく、後者は私が手放さないといけない大きな課題の一つだな。


手放したつもりで、まだ悪あがきをしている私だ。


委ねればいいのに。



私は、進路に関しては主が用意してくださる道を楽しみにできる。


けど、結婚に関しても同じことなのだ。


楽しみにすればいい。


期待して、今独身の時間を、主に捧げればいい。




口で言うのは簡単だけどね!


今、これをできない私。


きっと、何か壁を乗り越えたときに、あの時の私ってって笑うんだろうな。


そんなことを想像したら、不安を握ってるのがばかみたい。


平安とともにいよう。


主が用意してくださる道がすでにあるから。


それが最善で、偉大なご計画なのだから。


主に信頼しよう。


できるように、祈ろう。


できるように、祈ってもらおう。


やっぱり弱いから。





そんなことを考えたオープンキャンパスデー。

木曜日から東北に行かせていただくことになった。


私はKGK(キリスト者学生会)というのに所属している。


KGKの起源は戦後に荒廃した約60年前に遡る。


早稲田大学では、学校の復帰もままなっておらず、


日曜日も授業が行われていた。


クリスチャンたちは署名運動をしてどうにかして日曜日の授業をなくせないかと試みた。


が、むなしくも実現せず。


そこで誇りかぶった空き部屋で数名の学生と教授で日曜日に礼拝をしたというのが始まり。


私たちは「聖書は誤りなき神の言葉である」という福音主義信仰に立っている。


そして、大学内で福音を宣べ伝えられるのは牧師や宣教師ではなく学生だということ。


また、教派を超えて協力し合って福音を宣べ伝えるということ。


この3本柱「福音主義」、「学生主体」、「超教派」の理念に立って60年間活動が続けられてきた。


その歴史の上に私はいるのだが、それが東北と何が関係あるかというと、


1年に2回、各地区の代表が集まり、今後のKGKについて話し合う会議が行われる。


全国協議委員会だ。


全協と呼んでいて、これが3泊4日で行われるのだが、そんなに時間をかけて何を話し合うんだと、


教会からもKGKのメンバーからさえもみられることがある。


たとえば、KGKには御茶ノ水に事務所を構えている。


そこに学生のサポートをする主事が集まったり、


学生がそこに集まって学校を超えた地区やブロック内での話し合いが行われる。


その事務所というのは、IFESという団体の献金によって建てられた。


IFESっていうのは、International Fellowship of Evangelical Studentsの略である。


国際福音主義学生連盟っていう感じなのだが、


いわゆるKGKみたいな団体が全世界にあって、それがまた主をたたえるために協力し合っているのだ。


IFESの働きというのは、例えば献金によって福音の促進を行ったり、


迫害によって福音が伝わりにくいところのために祈って支えたり。たりたりたり。


である。


私たちKGKは、私たちがそうしてもらったように、


まだ経済的に困難で主事が立たない国や、


IFESの総会に参加できない国のために献金をする。


会議ではその目標額が話し合われ、それを各地区に持ち帰り、その必要性をアピールする。


また、東アジアの国のためにどのようにしたら祈っていけるか


なんてことも話し合われる。


となりびとである東アジアはそれぞれの国が様々な問題を抱えているのに、


私たちは実感が伴わずにそのために祈ることができない。


東アジアのことを紹介したり、


日本やクリスチャンの戦争責任について考える学び会を各地区で主催するのも全協の仕事だ。


それを会議では、その根本から話し合い、


聖書はどのように言っているか、


私たちはどうあるべきなのか、ということを祈りながら話し合う。


この会議は結構体力使う。


そんな感じで、今年はそれが仙台で行われる。


他の場所をあたったのだが、なかなかこの時期に安くで3泊4日提供してくれる場所はなく、


あったとしてもすでに予約でいっぱいという状況であった。


とにもかくにも、感謝なことにその会議費は全国のKGK献金からまかなわれる。


ということで、はじめまして東北だ。


今回は青森に引っ越したばかりの友達もいるので、彼女にも会いに行く。


宮崎人がまさか青森の地を踏むとは。


楽しみだ。


まってろとうほく!