最近、自分の中で混沌としたものを表現できずにいました。

外側から投げかけられたもので己を知る、
そんな時間を過ごしていたような気がします。

確認をされた、と言った方が正しいのか。


あの人はああ言ってる、こう考えてる、
ということを同じ出来事を通して見聞きすることができました。


自分への評価やアドバイスを含めて。


それさえもいっぱいある私の側面のひとつひとつだし、
私の人生のエキストラとも言える人々が映し出し、問うてくれていること。



私は何者で、
どうありたいのか?








誰かに言われたことをハイと聞いてそのままやるのは容易い。

そういう時間を過ごすことの方が人生長かったから。



自分を責めてやり過ごすことも容易い。

本当の問題から目をそらす免罪符にできるから。





じゃあ、この世界からの問い掛けにどうこたえる?





結局、私にとっての答えはわたしの中にしかないんだなぁ、という結論に至りました。


思い知らされたというのか。


ここまではしっくりくるけど、この先はちょっと違うなぁ…


やってみようと思ったけど、それは私なのかな?

私である必要なくないか?


色々と検証して考えると動けなくなって、自分で自分を縛っていることに気付く。


あれ?
これって本末転倒ってやつではなかろうか?





こんなことでもなければ本気で己の姿を振り返ることはしなかったと思う。


私がどうしたいのか?に真正面から向き合うことをしなかったと思う。


私という存在は何者なのか?


どんな得意や不得意があって。


私にはどんな欲があるのだろう?



そうやって自分自身に橋をかけようと思った。



ストップが入って良かった。


それをせずに前に突き進むには船は脆すぎた。





正確な情報が必要だ。


自分の辿り着きたい現時点での目的地は?
(いつでも変更可能です!)


そこまでの地図は?目安は?


自分の船に合ったアイテムは?


乗せるお客様はどんな方だとお互いに快適?


航海に必要な物資は何?どれくらい必要?


などなど。


きちんとを把握しようと本気になっている。


それまでは来た波にただ乗ってみた。


それは大切なこと。


これからしたいのは、波に乗って自身で舵をとること。


身体全身で周囲の環境を感じて、
全身で手に入れたどの情報を採用するのか?


そして、どう動くのか?



さぁ、どうする?って試されてる気がする。



そして、自分へ繋がる橋の補強をしている。



それが出来ずして、外の誰かに橋をはかけられないんだなぁ。


そう思った。


さて。


動く前の準備がもう少しで整いそうです。


今の時間を大切に過ごそう。


そう思う夜です。