命の対話師まつだまゆみです。
自分にちゃんと聴いてみる。
「なんで?」って。
嫌な気分の時、モヤモヤする時…受け入れ難い状況の時は特に。
そうしたら、ちゃんと自分は返事をしてくれるんだ。
なんて書いてる私がすっかり抜け落ちてた!
真剣に自分に聴いてみた。
「なんでこんなにモヤモヤして、どうしようもないの?」って。
ひとつひとつ、書き出しながら。
出てくるものに、また「なんで?」を繰り返す。
そのうちに、、"あ、このまま行くとぶち当たる!"ってとこまで来て。
きっとここで見たくないから避けたり、無意識のうちに忘れてきた、って思った。
そうやって、守ってきたというか逃げてきたって。
まだ、無理!って見て見ぬフリしてきた。
でも、今日は素直に進んでみることにした。
もう逃げられないし、逃げたくないんだ!っていう意志があった。
そしたら、どーん!って目の前にお披露目された。
衝撃は胸の奥から全身に響いて、ぶわっと涙が溢れてきた。
家族に聞こえぬよう、声を殺して泣いた。
怖さが全面にドンって広がって。
しばらくすると、誰も私を信頼していない恐怖に包まれる。
しかも、私自身も私を信頼していなかった。
それがとてつもなく怖かった。
誰も、いない恐怖。
孤独。
更にはそんな自分であることが外にもれないように、バレないようにって監視する私。
それでも近づけば隠しようもなく誰にも近づかない、寄せ付けないようにしていたことを知る。
それをやっている自分に罪悪感と否定があるから、自分も騙すしかなかった。
それならいける!と思ったらしい。
自分でやってるんだから、自分で知らないなんてあり得ないのにね。
子どものようだ(笑)
今まで現実で起こってきた、
誰かに裏切られたような、騙されたように感じてきたこと。
それも、この舞台裏があったからなんだ!ってストンと落ちた。
あの人たちはそのように振る舞って見せていただけなのかもしれないなと。
というか、私がそれを体験する為だったんだなぁって。
今日に至る為に。
そう思ったら、有難いなぁって素直に思った。
ちょっとタイムラグがあって、もう会う事もないかもだけれど、ありがとうが届け!って思った。
そして、ここに向かうきっかけとなったのが夫で。
何度も何度も間違えて、しかもそのことをすっかり忘れるどうしようもない私を、守ってくれてたことに気付いて。
というか、その事実をやっと受け入れられた。
そうやって、ずっとずっと待っていてくれてたんだ…って思ったら向き合う勇気になった。
で、そんなことを思いながら感じた。
そんな夫は私自身でもあったんだって。
私は受け入れ難い自分を無きものとして、迫害してきた。
視線さえくれてやらなかった。
でも、こうして現実に不幸ともとれる出来事も、この瞬間の為だったんだなぁって。
そう思ったら、悪くないなって思った。
私、こんなに愛されてるって。
泣くだけ泣いて、ぼーっとする頭で思った。
ちゃんと、聴いてみるってしてるようでしてないなって思う。
衝撃的な出来事が起こったり、余程の意志がないとできなかったりする。
でも、ちゃんと聴いてみたら応えてくれるんだ、自分は。
私は私をこんなに求めてるんだって思った。
一人では立ち向かえないことも、誰かが見守ってくれたり、一緒にいてくれるって感じられたらできるんだ。
私が支えられていたように、私も誰かと共に在りたい、そう思った。
こんなに他人が信頼できず、距離をとってきた私だからこその欲求な気がする。
誰かの命の対話の立会人として、適切な距離に在りたい。
そんな関係やセッションを私にできること、として提供したいって思った。
ひとつひとつの愛しい命のために。
私がその物語を愛したい、そう思う。