守衛さんの言った通り、二課の鍵は開いていた。
だけどそこに桐沢さんはいない。
桐沢さんの机の上は、捜査資料や決済書類が山になっていて・・・・
(あれ?だけどほとんど”既決”になってる・・・・?)
昨日の帰り際は”未決”のボックスにうず高く積み上げられていたはず。
それが”既決”のボックスに入っているわけだから・・・・・
(帰ったふりして仕事してたんだ・・・・・桐沢さん)
・・・・・帰ったふりは、きっと、私たちを気兼ねなく休ませるため。
(だけど・・・・守衛さんは「いつも」って言ってた・・・・)
寂しさなのか、申し訳なさなのか・・・・
よくわからない感情が胸を締め付ける。
桐沢さんの姿を探して課内を見渡すと、
パーテーションの奥の長椅子から、足が飛び出しているのが見えた。
そろりそろりと近付く。
桐沢さんは、すうすうと穏やかな寝息を立てて眠っていた。
枕元に膝をつき、まじまじと寝顔を見つめる。
(・・・・疲れた顔・・・・・)
きっと、ようやくとれた仮眠なんだろう。
(ひざ掛けかなにか、なかったっけ・・・・)
振り返って、掛けるものを探す。
桐沢 『・・・・ん・・・・』
桐沢さんが小さく身じろぎする。
(お、起こしちゃったかな?)
そっと、その場を離れようとした、その瞬間・・・・・
桐沢さんの手が、私の腕を掴んだ。
あず 『!』
そのまま強く引かれて、バランスを崩す。
(・・・・・・えっ?)
気付けば、私は桐沢さんの胸の中にすっぽりと納まっていた。
あず 『う、うわわ・・・・・』
慌てて起き上がろうとするけど、桐沢さんの腕がしっかりと背中に回されていた。
桐沢 『・・・・・櫻井・・・・』
あず 『き、桐沢さん?』
桐沢さんの顔を見上げると、さっきまでの険しい表情ではなく、
微笑みさえ浮かべているような、優しい顔をしていた。
あず 『ね、寝てる・・・?』
桐沢さんは、すぅすぅと寝息を立てて、幸せそうに眠り続けていた。
(か、かわいい・・・・)
無防備な寝顔に、思わず私の頬も緩む。
(こんな顔して眠るんだ・・・)
頬を突いてみる。
桐沢 『ん・・・・んん』
(ふふ。桐沢さん、子供みたい)
じっと見つめていたら、無意識に体が動いていた。
私は、桐沢さんの頬に、思わずキスしていた。
あず 『・・・・・・わ』
そんなことをする自分に、びっくりしてしまった。
起きませんようにーと祈りながら、桐沢さんの胸に顔をうずめる。
桐沢 『・・・・・?』
あず 『き、桐沢さん?』
さすがに目を覚ました桐沢さん。
不思議そうな顔で、自分の腕の中にいる私を見つめる。
桐沢 『・・・・櫻井?』
あず 『はい』
桐沢 『・・・・・・・え?』
あず 『・・・・・・・』
桐沢 『・・・・・・・・・・・・・・・・ど、どう、いう・・・・これは?』
あず 『おはようございます』
桐沢 『・・・・え、う、うおっ・・・・』
キョロキョロと周りを見渡してやっと、ここが特命二課であることに気付いたみたい。
桐沢 『・・・・櫻井!』
慌てて腕をほどく。
桐沢 『わ、悪い!!なにやってんだ、俺!!??』
あず 『・・・・寝ぼけてたんですよね?』
桐沢 『い、いや、ああ、そう・・・・・・いや、夢、だと・・・・・思って・・・・』
あず 『・・・・・とりあえず、落ち着いてください』
桐沢 『・・・・・あ、ああ・・・・・』
しばらく呆然としたままの空気が流れる。
桐沢さんの頭の中はめまぐるしく動いているようで、
顔色だけが赤くなったり青くなったりしていた。
桐沢 『・・・・・櫻井・・・・・、本当に申し訳なかった。この通りだ』
長い沈黙の後。
ようやく落ち着いたのか、桐沢さんは神妙な面持ちで頭を下げる。
桐沢 『……夢を見てたんだそしたら櫻井の気配がして・・・・・てっきりそれも、夢だと思って…』
(…それって…私の夢を見てたってこと?)
桐沢 『悪かった!』
必死になって頭を下げる桐沢さん。
あず 『そんな、頭上げてください。怒ってないですよ。でも…約束して下さい。』
桐沢 『……約束?』
あず 『もう、一人で無理しないでください』
桐沢 『……?』
あず 『泊まり込み、今に始まったことじゃないんでしょう!守衛さんが、「今日は課長さんじゃないのか」「今帰り?」って。朝の6時にです』
桐沢 『・・・ああ・・・・』
気まずそうに目を泳がせる。
あず 『どうせ、シャワーと着替えをしに、朝だけ家に帰ってたんでしょう?』
桐沢 『なんでもお見通しなんだな、櫻井は』
気まずさを誤魔化すための、からかうような笑顔。
あず 『……そんなことばっかりしてたら、身体壊しますよ』
寝不足と疲労がたまってたら、反射神経も鈍る。
そんな時、前みたいに狙われたりしたら?
次もまたいたずら程度のペンキとは限らない。
桐沢 『大丈夫だ。心配すんな』
あず 『・・・・するなって言われたって、心配になります・・・・』
切ない感情に、心臓が絞られる。
桐沢 『・・・・・・・・』
桐沢さんは後ずさりするように私から離れた。
あず 『な、なんですか?』
桐沢 『・・・・やめろ、そんな顔するな。こちとらギリギリなんだよ』
あず 『・・・・は?』
桐沢 『いや・・・・あ・・・・家に帰ってシャワー浴びてくる』
そう言って立ち上がる。
あず 『あの・・・・』
桐沢 『・・・・・ん?』
あず 『さっきのこと・・・・気にしないでください』
桐沢 『え・・・・・』
あず 『私は大丈夫だから…気を付けて行ってきて下さい』
桐沢 『櫻井・・・・』
あず 『つ、疲れてるんですから』
桐沢 『…ありがとな。始業までには戻る』
後ろ姿のままそう言って、桐沢さんは課を後にした。
(…桐沢さん)
全身に、桐沢さんの温もりが残る。
大事な人の夢に出演することが、こんなにうれしいなんて知らなかった。
私はしばらく、その場で桐沢さんの残した名残を惜しんでいた。
始業時刻に桐沢さんは、いつも通りの桐沢さんになって戻ってきていた。
午前中から忙しく、部屋を出たり入ったり。
今もまた行方不明になっている。
八千草 『あれ?ボスどこ行ったか知りませんか?』
浅野 『部内課長会議からまだ戻ってない』
天王寺 『おい櫻井、マルボウ三課から内線』
あず 『ありがとうございます!…はい、お電話かわりました』
余計なことをボケッと考える余裕もなく、
やらなければならないことがたくさんあるのが救いだった。
あず 『組織犯罪対策第三課に行ってきます』
電話を切って、行き先を告げると、私は二課を出た。
廊下を歩いていると、第4会議室から、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
桐沢 『こんなところに呼び出して、どういうおつもりですか、堺警視監?』
堺警視監 『そんなにカッカするな、桐沢くん』
(桐沢さんと堺警視監…!?)
桐沢 『やましいことがなければ、こうして私を呼び出すこともないのでは?』
堺警視監 『私の周囲をこれ以上探るのはやめろ』
桐沢 『できかねます』
私はドアに身を近付けて、その会話に耳を澄ました。
堺警視監 『なぜそんなに固執する!?』
桐沢 『あなたのやっていることが間違っていると思うからです』
堺警視監 『間違ってる、だと?』
桐沢 『はい。まさか、正しいことをしているとでもお思いですか?』
堺警視監 『・・・・・』
桐沢 『・・・・・・』
切迫したような沈黙。
堺警視監 『私のしていることが間違いだと君は言うが・・・・・・』
堺警視監の声色が、奇妙な甘さを持ったものに変わった。
堺警視監 『自分の部下に手を出すことは、上司として間違ってはいないのかね?』
桐沢 『・・・・・・・・』
あず 『・・・・・・・・!』
堺警視監 『そうか、言葉も出ないほど反省しているのか。だとしたら…きっと、私にかかっている言われない嫌疑についても、無論考え直してくれるだろうね?』
桐沢 『・・・・・・・』
桐沢さんは一言も返さない。
堺警視監はフンと鼻で笑った。
堺警視監 『分をわきまえることだな』
足音がこちらに向かって来て、咄嗟に角に隠れる。
会議室を後にした堺警視監は、スキップでもしそうな軽い足取りで、歩き去った。
ほんの少し間ドアから、取り残された桐沢さんが見える。
こちらに背を見せているから、どんな表情をしているかは分からない。
だけどその背中は、どうしようもない焦燥と怒りを滲ませていた。
桐沢 『クソッ・・・・・・!』
たった一度、悪態と壁を殴る音が、広い会議室にむなしく響いた。