伝えたかった一言 | 「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽  

「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽  

かけがえのない大切な時の流れ・・・
心の窓を開いて望む一瞬の風景を、優しい言の葉で綴ります。



年が明けて、はや睦月も終わり・・・。

寒暖の差が激しくて体調管理にも気を抜けない日々が続いておりますが

季節は確実に春へと向かっています。木々の枝先に顔を出し始めた蕾が

少しずつ膨らんでゆくのも楽しみです♪



大切な人を見送られるご遺族の悲しみは、言葉に表わしようのない
悔いを

ともなっていることも少なくありません。病床にあって、別れの覚悟を

していたとしても、果たしてその思いを十分に伝え合っているとは限りません。

まして、その日の朝まで普通に会話を交わしておきながら、夜には

信じ難い対面となってしまわれる、そんな現実も実際には多いのです。


単身赴任が多かったと言う、50代半ばの男性。奥様と3人のお子様は

月に数度しかない家族団らんをとても楽しみにしておられ、たまたま

お父さんの今年の誕生日が日曜に重なり、久しぶりにお祝いをしようと

ご本人には内緒で計画を進めていらしたそうです。

ある休日の朝、疲れた表情で起きてこられたご主人に、奥様は

「体調良くないんなら、病院で診てもらったら?」

と、声をかけられました。それまで大病ひとつなく、健康にも気を使いながら

過ごしていらしたご主人でしたから、それほど心配もなさらなかったとか。

ところが、その日の午後になって、診察に向かわれたはずの病院から

奥様に連絡が入り、駆けつけられた時には、集中治療室で大勢のスタッフに

囲まれて、心臓マッサージを受けておられるご主人の姿がありました。

それから3日間、ただただ意識が戻るのを願って祈り続けた甲斐もなく

さらには、誕生日のわずか5日前に、プレゼントも渡せないまま
あまりにもあっけないお別れとなってしまわれたのでした。

お通夜には、故人の会社関係者はもちろんのこと、奥様も幅広い

交友関係をお持ちのようでしたから、ご友人やお子さんを通じて

訃報を知り、参列された方々。さらには、お子さんの中学・高校の

同級生の皆さんたちまで、式場に入りきれないほどの人数で

溢れかえり、ご焼香の列は延々と続きました。

通夜のお勤めが終わり、散会後もご遺族のそばにはたくさんの弔問客が

代わる代わるご挨拶や慰めに集まってこられ、喪主である奥様が

気丈に対応なさる中、まだ中学生のご長男に優しく声をかけて

抱きしめる男性がいらっしゃいました。担任の先生だったのでは

ないでしょうか?それまで必死で我慢していた緊張の糸が切れたのか

先生の胸元に顔を埋めて大泣きする彼の姿に、ついつい私ももらい泣き・・・。

「〇〇、頑張れ。オマエがしっかりせんといかんぞ。男の子やろが!」

ご自身も涙をこぼしながら励ましておられる、先生の言葉を聞きながら
私は「彼らは十分頑張っているんですよ。今だけは、頑張らなくても

いいからと泣かせてやってください。」と、心の中でつぶやいていました。

そして、同じ制服を着た男の子達も、彼らなりに言葉を選んで接して

いるように見えました。今、友達が失くしてしまったものがどれだけ

大きな存在であったか、またそれぞれが自分に置き換えて親を見る

そんないい機会にしてくれたらとも思いました。

お柩のすぐそばに置かれた、一枚の色紙。そこには、ご家族一人一人から

お父さんへの感謝のメッセージが綴られていました。

ご長男からは、「お父さん、いつも僕のことを心配してくれて

ありがとう。もっともっとお父さんに教えてもらいたいことがあったのに

残念です。これから頑張るから、空の上から応援してください。」

高校生のご長女は、「お父さん、たまにしか会えなかったのに、話しかけて

きてくれたり遊びに誘ってくれても、嫌がったりして本当にごめんなさい。

お父さんのことが大好きだったのに・・・。」と、思春期にありがちな

父と娘の微妙な関係の真っ最中に、決して本意ではなかった接し方への

お詫びの気持ちが切々と綴られていました。

そして奥様からのメッセージは、短いながらもこれに勝る言葉はないでしょう。

「〇〇さん、あなたの妻で幸せでした。愛しています。」

日頃、面と向かって言うには恥ずかしいけれど、きっと言われて

喜ばない人はいないでしょう。生きているうちに聞いて欲しかった言葉では

なかったでしょうか・・・。



日本人は、人前でハグしたり頬にキスしたり、言葉でストレートに

愛を語るなんて、なかなか出来ませんからね。愛情であれ謝罪であれ

憎悪であれ(笑)、相手に直接伝える機会を、逸していることが多いのかも

知れません。もちろん、ストレートな表現がいいとばかりも言えませんけど。

先日のお通夜の際に、あるご導師が法話で語っていらっしゃいました。

「私達に、明日という日を生きる保証はされてないんです。ですから

 ありがとうという感謝の気持ち、ごめんなさいというお詫びの気持ちは

 先延ばしすることなく、今、その瞬間に伝えておかなければ

 伝えきれなかったと悔いたまま、逝ってしまうこともあるのです。」

親子や夫婦であっても、いつも「ありがとう」や「ごめんなさい」を

躊躇することなく言い合えれば、気持ちも和らいで笑顔を取り戻すことも

多いのでは・・・。


「窓辺の風景」 ・・・喜・想・哀・楽