命の対話師まつだまゆみです。
ほうれん草を調理していたら、突然にきた。
私、自分のルーツを全力で否定してたわって。
びっくり。
もはや、自分の中では当たり前の設定過ぎて見逃していた。
本当にびっくりした。
ありがとう、ほうれん草よ。
"どういたしまして!"
たまたま出身県が同じ、美しいだけでなく気持ちの良い発信をする方のことをふと思い出して。
あれ?なんで私、こんなに地元に苦手意識あったんだろう?って。
苦手意識どころか、さっさと出てひとりになりたい!くらい嫌な時期もあった。
今思うと謎なくらいの土地への嫌悪感。
そして、自分の血筋への嫌悪感。
成人してから改めて触れた、田舎の変な馴れ合いの中で優劣を競うような噂話。
そんなものに触れてしまったら、もうダメだった。
しかも、この人は大丈夫!って思ってた友人親子のその言動を見たら、もうダメだった。
そのうちに他の友達と会うこともなんだか気乗りしなくなり、帰省しても出歩くことも減った。
親類の気の滅入るようなあれこれを聴くのも嫌だった。
会ってしまうと、更にガックリときてしまう。
帰省しても引きこもりだったなぁ…
抱っこ魔でよく泣く息子を連れ歩くのがキツかったのもあったけど、それ以上に私の心に壁があったなと。
でも、ほうれん草を見て何故か思った。
その場所で生まれて育ったから、今の私って。
そんなところ、でないと私は今の私ではなかった。
"そんなところ"っていう体験がなければ、
私はこれが良い、こう在りたいはなかったよなぁって。
だからこそ、私の価値観が形成されていったんだなぁと。
今の私が憧れるのは田舎のように自然が美しい環境で暮らすこと。
正確に言えば、井戸のある庭の畑でほぼ自給自足の生活で。
周囲に暮らす人々とは、性質の違いはあれど思いやって助け合い、コミニュティをつくっていること。
共に生み出すのは喜びの連鎖。
かといって、先端の技術は必要だと思うから取り入れつつ。
今ではきっと思いつかないような、自然との共生で。
自然の営み。
生と死が常に共存するような、それを感じ命に感謝できるような生活。
自分の故郷やルーツを嫌だと思えたからこそ、私の望みが知れたしそこに向かう気持ちになれたんだと。
そして、その嫌だと思うものにも巻かれた経験もあるわけで。
私だって潔癖でいられたわけではなく、そちら側にもいた。
自分のルーツの被害者ヅラは辞めよう、そう思った。
私だってその加害者側にいた時もあったから。
そう思うとそうやって私に教えてくれる為の環境だったんだなぁと感謝したくなってくる。
全部、私はこうしたいを知る為に存在してくれた。
これが生まれを自分で選んできてるって言うことかー。
嫌なものは嫌だけども(笑)
私の道を照らしてくれるものだった。
そうやって振り返ると色んなことの見え方や感じ方が優しいものになった。
現金なものだ(笑)
私が私としてここに辿りつく為に必要だったルーツに、ありがとう。
私事ですが。
最近、インスタアカウントを新たに作り楽しくなりつつあります(笑)
是非!フォローしていただき観察してもらえたら嬉しいです💕
@mayumi_hakoniwa