"Birthday" | タコさんの庭

タコさんの庭

ビートルズの歌詞和訳に挑戦

"Birthday"

Writers : credited  Lennon-McCartney 

Artist : The Beatles

Recorded : 1968/09/18 EMI Studios

Released :

1968/11/22「 The Beatles」 C面1曲目

2018/09/11「The Beatles 」Special Edition

          (2018 Mix)

          (Take 2 / Instrumental Backing Track)

 

 

改行は、ポールの本「The Lyrics」の通りです。

          <歌詞和訳>"Birthday"  邦題 "バースデイ"              

[Chorus]

You say it's your birthday
It's my birthday too, yeah
They say it's your birthday
We're gonna have a good time
I'm glad it's your birthday
Happy birthday to you

    君の誕生日 今日なんだね

    今日は 僕の誕生日でもある yeah

    みんなが言っているよ 今日は君の誕生日だ!ってね 

    みんなで 楽しい時間を過ごせそうだね

    今日が君の誕生日で うれしく思う

    誕生日 おめでとう   

 

[Bridge]

Yes we're goin' to a party, party
Yes we're goin' to a party, party
Yes we're goin' to a party, party

    さぁ パーティに出かけようぜ パーティに

    さぁ パーティに出かけようぜ パーティに

    さぁ パーティに出かけようぜ パーティに

 

[Refrain]

I would like you to dance

(Birthday) Take a cha-cha-cha-chance

(Birthday) I would like you to dance

(Birthday) Dance

    君と踊りたいな

    (バースデイ) チャンスをくれよ

    (バースデイ) 君と踊りたいんだ

    (バースデイ) 踊ってくれー

 

[Repeat Refrain]

I would like you to dance

(Birthday) Take a cha-cha-cha-chance

(Birthday) I would like you to dance

(Birthday) Dance

    君と踊りたいな

    (バースデイ) チャンスをくれよ

    (バースデイ) 君と踊りたいんだ

    (バースデイ) 踊ってくれー

 

[Repeat Chorus]

You say it's your birthday
It's my birthday too, yeah
They say it's your birthday
We're gonna have a good time
I'm glad it's your birthday
Happy birthday to you

    君の誕生日 今日なんだね

    今日は 僕の誕生日でもある yeah

    みんなが言っているよ 今日は君の誕生日だ!ってね 

    みんなで 楽しい時間を過ごせそうだね

    今日が君の誕生日で うれしく思う

    誕生日 おめでとう

 

 

??

インドで作った曲が他にもまだあるにもかかわらず、

ポールはジョンと"Birthday"を作りました。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 664ページ 1997年10月に発売

 

 ビートルズがスタジオ内で作曲することは珍しかったが、九月八日(十八日です)はその珍しい日となった。

 この日のポールは、夕方五時過ぎにアビイ・ロードのスタジオに一番に姿を見せた。第二スタジオのアップライト・ピアノでポールが始めたジャム・セッションが、九時には元気いっぱいのロック・ナンバーになっていた。"バースディ"のバッキング・トラックが、二十テイクほど録音されていたのである。

ポール「『何か作ってみようよ』ということになって、一つのリフからどんどんアレンジして膨らませていった。『これをあと何小節か演ったら、今度はあれを何小節か演ろう』という感じで、歌詞も加えて、スタジオにいた友達にもコーラスに参加してもらった。ジョンと僕が半分ずつその場で作って、その場で録音した曲なんだ。特に誰かの誕生日だったという記憶はないけど、はっきりしないな。でも、クリスマスとか誕生日の歌だったら、特定の意味のある歌になるじゃない? もしいい曲だったら、みんなが誕生日パーティとかで歌ってくれるようになるし、そういう思いら少しはあったんだと思うよ」。

原文が、BEATLES BIBLE に載っていました。

 

"We thought, ‘Why not make something up?’ So we got a riff going and arranged it around this riff. We said, ‘We’ll go to there for a few bars, then we’ll do this for a few bars.’ We added some lyrics, then we got the friends who were there to join in on the chorus. So that is 50-50 John and me, made up on the spot and recorded all on the same evening. I don’t recall it being anybody’s birthday in particular but it might have been, but the other reason for doing it is that, if you have a song that refers to Christmas or a birthday, it adds to the life of the song, if it’s a good song, because people will pull it out on birthday shows, so I think there was a little bit of that at the back of our minds.

                             Paul McCartney

                   Many Years From Now, Barry Miles

私は、"Birthday" はポールのイメージの方が大きかったのですが、

ポールは、「ジョンと僕の50-50だ」と言っていますね!

 

「A HARD DAY’S WRITE」スティーブ・ターナー著 奥田祐士訳  163ページ  原書1994年発行

 

BIRTHDAY
バースディ

 インドで書かれた〈ザ・ビートルズ〉の収録曲は、その大部分がギターをベースにしていた。彼らが現地で入手できたのは、弦楽器だけだったからだ。
 しかしながらこの〈バースデイ〉は、1968年9月18日、 アビー・ロード・スタジオで、ポールがピアノをたたきながら作曲したナンバーである。ジョンによると、ボールは 1957年にチューンウィーヴァーズがアメリカでヒットさせた〈ハッピー・ハッピー・バースデイ〉を意識しつつ、もっと現代的で、ロックンロールぽく聞こえる曲をつくろうとしていたという。6日後にはリンダ・イーストマンの26回めの誕生日(1941年9月24日生まれです。27回目かな。)がひかえており、そのお祝いをするために、 彼女は翌週、ロンドンに到着する予定になっていた。
 ポールは18日の午後おそくにスタジオ入りし、ベーシックなキーボードのリフをつくりあげた。その後、ジョージ、 ジョン、リンゴがやってきて、バッキング・トラックを追加した。夜になると、4人はレコーディングを一時中断し、 映画『女はそれを我慢できない』 (1956年)のTV初放映をポールの家で見た。『女はそれを我慢できない』は、50年代のロックンロール・ブームを題材にした喜劇映画で、ジェーン・マンスフィールドとトム・イーウェルが主演し、 ファッツ・ドミノ、ジーン・ヴィンセント、トレニアーズ、プラターズ、リトル・リチャード、エディ・コクランの音楽をフィーチャーしていた。
 おそらくはそうした初期のロックンロールに鼓舞されて、ビートルズは午後11時ごろスタジオに戻り、ヴォーカル・パートを完成させた。メンバー全員が歌詞を提供し、ヨー コ・オノとパティ・ハリスンバッキング・ヴォーカルにくわわった。「歌詞はスタジオで、レコーディングしながらつくっていったんだ」と当時のポールは語っている。 「あのアルバムのなかでも、とくに気に入ってる曲のひとつ。すごく即興ぽい感じがするし、ダンス・ナンバーとしても悪くないと思う」
 その12年後、ジョンはいかにも彼らしく、この曲を「クズだ」のひとことで切り捨てた。

映画『女はそれを我慢できない』 の放映時間が、BEATLES BIBLE に載っていました。

The Beatles had scheduled an earlier start for their 18 September 1968 session, in order to watch the classic rock ‘n’ roll film The Girl Can’t Help It. It was showing that night for the first time on British TV, on BBC Two between 9.05 and 10.40pm.

 

ビートルズは、1968年9月18日のセッションの開始時間を早め、名作ロックンロール映画『女はそれを我慢できない』を観る予定だった。その夜、この映画はイギリスのテレビで初めて BBC2で午後9時5分から10時40分まで放映された。

(Google translate)

放映時間まで書いてあってとっても、リアルですね!

当時は録画できるビデオがまだ普及していなかったため、ポールの家に戻ったようです。

みんなで一緒に映画を観るなんて楽しそう!きっとそれも仕事の一環なのかもしれませんね。

またBBCスタジオに戻って仕事をする気力がすごい。

 

その日(9月18日)、不在のジョージ・マーティンの代役として

プロデューサーを務めたクリス・トーマスの話。

 

I had mentioned to Paul a couple of days earlier about The Girl Can’t Help It being on television during this evening. The idea was to start the session earlier than usual, about five o’clock in the afternoon, and then all nip around the corner to Paul’s house in Cavendish Avenue, watch the film and go back to work.
 

数日前、私はポールに『女はそれを我慢できない』が今晩テレビで放映されることを伝えていた。そのアイディアは、いつもより早く午後5時頃にセッションを開始し、その後、みんなで急いで角を曲がってキャベンディッシュ・アベニューにあるポールの家に行き、映画を観て仕事に戻るというものだった。

 

So on the day Paul was the first one in, and he was playing the ‘Birthday’ riff. Eventually the others arrived, by which time Paul had literally written the song, right there in the studio. We had the backing track down by about 8.30, popped around to watch the film as arranged and then came back and actually finished the whole song. It was all done in a day!

 

そして、その日ポールが最初にスタジオ入りした。彼は"Birthday"のリフを弾いていた。そのうち他のみんなが到着した。その時点でポールは、誇張なしにその曲を書き終わっていた。スタジオのちょうどそこで。8時半ころまでバッキング・トラックを録音していた。打ち合わせどおりに映画を見るために、ちょっとだけ家に戻り、それからまた戻ってきて、その曲全部、本当に仕上げちゃったんだ。それはすべて一日の出来事だった。

                                                                                        Chris Thomas
                         The Complete Beatles Recording Sessions, Mark Lewisohn

 

「THE BEATLES LYRICS 名作誕生」ハンター・デイヴィス著 奥田祐士訳  

370ページ 2017年7月5日発行 

(原書「The Beatles Lyrics: The Unseen Story Behind Their Music」の初版は

2014年9月25日。ビートルズがアメリカに来て50周年を記念して書かれたそうです。)

 

 

バースデイ Birthday

 歌詞だけを取り上げると、決して傑作とはいいがたい。実際のはなし、歌詞はわざととしか思えないほどシンプルで先が読め、とうてい考察には値しないが、それはもともとなんの考えもなく、ほとんど即興に近いかたちでつくられていた。肝心なのはスタジオで楽しみながら、なんの準備もしていない状態で、思わず足を踏み鳴らしたくなるロック・ナン バーをゼロからつくりあげること。これはポールのアイデアだが、とくにだれかの誕生日が近かった記憶はない、と彼は語っている。おそらく上出来なバースデイ・ソングには、マス・ソングと同様、たっぷり需要があるにちがいない、と考えてのことだったのだろう。彼らがこの曲をレコーディングしたのは、実のところ、リンダが27回目の誕生日 (1968年9月24日) を迎えるわずか6日前のことだった。彼女がやって来ることぐらいは、さすがにポールも知っていたはずだが、もしかするとまだ、誕生日は知らなかったのかもしれない――

彼女が自分より1歳年上だということも。
 セッションの途中でメンバーは全員ボールの家に向かい、ロックンロール映画『女はそれを我慢できない』(リトル・リチャード、エディ・コクラン、ジーン・ヴィンセントらが出演) のTV放映を観た。当時はまだ、家庭用のヴィデオが普及していなかったのだ。その後、 彼らはスタジオにもどってレコーディングを再開した。
 12年後にこの曲の思い出を訊かれたジョンは、ひとこと「クズだ」と答えた。
 大部分はマル・エヴァンズが書き、ポールが指示を書き入れた原稿は2ページにわたり、2ページ目には曲の構成や演奏に関する指示が入っている。「Staggers (よろめく)」の意味はよくわからないが、まさかレコーディング中に「ニュー・ステーツマン」誌 [*「スタッガーズ」という異名がある]を読んでいたわけではないだろう。原稿 (1996年9月にサザビーズで売却され、収益はチャリティーに寄付された)の裏にはヨーコが、日本語で男性名をいくつか書き連ねている(当時、彼女は妊娠していたが、2か月後に流産した)。彼女はレコー ディングに同席しただけでなく、バッキング・ヴォーカルにも参加した。

 

" ‘Birthday’ was written in the studio. Just made up on the spot. I think Paul wanted to write a song like ‘Happy Birthday Baby’, the old Fifties hit. But it was sort of made up in the studio. It was a piece of garbage."

                           John Lennon, 1980
                      All We Are Saying, David Shef

 

"Birthday" は、スタジオで書かれた。即興で作り上げた。ボールが50年代にヒットしたオールディーズ "Happy Birthday Baby" のような曲を書きたかったんだと、僕は思うよ。ちょっとスタジオで作り上げただけさ。がらくたのひとつだった。

garbage : (台所から出る食物の)生ごみ、残飯、ごみ、がらくた、廃物、つまらぬもの、くだらぬ考え、不要データ

50-50だから、「It was a piece of garbage.」と言えたのかもしれませんね。

 

 

↓ジョンが言う50年代にヒットした The Tune Weavers」の "Happy, Happy Birthday Baby"(エルヴィス・プレスリーもカバーしています。)

↑このサイトに載っていたチラシに萌え萌えでした。

1958年1月18日

右の方に"Happy, Happy Birthday Baby" を歌った「The Tune Weavers」がありますね。

4人グループなんですね。

その他、「ポール・アンカ」、私がザ・ビートルズが好きになってから知った「エバリー・ブラザーズ」「バディ・ホリー&ザ・クロケッツ」「エディ・コクラン」の名前もあります。

 

一番上の「PARAMOUNT THEATRE」は、ザ・ビートルズが1964年9月20日にチャリティー・コンサートをした場所です。

ジョンは、チャリティーと銘打つ活動が辛かったようですが、往年の大スターが歌っていた「PARAMOUNT THEATRE」で、1964年に演奏できたことは嬉しかったのではないでしょうか。

1964年

9月20日
パラマウント・シアター、ブロードウェイ、ニューヨ ーク・シティー

イベント「イブニング・ウィズ・ザ・ビートルズ」。 スティーブ・ローレンスとエディ・ゴルメと共演。こ れはビートルズの数少ないチャリティー・コンサー トの一つで、脳性小児まひニューヨーク連盟のためのものだった。このショーには連盟のメンバ 一たち3,682人が駆けつけ、ひとりあたり最高100ドルを支払っていた。エド・サリバンも楽屋を訪ね、グローリア・シュタインハムもそこにいて「コスモポリタン」誌の取材を行っていた。ボブ・ディランもマネージャーのアルバート・グロスマンと一緒に現れ、ショーの後ビートルズのモーテルまで一緒に行った。ビートルズは翌朝すぐに発てるようにケネディ空港の近くのリビエラ・ホテルに泊まっていた。その晩ブライアン・エプスタインは彼のリムジンでパラマウントの外へ出かけたことについてプレス担当のデレク・テイラーを非難し、彼を豚と呼んだ。デレクはビートルズのプレス担当者およびブライアン・エプスタインのパーソナル・ マネージャーとして丁寧に落ち着いて対処した。彼はこの職をさらに三ヵ月続け、後継者にこの仕事の秘訣を教えて引き渡した。後に彼はアップル・レコードのプレス担当者として戻ってきた。

 

ごめんなさい。

ザ・ビートルズのみんなが若かりし頃、聴いていただろう人たちのチラシに萌え萌えで、

話がどんどん横道にそれました。

 

 

2021年11月に発売された「The LYRICS」で、ポールは色々なことを私たちに教えてくれています。

 

① 1960年ドイツ・ハンブルグの「インドラ・クラブ」という店で、ドイツ人からは言われた「マック・シャウ!」(ドイツ語訛りの「Make it show」)。

ジョン・ポール・ジョージ・スチュ・ピート(ピート・ベスト)が、「インドラ・クラブ」で人を集めるためにやった「マック・シャウ」。

そのひとつに、"Dance in the Street" を演るときに、ジョンがギターを持たずにスタンディングで「ダンス・イン・ザ・ストリート ~」と歌って手拍子をするという演出があったそうす。

これはちょっとした見もので、確実に人を引き込むことができた。」とポールは言っています。そして、"Birthday" はそういう曲の1種だと教えてくれました。

 

そういう時のジョン。観客を引き付ける力はすごいんだろうなぁと妄想しながら、

「ジーン・ビンセント」の"Dance in the Street" を観ましたラブラブ

 

② 1968年9月18日、"Birthday"が生まれたとき、エリック・クラブトンもスタジオにいたことを教えてくれました。

 

③ リフについて

ポール・マッカトニー著 「The LYRICS」

ポール・マルドゥーン編集  ザ・ビートルズ・クラブ訳・監修  43ページ

 

 すぐになんか作ろうという話になった。僕らのセッションはリフ決めから始めることが多いんだ。そして、僕らにとっての典型的なリフは、リトル・リチャードの「Lucille」だった。「Pretty Woman」でロイ・オービソンも採用した、あのリ フだ。そこで僕らも基本に則って、「Birthday」 で同じことをした。

リトル・リチャードの"Lucille" は、ポールがカヴァーしていますね。

 

"Pretty Woman"

 

なるほど、"Birthday" に似ている!

 

④「cha-cha-cha-chance」について

ポール・マッカトニー著 「The LYRICS」

ポール・マルドゥーン編集  ザ・ビートルズ・クラブ訳・監修  43ページ

 

 ここで、当時活躍していたザ・フーのことを思い浮かべながら“I would like you to dance(踊ろうよ)/ Take a cha-cha-cha-chance (思い切ってさ)”という歌詞に注目してほしい。彼らの曲「My Generation」には、非常に印象的な瞬間があった。それが "フェイド・アウェイ" というフレーズに含まれた吃音的な表現だ。彼らはイギリスのテレビの生放映で "フ、フ、フ、フ、フェイド・アウェイ~ " と歌い、大きく注目を集めた。そのときのことを僕は鮮明に覚えていて、その言葉のつっかえた感じが持つ面白さを、「Birthday」の歌詞にある "cha-cha-cha" というフレーズに取り入れてみたんだ。「Birthday」 が、後日デヴィッド・ボウイの「Changes」の歌詞、"cha-cha-cha-cha" に影響を与えたのと同じようにね。
 ソングライターとは、先人からバトンを受け取り、それをしばらく保持した後、時が来たら 誰かにそれを渡すものなんだ。

 

My Generation

↑「ザ・フー」をまったく知らない私は衝撃的だった。

 

↓1973年7月3日、ロンドンのハマースミス・オデオンにて

 

以上、ポールは「The LYRICS」で、色々なことを教えてくれましたキラキラ

 

でも、リンダ・イーストマンのことは、ひとつも書いてありませんでした。

バリー・マイルズ著 「ポール・マッカートニー/ メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」翻訳 竹林 雅子 623ページ

 

ポール「僕らはかなりファンキーに再会を果たした。『じゃあ、家においでよ』と言ったら、"ハッピネス・イズ・ア・ ウォーム・ガン" のレコーディングをしていた夜に彼女はやって来た。家に到着した彼女が電話をくれたから、マルに様子を見に行ってもらったよ。彼女によると、冷蔵庫には腐りかけの牛乳とチーズ一切れしかなかったらしい。イギリスらしい冷蔵庫だね。僕の暮らし振りに彼女はびっくりしたみたいだよ」。

"Birthday" のレコーディング : 1968年9月18日(水) 

"Happiness is a Warm Gun" のレコーディング : 1968年9月23日(月), 24日(火), 25日(水)

リンダの誕生日 : 9月24日

ザ・ビートルズのみんなでリンダに歌ってあげられたのでしょうか音符キラキラ

 

 

ザ・ビートルズが歌った誕生日の歌

ライナーノーツによると
1963年10月5日放送のイギリスBBCのラジオ番組「Saturday Club」。
5周年を祝って歌ってあげたそうですキラキラ
レコーディング : 1963年9月7日

Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday
Dear Saturday Club
Happy birthday to you
Oh yeah!

Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday
Dear Saturday Club
Happy birthday to you

 

辞書

情報提供元(著作権者)Weblio英辞郎

gonna=going to

  《be ~》~しそうだ◆差し迫っていることを表す。

  《be ~》~することになっている◆予定されていることなどを表す。

  《be ~》~するつもりだ◆発言をする時点よりも前に、そうすることを決めて(予定して)いた場合に用いられる
would like to : ~したいと思う