命の対話師まつだまゆみです。
訪問看護の仕事を始めて、再び"死"を身近に感じる時間を過ごしています。
病棟で勤務していた頃と視点が変わったことをしみじみ感じる。
あの頃の私は死をタブー視して、どこかで哀れなこと、辛いこと…なんて土台に乗っかって仕事をしていた。
特殊な環境に身を置いているから。
私も生気を失っていくんだろうか…なんて、これまた人や物事のせいにしていたことに恥ずかしくなる。
もう一生看護師の仕事はしない!と決めたのに何故復帰したのか?との問いに答えながら仕事をしていてこう感じる。
死を意識して向きあうからこそ、
生を感じるし、生きることが輝く。
自分の死をイメージしたことはあるでしょうか?
今の命が終わることを意識したことはあるでしょうか?
よくわからない恐怖が浮かんでくるかもしれない。
その恐怖はとても大切な体験だと思っています。
私自身も一度流産をした時に胞状奇胎の可能性が強いと告知され、実際に死までをイメージしました。
その時に感じた恐怖や、他人事にしたい気持ち、抗がん剤治療?ホルモン治療?…色々と考えては感じた。
そしてふと思った。
残りの時間、嫌だと思い続けるのか?
どう生きたいのか?じゃないのか?
そう反転してから生きてることが有難くて、大切に過ごそうと自分にしみたのを思い出しました。
大丈夫だってなってからついつい忘れてしまっていました。
実際に働き始めて両極端な利用者さんに出逢い、より強く思います。
些細な日常を自分の意思をもって選択し決断して生きるのか?
恐怖から目を逸らしたいがために、全ての決断を誰かに委ね、苦痛だけにフォーカスして生きるのか?
同じように身体的な苦痛があっても、家族や経済的な事情があっても。
自分の意思を持ち、表現することで、周囲は難しいと思っていたことを全て整え、穏やかに死を迎えた。
その姿に、その言葉に、生き様に。
心を撃ち抜かれました。
こんな美しい死、こんな美しい最期までの生き方を初めて見せてもらった。
その有難さと余韻を今でも鮮明に思い出します。
死を捉え、自身で包み込むように受け入れた姿はとても神々しくて。
本当に美しかった。
誰だって死に向かっている。
現在、病を持とうが持つまいが。
最期の瞬間はやってくる。
人間である限り、肉体に限りはある。
そうだとしたら、そこに向かうまでにどう生きるのか?は大切なことだと思う。
何を欲して、何を選ぶのか?
自分自身の本当に欲しいもの、やりたいことを嫌だと思う経験をしながら見分けて手に入れていく。
死という闇があるからこそ、
生という光がより輝く。
そんなゲームをしに地球に生まれてきたのでしょう。
これからの時代は「誰かがこう言ってるから」の選択では苦しくなってきてしまう。
自分自身の生き様は自分で選択し責任を持つ。
それが最高に楽しくて、美しい生き様となっていくんじゃないかと思う。
そんな精神の自由を持つ時代。
世界情勢も大揺れになり、これまで当たり前にあったものがどんどんと崩れ去っていきます。
その時、自分の信じるもの、正しいと思うものを自分自身で選択できる。
誰かの声に迎合するのではなく、自分で判断する。
そんな生き方を自分はしたいし、そんな人々で溢れる日本になって欲しいと思う。
まずは己から。
そして、身近な環境を整えたいと思う今日この頃です。
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