私と息子はこの日曜日に減薬治療をするために

日本に長期帰国します。

母の介護もあり、アメリカを窮屈に感じていた

私には渡りに船だったのかもしれません。

 

これを機会に仕事もやめました。

26年前に独立してやってきた会社を辞める、

この2~3年やめようかずっと悩んできた仕事。

辞めてみて思ったことは

「頭が昔みたいにシャープに動く。

記憶力が回復して、マルチタスクがこなせる。」

 

本当なら事業主としてあるべき能力なのに

家庭内の問題、急速に変化する事業環境に

すっかり消耗しきって疲れ切って、

全く使い物にならなくなっていたようです。

この頃は簡単なミスばかり繰り返していました。

 

久しぶりに会った友達にも

「明るくなったね。雰囲気が違うよ。

辞めてよかったんじゃないの?」

と言われました。

 

憑き物が取れたかのような感覚が

今の私にはあります。

 

明るく周りの人に挨拶して話しかけて

細かいことも気にならない、今生活を

心から楽しめています。

 

でもその片隅で、私がアメリカを嫌いだった

理由がふつふつと現れます。

 

それは、

「他人のことは気にしない、どう思われようと

関係ない。」

ということ。

 

とても素晴らしい言葉に聞こえますが、

この行動は社会を荒廃させます。

アメリカ社会を見るとこの個人主義が

人々を孤立させ、自分の利益のみを優先する

利己主義な社会を生み出してしまっています。

 

移民の人たちが個人主義を誤って乱用している

と私には映っています。

 

本当の個人主義を知らない人達が、都合のいい部分

のみを切り取って、自分の利益に利用している

そう思えてなりません。

移民として生きる知恵かもしれない、けれど

人を思いやれない人を嫌というほど見てきました。

 

「こんな風にはなりたくない」

何度思ったことか。でも同時にこうならなければ

この国ではやっていけないということも

何となく感じていて、心の中はいつも揺れ動いて

いました。

 

同時に、自分にはこういった要素があるということも

自分自身が見抜いていたからこそ、アメリカに

慣れることにひどい抵抗感があり

それが適応障害と思われるような精神状態を

生み出していたのだと思います。

 

しばらくアメリカを去ろうとしている今、

ここにとどまるなら、この自分のことを最優先に

している自分に変貌してしまえばいいと思います。

でも、私は日本人の弱くて一歩引いてしまう

優しさをできれば持ち続けたい。

海外では不利に働くけれど、それのどこが悪いの?

 

日本に帰って、自分の日本人である部分を

もう一度よく見つめなおしたいと思います。