踏ん張りが聞かないと感じたのは
50歳頃かな?!
今から4年前ね
30代で出産と時短パート
平成14年長男を、出産して半年あとに未満児保育へ入園して近くのスーパーがパート募集していたので応募して時短勤務で小遣い稼ぎを始めた
朝は5時半に起床して
8時に保育園へ送り5時にお迎えして夜は8時にお風呂入って9時に就寝の生活をしてました。
読み聞かせしながら自分が先に寝落ちしてしまうという(笑)
2年後に次男を出産し、半年後に
二人通園してました。
パート代の半分は保育料に消えました。
40代の子育て期間は
長男が5歳の頃習い事を始めて二人を
空手教室(スポーツ少年団)へ通いました。お友達が先に入部していたので誘われて行くというパターン。
夫は保育園でPTA会長1年間、次男が小学校2年の時には小学校のPTA会長になり卒業するまで努めてました。運動会や学芸会は夫は来賓席でした。
夫の両親80代
子どもの成長を楽しむ時期と重なる様に
義両親も年老いてきて足腰がおぼつかなくなり義父が体調不良を訴え入院。癌が見つかり余命宣告をうけながら、長男が中学1年の春休みにインフルエンザ脳炎で入院しました。退院後の翌週には、義母が脳梗塞で倒れ入院。退院後はダブル介護の環境のなかで長男は高校受験でした。夫は、やはり、中学校でもPTA会長を頼まれ、入学式や卒業式は祝辞を読み上げてました。
余命宣告されてから寿命を1年も伸ばして義父が他界しました。
義母は脳梗塞による認知症になり、
理解できない行動や言動に振り回され理解不足と対応力が無いため義母と接触には苦労しました。
私は自分の健康の事なんてお構い無しで働き動き続けました。
異変に気がついたのは義母が他界した年の50代の職場の健康診断でした、、
我慢は良く無いよ
体調不良が3年くらいはあって薬局で命の母を飲んだりしてました。今思えばかなり酷かったんだろうに我慢してればいつか治ると自然治癒力を信じてた
でも、、、
息切れ、脇と、股関節周りが窮屈、頭皮が異常に痒い、朝の軽いめまいと吐き気、酷い疲れ、お風呂で寝てしまう、歩いてるだけなのに頭皮が熱く汗だく、、
こんなに症状でてたのに、、
ある日我慢できなくて
隣町の婦人科へ受診しました
ホルモン注射とピルを処方してもらって安心してた
甲状腺の腫れを指摘
職場の健康診断で腫れを指摘されました
お年寄りの内科の先生いわく、、
見た目腫れてるなんてわからないでしょ、
触診したら固いね、と
結果通知行くと思うから
専門医へ行くといいよと
重症な橋本病
それからひと月後結果通知が届いたので専門医へ行きましたよ
重症な数値に、いままでの異変はこれで納得できて、心からホッとしました
家族に不調を不満で伝えたり不機嫌になって当たり散らしていたことを反省しました、
わ、た、し、病気✨
健康は自分で守らねば!!
自分の気持ちを読取り耳を傾ける
労うことが足りなかった
自分の健康は家族の和楽の為でもあるよね、、イライラしてたら家庭内暗くなるものね、、