加藤先生のこと。
加藤周一先生が亡くなりました。89歳でした。
十数年前、大学4年生の時に半期だけ加藤先生の講義を受講していました。
本居宣長の「玉勝間」とヴォルテールの(多分)「哲学書簡」を順々に読み進めていき、加藤先生が解説し学生と意見交換をするというゼミ形式の講義でした。
先生は、宣長を「宣ちゃん」、ヴォルテールを「ヴォルちゃん」と親しみをこめて呼んでいました。
講義室には終始笑いが溢れ、毎回講義に出るのが楽しみでした。
それは、先生の諧謔に満ちた話術だけではなく、やさしい人柄がなせる業でもあったと思います。
残念なのは、先生が教授してくれた内容をきちんと吸収できなかったことですが、それでも印象に残っている話がいくつかあります。
宣長のところで大和魂の話になったのですが、宣長がつかった大和魂の定義はもののあわれを感じる心であって、これは戦時中の日本でつかわれた言葉と全然違う意味であるというような話がありました。
先生が日本文化に拘っていたのは、戦前に軍国主義に雪崩をうって流れた日本社会を理解し、それとは異なる社会に役立つものをこれまでの日本文化の中から引き出そうとされていたからだろうと思います。
晩年は九条の会をよびかけられて、あるべき知識人としての姿を示されました。
楽しかった講義のことを思い出すと、先生は知性とやさしさが両立するということを身をもって示されたのだと思えます。
そういう意味では、あの半期の経験は私にとって宝物です。
自己責任。
某知事と高校生とが私学助成削減をめぐって討論した映像をみました。
http://jp.youtube.com/watch?v=6mtDvJG4M3E&feature=related
知事側から、「公立に入れずに私立に行ったのだから私学助成が削られるのも自己責任の観点から仕方がない」という趣旨の発言があったようです。
知事の話にいろいろと疑問があるのでとりあえず列挙してみます。
・自己責任と言うが、某府の巨額な財政赤字を生み出した責任をこれまでの長はとったのだろうか?その無責任な長の流れに属する自らの責任はどうなるのだろうか?
・「世の中のしくみがそうなっている」と言うが、「世の中のしくみをそうしている」と言い換えるべきなのではないだろうか?
・「生活保護が救ってくれる」というが、現行の生活保護で本当に「健康で文化的な最低限の生活」が可能なのだろうか?また、生活保護さえ得られない人たちがたくさんいることをどう考えているのだろうか?
・「子ども扱いしない」ということだが、選挙権がないことを考慮するべきではないだろうか?
・世界的な高等教育無償化の流れをどう考えているのだろうか?
この「自己責任」論は、統治者にとってはたいへん都合がよい論法である一方、社会的弱者にとっては過酷なものであることに注意する必要がある気がします。
おいしいコーヒーの真実。
前から観たいと思っていたのですが、今日学祭でやっと観ることができました。
http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/
一言で言うと、コーヒーの生産・流通・販売を追っていくことによって、フェアトレードの重要性を浮き彫りにしていくというドキュメンタリーでした。
フェアトレードは、「買う」という誰もが普通にしている行動で貧困削減に寄与することができるという点で効果的な方法であると思います。
一方でこの映画は、もう少し大きなところから南北間の力関係を変えるような政治的な変化が必要とされていることも示していました。
カンクンでのWTO会議では、途上国を排除した形で一部協議が行われました。
この事実と共に、この不当性を訴えるNGOの人の声も、映画は映し出していました。
南北間の力関係を変える上で、NGOが果たしている役割を適切に伝えてくれたのではないかと思います。
なお、この上映会は学生が企画したもので、この映画を選んだセンスのよさや感性を思うと、それだけでも明るい気持ちになります。
この感性を今後も持ち続けていってほしいものです。