みーちゃん | 茗荷谷美容室、オーナーのブログ

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茗荷谷でナンバーワンから始まり、文京区でナンバーワン、東京でナンバーワン、日本でナンバーワンの美容室を目指して!!

僕たちはていねいであること、安心であることに徹底的にこだわります。

自分が忘れないように、

今日は久しぶりに書こうかな。


初めて足立区の竹の塚にやってきた。

茗荷谷から50分くらい。


親戚のみーちゃんが危篤で、

病院が苑田第一病院っていう、

竹の塚の病院だった。

88歳だっていうから大往生。


みーちゃんのおうちは茗荷谷。

竹の塚にはゆかりはないと思う。

終末医療の病院だからかな?


コロナの関係もあり、

いよいよってならないと

面会はできなかった。


お昼にタクシーで行って、面会。

意識はほぼないけどすこーし反応はする感じ。


いったん病院出て、竹の塚のマックで

仕事しながら待機。

陽が落ちて19時くらいにもうお尻も痛いし

茗荷谷に戻る。


電車で仲御徒町からバスに乗り換えたあたりで

再度連絡。いよいよもう厳しいと。


茗荷谷に置いておいたバイクで

再度、病院へ。


20時10分に着いて、病室に行ったら

20時7分かな?ついさっき息を引き取ったと。

触ったらもう少し冷たくなり出してた。


あとは葬儀屋さんに任せて僕は帰宅。

少し疲れてて道を間違えたら

たまたま美味しそうなラーメン屋を発見。

なんか久しぶりにがっつり食べたくなって、

もりもり食べちゃった。


22時、帰宅。葬儀は月火みたいで、

参加できそう。よかった。



2011年4月、5月、6月

建設中のスカイツリーが徐々に高くなり、

3月には震災があった頃。


僕は前の職場を退社して、

こっそりと独立の準備をしていた。


以前の職場に近い銀座か、

実家に近い浅草で物件を探してた。


完全にフリーになって時間もあり、

ちょくちょく父親の墓参りをしていた。

働いてた時はあんまり行かなかったし、

正直ちょっと神頼み的な感じもあった。


そのお墓ってのが茗荷谷にあった。

ある時、お墓をたわしでゴシゴシしてたら

「誰だい?」って話しかけてきたのが

みーちゃんだった。うちの父の姉。


ユーモアがあって、結構毒舌で、

飄々としてるけど頭がいい、

みーちゃんはそんな感じ。

僕が小さい頃から仲が良かった。


いろいろ事情を話すと、

みーちゃんが住んでる茗荷谷の家の

一階が倉庫で、そこなんかどうだい?って

言ってくれた。


早速その足で中を見せてもらったんだけど、

ジャンプしたら頭ぶつけるくらい

天井が低くて、もう何年も使ってないから

めちゃくちゃ埃まみれでカビ臭くて。

そして狭い!


しかも人通りもほとんどないし、

これはあり得ないな、、、と思った。


帰ろうかと思ったら、テーブルの上に、

埃まみれのアルバムを発見。


中を見てみたら、僕の知らない、

20代、30代の父親の写真が

いっぱい出てきた。


「無心」ってこの時のこと言うのかな。

気付いたら1時間近くアルバム見てた。


アルバムをそっと閉じて、

倉庫の真ん中で目を閉じた。


嘘っぽいけどほんとの話で、

明るい店内で、スタッフもお客様も

とても楽しそうしている情景が

はっきりと見えた。


なんとなく、父親が

ここでやってほしいって

俺がついてるよって

言ってる気がしたんだ。


内装の方に見てもらって、

可能だと言われたんだけど、


だいぶ後にその方には

当時、あの場所だったら

絶対潰れると思ってました、、、

と、言われたくらい、微妙な立地。


みーちゃんも快諾してくれて、

晴れてビューティズム1号店は

茗荷谷の裏路地にひっそりオープン。


みーちゃんは何度も髪切りに来てくれて、

お菓子とかよく持ってきてくれて。


オレオレ詐欺にお金振り込もうとしてたとこ

僕が止めて、犯人捕まえたこともあったな。


歳も歳だし、

あんまり外出もしなくなっちゃってたけど、

みーちゃんはいっつも気にかけてくれて、

いっつも応援してくれてた。


数ヶ月前に髪切った時は

痴呆はあったけどちゃんと会話もできたし、

僕のこともわかってくれてた。


2024年9月。

ビューティズムはめっちゃ順調で、

スタッフにも恵まれ、順風満帆。


みーちゃんのおかげだよ。

ほんとにありがとう。

みーちゃんには子供がいなかったから、

きっと僕のことを我が子のように

心配してくれてたんだろうな。


きちんと美容師してる姿、経営してる姿を

見せることができて良かった。


もっともっと、

「人が輝く美しい経営」

をしていくから、見守ってて。


だいぶ先かもしれないけど、

そっちでまた会いましょう。


2024年9月5日