少し前に買った「家族を亡くしたあなたに」という本、ちょっとだけ読んでみました。

プロローグに作者の死別体験が乗せられており、第1章〜6章までは死別のショックから悲しみのプロセスについて。
7章は子供を失った悲しみについて、8章は配偶者を失った悲しみについて、9章は親を失った悲しみについて、10章は家族全員の悲しみについて、11章と12章は別れの儀式や立ち直りについて。

とりあえず、プロローグの作者さんの死別体験を読んでみました。

私は棺に入れられた叔母さんの顔を見ることも、葬儀に参列することもしませんでした。(略)当時も今と同様、心に傷を残すからという理由で子供たちは「忌まわしい場面」から遠ざけられるのが当然とされていたのです。

  引用元:「家族を亡くしたあなたに」P17(キャサリン・M・サンダーズ著/白根美保子訳)

 

作者さんがアメリカ人なので文化の違いが当然ありますが、それに加えて時代の違いもあるかもしれません。おそらく作者さんが子供の頃っていうのは1960年代かそれよりもっと前のようなので。

 

子供を参列させないのもですが、葬儀を「忌まわしい場面」というのも日本とは違うな〜と思ったので、読み進めるともっと文化や風習、時代の違いを感じることになりそう。

 

この後、自分の子、兄嫁、娘の夫、自分の母親、自分の夫との死別の時の話が書かれていきます。そこから母親との死別について引用します。

どの年齢の人間にも親の死は大きな喪失感をもたらします。老いた親の死を深く悲しむ成人の子供がいることを知らない人がなんと多いことでしょう。

  引用元:「家族を亡くしたあなたに」P36(キャサリン・M・サンダーズ著/白根美保子訳)

 

確かにそうかもしれない。何より私自身が、成人してからの母親との死別がこんなにつらく耐え難いとは知りませんでしたから。

日本では「親は先に逝くのが当たり前」という風潮だなと思ってたけど、アメリカでもその辺りは同じらしい。

 

親が先なのはわかっていても、私なんかは未だ受け入れ難いというか、1ヶ月経ってよりしんどくなってきてます。

 

作者さんは亡き母がいくつで亡くなったか聞かれることが多く、「81でした」と答えると「まあ、長生きなさったのね」と返され非常にモヤモヤしたみたいです。

このモヤモヤはわかりますね。相手は「亡くなったのは悲しいけど長生き出来たからよかったですね」と言いたいんでしょうけど、亡くなったこと自体を悲しんでいる人に言う言葉ではない。

 

 

国や文化、時代のギャップはあれど割と作者さんの気持ちは同意できるものが多かったので、とりあえずこの後は読みたい章を読んでいこうと思います。