小学校の教師をしていた私の母。

専攻は美術・・・小学校だから「図工」と言われていたけれど、母は おそらく世に言う「右脳」が優先して働いていたのだと思う。

基本的にはサウスポーだった母・・・。

でも、当時は強制的に右利きの訓練をさせられたと言っていた。

そんな母が、定年退職を迎えたのち、その右脳が赴くままに楽しく生活したことは当然のことだと思う。

絵画にステンドグラス製作、手先を思う存分に使った木目込み人形作り、そしてパンフラワーやパン粘土での人形作り、三味線や大正琴の演奏等々・・・。

やはり教師をしていた親父と退職後に、二人でヨーロッパの国々を彷徨い歩いたのも二度あった・・・。

そして宮城蔵王の麓の町遠刈田に結んだ草の庵は、友たちとの親交の場を兼ねたアトリエに・・・。

父は人生を詠った短歌やエッセイを纏める書斎として・・。

大活躍の遠刈田の庵・・満天星亭と称して愛した。

 

その庵は秋山沢という清流のすぐそばに建っていたのだが、台風や大雨の折に暴れ川と化す秋山沢の河川拡張と護岸工事計画のために県によって買収され、解体されて消滅した。

それから月日が経って、父も母も遠い浄土へと移り住んだのだが、その意を私とワイフが継いで同じ分譲地の中に土地を求めビーヴハウスという小さな庵を結んで、父母の作品たちを移転・収蔵している。

 

このパン粘土の人形は、先日仙台の自宅へ持ち帰って玄関に飾っておいたもの。

その傍らには、ビーヴハウスの北側を流れている松川から拾い集めて来た石に、私が顔を描き入れた「お地蔵さま」たち・・・(笑)

今日は、久しぶりに生前教育パパと教育ママをしていた両親に纏わる話を綴ってみた。