最近は体調がなんだか落ち着かず、身体をなだめるように過ごしておりました。


そう、なんだか"なだめる"って感じ。


「ちょっとついて行けないよー!待ってよー!」って言われているような。


拒絶ではないのはわかる。


想いと身体のバランスをとっている最中なのかもしれないなぁ…と今朝思う。


無理矢理に動かそうと思えば動かせる、この身体。


かと言って、身体の方の都合もあるんだよね…なんて呟きが聴こえてきそう(笑)


不思議なんだけれど、昨日トイレに閉じこもる羽目になって浮かんだのがこれで。



訳がわからないだけなの。

わからないから、怖いの。

置いていかないで、わかりたいの。

置いていかないで。



なんて自分の身体に言われているような気がした。


自分の望みというか、意志が伝わってないんだなぁとぼんやり思う。


それが自分の中で染み込んで、確固たるものになってないというか。


もっともっと鮮明にして感じさせてあげる必要があるのかもしれないなぁと思った。


身体も自分の描くものを理解できるように。


そうしたら、恐怖で身体が萎縮することもないし、必要な時に備えられるのかなぁと。


その状態を目指して、身体から色々な要らないものが一気に出ていっているような感覚。


出して、出して、出して。


残るものは何?


残したいものは何?


そして、眠る。


いくらでも眠れてしまう。









最近仕事で人と接し、我が身を振り返って想うこと。



自分を諦めたら、心も身体も火が消える。


病が発端だったとしても、根底に横たわる自分への信頼や尊ぶという前提の有無で生活の質も変わる。


自己信頼がないと、どんどんと負のループに落ちていく。


本人無自覚。


どうして良いのかわからない。


真っ暗などこまで続くのかわからない、そんなトンネルに迷いこんだように。





そういう状況には誰だってなるのだけれど、そこでの気持ちの持ち方で見える世界が変わってくるのだなぁと思う。


ほんのちょっとのこと。


自分は大丈夫って感じられるかどうかでインスピレーションも思考も変わってくるんだなぁって。


その状況を上手く味わって糧にできるのか、自分を責める道具にしてしまうのか。


状況はただ、糧にする為に起こっているだけなんだけど。


捉え方で変わるだけ。


状況からわいてくる感情体験を味わえるかどうかで変わるだけ。


それを身体とも共有して、糧にする。


自分に寄り添いながら身体のポテンシャルを上げていく。


身体を壊さないように、管理をする筋トレのような。


魂と身体の二人三脚のイメージ。


そのバランスが崩れて気付くこともあって。


それさえもどう自分の人生の糧にしていくのか?


病を持つ、持病と生きるってそういうことなのかな?と。


そこを私はどうサポートできるんだろう?って想う今日です。






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