私は、障碍者ながら幸運に恵まれ、妻との間に子を授かることができた。


この出来事は、25年前壊れた私には、生きるに値する十分すぎる出来事だった。


何故なら、新しい生命の誕生こそが、人間にとって最も幸せな出来事だと思っていたからだ。


つまり、子を授かることが、人間にとって一番ハッピーだと思っているということだ。


だから、子どもが生まれてから一度も子どもにも妻にも暴力を振るってはいない。


それは、子どもの存在自体が救いであり、生き甲斐だからだ。


乳幼児期の面倒も、文字通り面倒くさいとは思ったが、イヤではなかった。


彼の寝顔を見ていると、本当に癒されて愛おしい気持ちになった。


それは、人間の本能のようなもので、自分の分身のミニに愛着があるのだろうと思う。


この気持ちは子どもにはわからないと思う。


私も子ども時代は、赤ちゃんや幼児が可愛いとあまり思っていなかった。


自分が大人になったとき、子どもが可愛いと認識できた。


これは、今の若い人に多いと思う。


最近のアンケートで、20代30代の3割が、子どもを欲しくないと回答した。


私はこの3割は、中身が子どもなのでは?と思った。


つまり、自分が子どもだから子どもの可愛さに気付かないのでは?と思ったのだ。


もちろん、子どもが可愛く思わない人はいつの時代も一定数居る。


この、子どもを欲しがらない人が増えているというのは、精神年齢の若年化が進んでいるのでは?という仮説だ。


何故なら、子どもが可愛いと思うのは自分が大人な証拠であり、子どもと大人を明確に分けて生きているからであり、幾つになっても自分が子どもなら大人と子どもを明確に分けられず、自分が面倒を見るという発想自体がないのでは?と思うからだ。


つまり、良い大人の年齢の人は、術からず子どもの面倒を見るということだ。


これは、歴史や洋の東西を問わず、共同体が持っている価値観であり、現に必ず大人が子どもを面倒見るから共同体は成り立っているのだ。


それでは、親とは何だろう?


うーん、親って何だろう笑


親になって一つ言えるのは、子どものためなら生命も投げ打つ覚悟があるということ。


その為に生活があるし、子どもを思って贅沢をやめることもある。


つまり、自分の生命より子どもの生命、自分の生活より子どもの生活、自分のお金より子どものお金だということ。


その為に仕事をしている人がほとんどだということ。


これは、子どもが居なくても親心がある人は一緒で、喜んで税金を払っている。


その使い道が納得いかなくて政治家に文句を言うが、これだって未熟な政治家への親心である。


それでは、理想の親子関係って何だろう?


それは、子どもが大きくなったときに、色々な物事に感謝でき、大人も子どももリスペクトして、親子で何でも話せる関係だと思う。


感謝とリスペクトは信頼から生まれる。


つまり、親子間で信頼関係が成り立ち、子どもが社会を信頼していれば自然と生まれる。


だから、大人は大人としてウソの生き方をせずに、子どもの見本になれるような生き方が求められる。


これは、子ども、大人、高齢者と循環していくので、いつの時代もウソの生き方をしない誠実さが求められる。


誠実さとは、卑怯でなく正々堂々と進んでいく生き方であり、小手先でなく心底相手を想う気持ちである。


つまり、より良い者を目指す在り方で、正義といっても良い。


この正義があるからこそ、社会は社会なり得て、真っ当に生きようとなる。


政治家が真っ当に見えないのは、お金で動くように見えてしまっているからであり、本来仕事とはお金ではなく正義の為だと教えたい。


最後に、親子に血縁関係はどれくらい重要だろうか?


結論から言うと、私は血縁関係はほとんど重要ではないのではないか?と思う。


それは、今の社会ではまだ支持されないであろう。


だが、先生が生徒を指導するときに、自分の子ではないのに自分の子どものように接する、あの師弟関係が大事なのだ。


私は事情があって父親が違うが、父親は亡くなるまで愛してくれた。


そういう血縁を超えた父親に私もなりたい。


息子くん、産まれてきてくれて本当にありがとう。


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