少し間があいてしまいました。


先日2月11日、母の四十九日でした。

四十九日は読経してもらったり、納骨法要、御斎(会食のことらしい)などがありますが…
実は今回、メインとも言える納骨法要をしていません。

母が入る予定だったのは実家のお墓(祖母が亡くなった時祖父が建てた)ですが、遠方にあるため私も姉も行くのが難しい。


姉は新しく母のお墓を建てたいそうですが、生前母は家族のいる所(両親と分骨した姉がいる)に入りたがっていたこともあり、ちょっと協議中なのです(私は母の希望通りにしたいけれど、確かにあまり行けなくなる)。
母は寒がりでもありますし、どちらにしても暖かくなってから入ってもらうことになりそうです。


話が少しそれますが、納骨といえば、母の姉のK伯母さんの時の納骨について、この前従姉弟から聞けたのでした。


伯母のお葬式の際に喉仏の骨だけ母がもらって、それは祖父母と同じところに入っているのですが、なんと主な部分は今もお墓には入らず、伯母のお骨は伯父の家の中にあるという。
ちゃんと夫婦のお墓を建て、一度納骨したのに、伯父が「こんな所にひとりで置いていくのは可哀想だ」と言い出し、お墓から出してしまったとか。

伯父の、寂しさはわかりますが、私は骨=その人とはあまり思っていないので、理解しがたい感情ですが、きっと伯父は骨を手放すと本当に伯母が遠くに行ってしまう気がしているのかな……。

 

 

ちなみに私ですが、四十九日が過ぎようが何も変わってないです。

近所で何か面白いことがあると「母に教えてあげよ〜」って今でも思ってしまいます。
母が亡くなっていることはちゃんと理解しているのに、真っ先に頭をよぎってしまうんですよね。
そんな日々の細かい楽しみを失った喪失感がじわじわしみてきています。
亡くなった直後のショック期から喪失期?というものに移行したのかもしれません。号泣するような強い悲しみとはまた違う、心にのしかかるような感じです。


姉も、まだあまり母のことを積極的に話す気分になれていないようです。
昨日不意に6月頃に姉が家に来た時の話になり「あの時はまだお母さんは元気そうに見えたよね」と言ったら、悲しそうに俯きながら頷いたり。
過去の元気な時の母の話なら出来るようですが、最近の話をすると表情が曇ってしまうので、昨日はそれ以降はあまり触れないようにしました。


そんな感じで四十九日は過ぎましたが、ただ過ぎたというだけです。


あ。そういえば前々回あたりで紹介したグリーフケアの本、全然読み進んでないです……(小説のようにストーリーがないので先への興味があまり持てない)読み終わったらまた感想を書くかもしれません。(時間かかると思います)