ジュリアナ東京一日復活 | おしまの日常 Beautiful life

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フィギュアスケートや、クラッシックなど基本的に美しいものが大好きです。
G&Gを越えるスケーターには今後も出ないと確信しています。

バブル絶頂期の女子大生が一番もてはやされた時代の象徴アップジュリアナ東京が一日復活したとか・・・




すごい時代でしたね~~~クラッカーみんなが狂っていたとしか思えないビックリマーク



そしてワタクシもそんな狂った中に入れていただいたことがあります。


当時勤めていた会社の秘書ひらめき電球Mちゃん(私と同じ年)がモデル(元)をやっていた関係で、超派手、派手な遊びが大好きで、「どこどこの社長さんが知り合いで~~~~」などと言うのが得意だった。、当時入るだけで3時間も並んだ、ジュリアナも彼女が社長と親しく、私たちはいつも顔パスビックリマークいつもVIPルームだった。彼女といると、いつでも、どこでも顔パスだった。


Mちゃんはいつも男の人にちやほやされてる女の子だった。

なぜ私が彼女と仲が良かったのか?多分同じ年で、しかも私は彼女に逆らうこともなく遊んでいたからかもしれない汗



「ジュリアナ東京」と検索したらこのように出てきた↓



”所在地だった港区芝浦~海岸地区は、バブル期にはウォーターフロントと呼ばれ、「芝浦ゴールド」や「オーバー」といった有名ディスコが存在し、1980年代のディスコ・ムーブメントの発信地として脚光を浴びるジュリアナ東京の映像が「バブル景気を象徴する光景」”


はい!まさにその通りビックリマーク

私たちは毎週のように芝浦に遊びに行っていた。(人のお金で・・・)←Mちゃんの取り巻きの男性たちが全て払ってくれていたと思う・・・よく覚えてないあせる

こちらは「オーバー」で石田純一さんに会った時ビックリマーク
みんな汗かきながら踊って、座るところもないのに、私たちはいつもVIP席アップ
正直ワタクシ、このような遊びは好まない・・・踊るのキライだしDASH!汗黄色いジャケットがMちゃん!
今でいうと、「正義の味方」というドラマのお姉ちゃんみたいな子。要は姫扱いしないと怖い!!!

 




この時はまだ地味な感じ・・・

Mちゃん(真ん中)がなんでこんな地味な格好をしているのか???
彼女はいつも当時流行の「ワンレン」「ボディコン」だったのに・・・・

彼女はみんなに「私は目白台に住んでるの!目白じゃないですよ。目白台ビックリマーク」と言っていた。彼女の中で「台」が重要らしい・・・(本当は目白でもなく目白台でもなく、目白の近くあせるに住んでいた)そして「パパは社長!」(だった・・・が抜けている汗


当時池袋方面に住んでいた私たち!なのに、なぜか男性に迎えに来てもらう待ち合わせは必ず赤坂プリンスか、西麻布の「キャンティ」ビックリマーク西キャンといえば当時とってもステイタスな場所だった。(今もそうかもしれないけど・・・)



今でこそ、「めざせ!マリーアントワネット」などと言っているワタクシですが、今思えばMちゃんはまさにマリーアントワネットキラキラだったかもしれない・・・じゃあ、私は????そうねぇ~~、Mちゃんの取り巻きに加えてもらった1人の召使だったかもね~~~~^^;


自分では行かないような場所だったり、高級な場所ばかり連れて行ってくれたけど、(彼女の取り巻きの男性たちが)やっぱり私は楽しくなかった・・・こういう遊びは向いてない・・・


でも彼女がいなかったら「バブル」な遊びは出来なかったから今となっては、経験としていい思い出の一つかなぁ~~~???


もう17年前の話のことだって・・・あせる



ちなみに私はボディコンも扇子も持ってませんよ^^;