ここで一句

音溜めて
伝える側は
誰にどう

今から150年ほど前にエジソンは蓄音機を発明しました。蓄音機は言ってしまえばレコードです。つまり記録出来る物という事です。音を記録出来るという事は、写真と共に永久に姿形と声を残せるという事です。その両方を併せ持ったのが、ビデオですね。ここで重要なのは何を残して、誰に伝えて、どう活かすか、です。私は人類に私の言葉や何かを残したい気持ちも少しはありますが、そんな事はどうでも良いです。何故なら人類の歴史は争いの歴史で、今も尚、ロシア、ウクライナ戦争、イスラエル、パレスチナ戦争と戦争は止みませんから。そうであるならば、私の言葉を残すより、振り上げた拳を下ろすであろう、プーチン大統領やネターニャフ首相の姿形や声を残して欲しいからです。私には戦争を止める力はありません。しかし、プーチン大統領やネターニャフ首相にはそれが出来ます。どうか、世界中の指導者が平和について議論して出した答え、今でいえばオリンピックやオリンピアン、パラリンピックやパラリンピアン、世界中のスポーツを愛する人達のような、平和や笑顔を記録に残して欲しいです。