では過去の日本の歴史に生きる、英語を自在に操った日本人はどのように学習をしていたのでしょうか。
今日は新渡戸稲造にいついてみていきたいと思います。
以下引用
まだ、英語が普及していない明治時代、新渡戸稲造(5千円札のモデルの方です)はほとんど独学で英語を身に付け、「太平洋の橋」となることを夢見て英語を磨き続けました。
そしてついには、国際連盟事務局次長として、「国際連盟に新渡戸という人材を得たのは世界の大いなる資産」と国際連盟事務総長に言わせ、英国人でありながらスピーチの苦手な総長にかわり、「世界各地」で講演を繰り返したというエピソードが今も伝えられています。
新渡戸稲造は、講演の際、もちろん英語ですが、原稿を読み上げることは全くなく、すべて自分の言葉で講演活動を繰り返したそうです。
彼の書いた「武士道」は、もともと英語で書かれ、日本の文化を海外へ橋渡しするという彼本来の志を貫いた傑作として今も読み継がれています。
流れるような美しい英文は、かなり教養のある欧米人でも及ばないほど格調高く、新渡戸の驚異的な英語力と学識の高さを物語っています。 (出典http://www.edge24.com/dantotsu/concept02.html)
上記の説明からも彼の英語力の高さをうかがい知ることが出来ますが、一つ補足しなければならない点は、明治時代には外国人教師の登用がかなりの数行われており、彼が決して独学で英語の基礎を身に付けたのではないということは訂正しておくべきであろうと思います。
彼は幼少期より、通いの医師であった人物から英語の基礎の手ほどきを受け、その後はクラーク博士でおなじみ、札幌農学校で修学していました。そこにはもちろん外国人教師がいましたので、彼らは英語で授業を受けていました。
そうした明治時代の特殊性を無視して彼の英語力を語ることはできませんが、彼の最終的な英語能力は言うまでもなく、英米人から見ても格式の高い英文を書く作家として知られていました。
さて彼がいかようにしてこの英語力を身に付けたのかと言えば、札幌農学校時代に行った、徹底した多読です。
この多読が後に彼の眼病を招いたともいわれています。
しかし、彼は基礎の習熟後、多読を行い、原稿なしのスピーチや英語で本を書くまでの英語力を手に入れていたのです。
これはつまり多読の有用性を示した顕著な例と言えます。
ここから我々が学べることは、基礎を習熟した後に多読を行えば、効果的にその英語力を伸ばすことが出来るということです。
歴史的にも多読の重要性は証明されていますから、みなさんも日々の学習に取り入れてみてはどうでしょうか?
電車で英語のペーパーバックを広げている姿はバツグンにいけてます。
是非、イケメン、イケ女の仲間入りを果たしてください。

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