最初の月命日でした。

未だに心の整理はついていません。

 

今回は母の腎がんについてわかっている範囲での時系列を書くことにしました。

と言っても発覚、入院、最後の時までが短すぎるので、過去の関連の出来事も載せています。

なるべく主観などは省き、出来事のみ書いてます。

 


20??年(5年以上前) 

腸炎になり、近所の病院を探していたところ、徒歩圏内に内科・消化器内科のAクリニックを見つける。(※本人談)

2020年 春頃

私(次女)と同居開始。近場の賃貸マンションへ引っ越す。

すでにAクリニックがかかりつけになっており、二週間に1度必ず通っていた。腰痛持ちなので腰痛の薬(ロキソニン錠剤、ロキソニンテープ)を毎日分出してもらうのが主だった。ロキソニンは通院しはじめた頃から毎日飲んでいるようだ。

2022年 夏頃

血尿が出る。Aクリニックで「膀胱炎」と言われる。
薬を出されいったん落ち着いたが、1ヶ月以内に再発。(※1)

2023年 夏頃

体調を崩して10日ほど寝込む。Aクリニックで「夏バテ」と言われる。

2023年 夏~秋

体調を崩すことが多くなる。
血圧が不安定で降圧剤などを処方される。血圧は下がる。
自転車に乗っている最中に動機がひどくなり倒れそうになった。
家のトイレで貧血を起こし短時間気を失った(※2)。

「ずっと背中が痛い」と言い、ロキソニンを飲む量が増えていた。

2023年11月

Aクリニックで尿検査。尿蛋白が多すぎるので詳細に検査をした方がいいとAクリニックから他の病院(B病院)に検査を依頼。


2023年11月21日

B病院にて詳細に検査が行われ、肺に癌が見つかる。

すでに複数箇所転移もしており、B病院は終末医療は行っていない為、C病院を紹介される。
C病院へ行くとすぐに入院するように言われるが、急なので「来週にしてほしい」と言うと「来週だと救急車になりますよ!」と言われ、24日に入院することに。


2023年 11月24日

C病院の呼吸器科へ入院。

B病院での検査やレントゲンをもとに、「肺と肝臓、ふくじんに癌があり、肺癌が進行しているので余命は半年持てばいい方」と言われる。抗がん剤などで進行は遅らせることが出来るかもしれないとも言われた。(※3)

入院時本人がロキソニン・ロキソニンテープを持ち込んだが「腎臓に良くない」と言われ返される。

→C病院で検査をし、癌の大元が腎臓であったことが発覚。肺癌も腎臓からの転移。片方の腎臓が癌細胞に置き換わっており、機能していない。すでに抗がん剤などの治療も不可能。数日中に亡くなってもおかしくないと言われる。ホスピスや緩和ケア病棟に転院を勧められる。

2023年 11月25日
緩和ケア(医療用麻薬)が始まる。オキシコンチン(オキシコドンと同じ)とオキノーム。
C病院内で呼吸器科から泌尿器科へ移動。個室から大部屋になったので、面会の際に本人が車椅子に乗ってデイルームまで来ないといけなくなる。

2023年 12月9日

15時から面会の予約。午前中に母から差し入れの希望のLINEも来ていた。

14時代に病院から電話。

午後から体調が悪くなり、車椅子に乗れないので今日の面会は出来ないと連絡。差し入れだけ渡して帰る。
母からLINEが来たのはこの日が最後になった。

2023年 12月11日

緩和ケア病棟のあるD病院へ転院。

9日午後以降体調が戻ることがなく、車椅子に乗れなくなったのでストレッチャーで移動。上体を起こすことも難しくなる。話すのも大変な様子になる。「呂律が回らなくなっちゃった」

9日以降は自力でトイレに行けなくなったのでカテーテル。血尿というより血がそのまま入っているように見えた。
まだ口から物を食べられる。サンドイッチが食べたいというので買ってきた。
主治医から病状と余命について説明。大体C病院で検査後に言われたようなこと。

2023年 12月12日
退勤後に病院から電話。とても容態が悪いとのこと。食べたものを吐いているが、血が混じっている。このままでは今月どころか今週持つかもわからない。

病室に行くと吐き気がひどく苦しそうだった。ただ会話は出来て意識もはっきりしている。

2023年 12月13日
姉が一人でお見舞いに行く。薬などで昨日よりはマシになっている。もう口から物を食べることは出来ないので薬も点滴に変更。水はまだ口から飲める。

 

2023年 12月16日

病室がナースステーション目の前の個室に移動した。

寝ていることが多くなる。

2023年 12月18日

声を出すことが難しいようで、何か話してもほとんど聞き取ることが出来ない。

看護師によると37度台の熱が続いているらしい。

明日は姉が来ると伝えると「疲れるからこなくていい」ははっきり言った(※4)

帰る時私を見ながら大きく手を振る。

意思疎通出来たのはこれが最後になった。

 

2023年12月23日

37~38度台の熱がずっと続いている。

看護師によると「確かに最近はほとんど寝ているが、夜勤の時など、起きていて頭がはっきりしている時もあり、会話も出来た」そうだ。

私たちが病室に行く時間は目が少し開いているが、意識はない。全く意思疎通はできない。小さい唸り声のような声を発することはある。

2023年 12月25日
初めて血尿の血の割合が薄くなった。
が、熱が39.9度になっていた。解熱剤を使うと血圧が下がってしまうが、使わざるをえないことに。

16時:血圧が危険な低さになっている。泊まる準備をして病院にくるよう姉から電話あり。
17時:先に着いた姉から「呼吸が止まってしまったかもしれない」とLINE
18時:死亡確認。

 

 

治療をしていない(できなかった)ので、詳細な数値のデータはないです。
 

注釈部分

(※1)この後血尿の話をしなくなったが、実際は続いていた。

(※2)「トイレで倒れた」というLINEが来たので「貧血?」と聞いたら、「多分そうだと思う」と返ってきた。家に帰ると「寝てたら体調は戻った」とのこと。「貧血になったことないから「今死ぬのかも」と思った」と言う。既に終末期だったので本当にあの時亡くなっていた可能性もあったと思う…

(※3)本人は治療はしたくないと言っていた。

(※4)母はもともと「来なくていい」とか言うタイプです。特に、意識がはっきりしている時は苦しんでいる所を見られるのが嫌だったらしく「もう帰っていい」も、よく言われました。(ぶっきらぼうな感じではないです)

 

 

あまりちゃんとまとまってなくてすみません。

最初の血尿の時、すでに癌は結構進行していたと思います。

 

Aクリニックで何度も誤診されていますが、母も「Aクリニックはヤブ」と思ってたんですよね。でも通っていた。そして私も姉も「母はちゃんと病院に行っているから大丈夫だろう」と思っていたし……

癌の原因などは一応不明なのですが、かかりつけが他の病院だったらこんなことにはならなかったのかも、とは思ってます。

でも、母はAクリニックを恨んだりはしていなかったので、私たちもあまりその事は考えないようにしてます。

 

 

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