昨日、そういえばレモンもらったんだったって思い出して。


ポン酢風の味付にしよーって絞ったんです。


絞りながら、

肥料や農薬使われてる子たちはあまり喋れないのかなぁって考えてたんです。


れんこん先生たちとの衝撃の出逢いをしてから、

自分に余裕がある時は話しかけてみてたんです。


と言っても最近まで身体がスッキリしなくて回数重ねてないのですが。


何となく声が小さかったり、

調理を始めて目が覚めたみたいにムニャムニャしてるって印象だったんです。







昨日のレモンは夫の実家からのふるさと便で来た子でした。


どういう育ち方をしてきたのか?とか全く分かりません。


淡々と絞っていたらレモンの香りがふわっと包み込んできて。


あー、どんな所にいたんだろうなぁ?


お日様いっぱい浴びて気持ち良かったのかなぁ?


瀬戸内は風も穏やかなのかなぁ?


なんて思っていたら声がしました。











自分達だって生きている。

農薬とか肥料とかっていうけれど、生きていることには変わりない。

人だって障がいとかって言って違うような扱いするけど、

生きている命ということに変わりはないよね?

実際、こうやって話してる。

聞こえてるでしょ?

育ててくれた人は大切にしてくれた。

その方法が肥料や農薬を使うことだったけど、

大切に育てられて、ここにいる。

価値がついているものを大切にするけど、
自分の子どものこともそうやってみて扱うの?

違うよね?

同じように愛して欲しい。

きちんと命あるものとして扱って欲しい。

声をかけて欲しいし一緒に生きて欲しい。

どうしたら自分の命のエネルギーを渡せるんだと思う?

最大限に引き出してもらうには、

食べて一緒になる人という存在が、

どう作って、

どう扱って、

どう食べて、

どう生きてくれるのか。


それがこの地球上で巡って、

いつか自分の所に帰ってくるんだ。


ただ、その繰り返し。


本来の巡りのリズムを取り戻せば、

この世界の景色も変わってくるんだよ。


みんな元気になる。

それを知っていれば、

どう自然と命と向き合うかって方向は変わってくるんじゃないかな?


だから、手を取り合っていこう。


大丈夫、できるよ。











聴いていたら泣けてきちゃって。


一人キッチンで嗚咽してました(笑)


私、野菜は農薬や化学肥料使ってないものしか本物じゃない!


って思ってたんだなぁって。


これ、レモンが言うように人だとしたら差別ですもんね。


人じゃないって邪険に扱ったり、

捨てたりできない。


生きている野菜なんだ、みんな。


本来の自然な姿とは違ったとしても、命ある存在。


それは良い悪いではなく、現状で在る存在。


確かに、一般的なスーパーで買ったお野菜も、

ゆっくりお水を取り替えながら農薬落としてあげたりすると(毎日できてるわけじゃない)、

最初は何も言わないけれど、

丁寧に扱ってるうちに目覚めるような手ごたえがある。



肥料や農薬で沢山、綺麗に育てられて。

そのおかげで助かっている面もあるけれど、

大切に命を使い切ることを意識しているのかな?って。


野菜もどうせなら元気でいたいだろうし、

美味しく食べて欲しいだろうな。


とりあえずの空腹を満たすだけっていう扱いは悲しい。


テレビやスマホ扱いながらじゃなくて、

ご飯に集中して食べた方がお互い嬉しいんじゃないかな。


見た目が美しくなくて美味しそうじゃないからとか、

逆に不自然な育て方されたから嫌だとか。


そこの良し悪しは本当の改善すべきポイントではなくて。


まずは目の前にある命(自分自身を含め)を大切にできる余裕を持つこと。

その命を愛でて感謝が自然とわくような。

その命を使い切れるように。


そして、その命の輝きを最大限に引き出す為にできることは何か?

将来の命(未来の子どもたち)のことも考えて。



そんなことを考えることができる、

有難い時代が来ているんだなぁと思います。


食糧を大量に確保しなければならない日本ではない。

(流通とか経済的なことは置いておいて)

食べ方も意識すると違ってくるんじゃないか?


どう命と向き合うか?

を考えて行動できる環境。


どうしたら、循環できて調和するのか。

それを当たり前にできたら世界は変わるんだろうなぁと思います。


誰よりも、私自身ができることからコツコツとやっていきたいなと思うのです。