自分が正しいかどうか考えることを手放すと、
相手をよく見る余裕が生まれた。
ずっと考えることをやめられなかったので、
いままで、それを止めるためにいろんなこと試してみた。
ここから話を進める前に、そもそも考えることを手放すメリットについて書いてみたい。
もともと私は考えることは大切なことだと思っていた。考えることで、よりよくなれる、多くのことがわかる、と思っていたように思う。
そして、そこから、なるべく多くの時間考えていることがいいことだと思って、隙間時間は全部考えるようにした
(ま、だいたい私、やることが極端なんですわ 笑)
四六時中考えることによって起こる副作用があるなんて、思いもよらなかった。
私は、考え続けることで、他の感覚を感じるチャンスを失っていたらしい。
例えば見る、聞く、味わう。
つまり、何か食べるときも、考えながらなので上の空、
見るときも考えで頭いっぱいで本当には見れていない。
考えることに慣れすぎたせいか、
他の感覚に注意を向けたいときでも、考えを止めることができなくなっていた。
そのことに気づいたのがほんと30才前後ぐらい。
それから、ずっと考えることを止めようといろいろ試してきた。
そして、最近、
考えていることの多くが、
どのように相手に対して自分の正当性を主張するかを考えていたこと
に気づいた。
論理的に勝ちたい。
理論武装したい。
そんな風に思っていたらしい。
それは多分、恐怖から。
負けたら恐ろしいことが起こるとでも思っていたのか。
そして、ある時ふと、その恐怖をようやく手放せたことに気づいた。
(NLPとかキネシオロジーのスキルをずいぶん使いました)
議論の勝ち負けって誰が決めるの?
正しさって誰が決めるの?
そうして、それを手放したら
空いたスペースに、
自分が誰かに与えられるものについて、
愛や喜びについて、
感じる余裕が出来た。
これを続けていくように訓練しようと思う。
いや、もしくは訓練する必要もなくなっているかもしれない。
明日の私が楽しみです。
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あなたの中に起こっている、変えたいことの根源を、あなた自身が見つけ出し、変えるお手伝いをします。
すぐ変わる場合もありますし、何年も抱えてきたパターンの場合は、完全に変わるまではそれ相応の時間がかかる場合もありますが、
変わり方の多少はどうあれ間違いなく変わっていきます。その変化はそのテーマに向き合うと決めるところから既に、始まっているからです。
基本関西で、対面でやってますので、
気になる方、希望される方メッセージお待ちしてます^ ^