「ごめんね・・・」 | 「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽  

「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽  

かけがえのない大切な時の流れ・・・
心の窓を開いて望む一瞬の風景を、優しい言の葉で綴ります。



9月です。朝の風がちょこっとだけ心地よくなった・・・気のせい?!


日々、性別や年齢を問わず、尊いご生涯を閉じ逝かれる方々の

お見送りに立ち合わせていただく私たち。仕事を通じて

今日、今ここに生きていることは、決して当たり前のことではなく

命の奇跡であることを実感するばかりです。



亡き母と同じ大正生まれのおばあちゃまのご葬儀。

ご主人やお子さんを見送られた悲しみを乗り越え、気丈に歩まれ

晩年は趣味を楽しみ、介護施設では若いスタッフにも愛されたという

とても優しいお人柄のにじみ出るご遺影に、つい母を重ね合わせ

引き寄せられるかのようでした。そしてその翌日、受けた依頼の

詳細内容には、絶句しそうな文字が並んでいました。

故人は、満3か月の男の赤ちゃんでした。

担当者との打ち合わせの際に、念のため死亡診断者を拝見することが

ありますが、そこには先天性の心臓病を記す病名が書いてありました。

それはかつて我が子(三男)が出産後の精密検査で言い渡され

幸いにも満7ヶ月頃には自然治癒した、赤ちゃんには比較的多いと

される病名でした。きっと定期的な検診で様子を診ていこうと

入院することもなく、普通の生活で成長を見守ってこられた

ご家族だったのでしょう。それが突然の呼吸停止で、永遠の眠りに・・・。

式場に伺うと、あえて明るい色の可憐な花々で作り上げられた

花祭壇の真ん中で、今にもキャッキャッと笑う声が聞こえてきそうな

愛らしい笑顔のご遺影が、目に飛び込んできました。柩の横には

小さなベビー服や乳児用のおもちゃ、誕生からこれまで毎日のように

撮影してこられたはずの写真がいっぱい飾られています。

そして最前列の席に、小さな赤ちゃんを抱っこして愛おしそうに見つめ

名前を呼んで話しかけておられる、若いご夫妻の姿がありました。

参列されるご親族の中に、同じような月齢の赤ちゃんがいるのは

ご遺族にとってはとても辛いことだろうなあと、司会台からその光景を

しばらく見つめていた私は、ハッと気がついたのでした。

それは、亡くなってしまった赤ちゃんを、まるで寝かしつけるように

しっかりと抱きしめて涙ぐまれるご両親だったのです。


導師をお勤めいただくお寺様も到着なさり、開式直前になって

赤ちゃんはお母さんの手からお柩に寝かされ、「〇〇、ごめんね。」と

泣きながら席に座っていただきましたが、静かに流れる読経にも

お母さんの嗚咽が重なり、隣席のお父さんが背中をさすりながら

支えていらっしゃいました。

閉式して献花のひととき。いつもならカサブランカの白い大きな花を

添えていただいたりもしますが、小さな柩の中の赤ちゃんが、花で

埋もれてしまわないように、カーネーションやトルコキキョウなどの

小さめのお花を皆さんで捧げていただきました。その間もずっと

お母さんは「ごめんね、ごめんね・・・」と繰り返し叫び続けて

いらっしゃいました。

我が子が生まれた喜びも束の間、出産の痛みをしのぐほどの

悲しい心の痛みと、こんな病気を背負わせて生んでしまった子への

申し訳なさで一杯になる気持ちが、「ごめんね」に込められています。

そう・・・遠い昔、私も病室で何度も何度も心の中で叫んだ一言です。

先天性の病気を持って生まれた子どもは、決して母親に全ての

責任があるわけではないにしろ、そんな気持ちにならざるを得ない

心境はどうしようもありません。

親子を乗せた霊柩車を見送り、それまでのほんの数時間の光景を

振り返るだけで、涙がこぼれそうになりました。きっと車中でも

あのお母さんは赤ちゃんをその手に抱きかかえて、母のぬくもりを

冷たくなった我が子に分け与えてあげたかったことでしょう。

以前、生後1ヶ月にも満たない乳児の拾骨に立ち会ったことが

ありましたが、つまようじの細さほどの骨を、熱いのも忘れて

指でそっとすくいあげては、小さな骨壷に詰めて大事そうに

持ち帰られるご遺族の姿が、記憶の底から蘇りました。

私もこれまで、何人もの幼いお子さんのご葬儀に携わっては

きましたが、今回の赤ちゃんが最年少ではなかったかと思います。

葬儀という、大切な人の最期の場面に携わる者として

立場によって異なる心情に、どれだけ寄り添えるか

かつ踏み込みすぎない距離感を大事にするかも

心得るべきものではないかと思っています。



人はこの世に生まれ、年齢を重ねるにつれて

いろいろな立場での経験を積み上げていくことになります。

まず家族間でいうと私は女性ですから、娘として育ち、結婚して

妻となり(+嫁)、子どもを授かって母となり(+姑)、つい先日

孫が生まれて、とうとう祖母となりました。

社会的には、多くの友人にも恵まれ、仕事上では師匠をはじめ

信頼できる同業のお仲間や関係者、またこのブログを通じて

直接の面識はなくとも、ステキなお付き合いをさせて

いただく皆さんにも囲まれています。


子どもが親を見送る・・・私自身すでに両親を見送った経験が

ありますから、たとえ5~60代の方であっても男女を問わず

悲しみの涙に震えられるお姿に、切なさがこみあげてきます。

生涯を共に歩くと誓った伴侶を失くすことは、わが身の半分が

消えてしまうほどの喪失感があるに違いありません。

また、親の立場として我が子を見送ることほど残酷で

胸張り裂けんばかりの絶望感に包まれることも

容易に想像できます。そして今、孫という無条件に可愛い

存在である、幼い命の重みを感ぜずにはいられません。

今日まで私が生きてこられたことに、あらためて感謝をしよう・・・。

大切な家族が今日まで無事に成長し、元気でいることに感謝をしよう・・・。

きっと明日も、笑顔で言葉を交わすことができるようにと願おう・・・。



小さな小さな命が、大きな大きな真実を教えてくれたお別れでした。



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