3連休初日である。ブログ#16での述べたように、新型コロナウイルス感染拡大により、また迷走に拍車が掛かっている。#16のブログを書いてから約1週間だが、当然状況は好転するわけもなく、悪化の一途を辿っている。案の定、これまでの1日の新規感染者確認数があちこちで更新し続けており、政府、行政が慌て始めた。医療側は一刻も早くGoToキャンペーンの中止してもらいたい、GoToキャンペーンが感染拡大の一因であるとの見解を示しているが、こうもそれぞれの立場でバラバラの主張が繰り返され、マスコミもただ感染者数を報じるのみで終わり。一体この国は何をしたいのだろうか。どこに向かっているのだろうか。こともあろうに、IOC会長が来日し、オリンピックの中止は微塵も考えていない。海外からの入国緩和もそうだし、何より新型コロナウイルスに関する知識、症例をもっと詳しく報じるべきである。国民に対して報じていくべき内容を挙げてみると次のようなものではないかと考える。

 ①検査数に対する新規感染確認数(陽性率)

 ②それぞれの年齢層、業種

 ③症状の有無

 ④後遺症の有無と具体的な症状

 ⑤新型コロナウイルス感染後の治療方法(無症状者と軽症者)

 ⑥入院を要する人の基準

 ⑦死者の既往症の有無

 軽く考えても上記のような項目をもっと明確にわかりやすく、日々報ずるべきで、感染拡大の防止策は基本的にマスク、手洗いうがい、消毒しかない。もっと言うと、消毒は新型コロナウイルスに効果があるのかもエビデンスに基づいて説明されているように感じない。単なる精神衛生上の効果でしかないのではないか?仮に挙げた項目について報じているというのなら、自分が知らないだけなのか、周知方法が悪いのか。

 新型コロナウイルスを甘く見ているつもりは毛頭ない。しかし、肺炎やインフルエンザで1シーズンで死亡する数や、新型コロナウイルスの影響で自殺者が増加していることを考えると、新型コロナウイルスの扱いをもっと分析すべきではないか。本当に今の感染症の分類で良いのか。もはや無症状者がいるという段階で、防ぐことは不可能である。ウイルスとの共存は避けられないのだが、避け方が非常に下手であると感じる。

 なぜ欧米では感染者数に対する死亡率があれほど高いのか、そういった分析も何も説明が無い。まだ分析中なのだろうか。死因は本当に新型コロナウイルスなのか、それは間接的であって、直接的な要因は既往症があるかないかではないのか。

 緊急事態宣言以降、結局景色で変わったのは皆マスクをして、消毒しているだけのこと。通勤電車は満員、仕事の環境はほぼ変わらず。飲酒や食事、旅行が悪のような風潮を作り出すばかりで、全てが悪循環だ。

 ニュースでは3連休初日の人出は増加、混雑と報じている。当たり前である。そのような状況になることは予想できたにもかかわらず、ほとんどのことが後手後手であり、GoToキャンペーンの新規予約停止等、キャンセル料に対する扱いや今更の手段を検討、具現化し始めた。今第3波と言われているが、芸能人の厚切りジェイソンは「第2波がそもそも合ったのか?第3波とは?」と疑問を呈したようだ。アメリカをはじめ、欧米と比較して相当に低い数であり、検査数がそもそも少なかったから判明していなかっただけの話ではないかと。気づいていないだけで、春と変わっていないのではないかという見方もできるのだ。なぜ春に比べ、以降の死亡者が少ないのか。医療体制の対策だけとは思えない。もっと詳しく分析し、様々な視点から客観的に、専門的に検討し、対策を講じてもらいたい。

 

 新型コロナ対応に関する民間の報告書が出ており、購入して読んでみる予定だが、レビューは高評価、低評価に分かれる。単なる事実関係の羅列で、分析内容が乏しい、視点が狭いといったレビューもあれば、有益なものと感じる読者もいるようだ。政府が守ってくれる、自治体が守ってくれると思ったら大間違いだ。自分の身は自分で守ることが鉄則であり、臨むことがそもそも無駄で、期待してはならない。むしろ振り回されることの方が多いだろう。批判、文句ではなく対案を示してもらいたいし、示せるようにしたい。そのためには知らなければならない。野党も批判ばかりで対案が無い。だから支持率は伸びないし、存在意義が無い。今必要なのは、批判ではなく乗り越えるために必要な議論であり、政策の実行である。国会議員に限らず、建設的な議論を心掛け、完全な答えが無い問いに答えていかなければならないのだ。

 

 

 

 一昨日、一人ハーフマラソンに挑戦した。結果、2時間17分41秒。これは、時間を意識せず、まずは完走を目標として挑戦したタイムになる。年明けに、ハーフマラソン挑戦を意識しため、練習としてまず完走できるか試したのだが、完走できなかった。3月にハーフマラソンの大会出場も考えていたが、おそらく制限時間である2時間30分以内に走りきることが難しい状況だった。

 それから時間を見つけてはランニングをするようになり、長ければ10数キロ、大体が7キロをコツコツと走り、月間100キロ走破も何回か達成することが出来た。これも、自分の目標の一つであり、1カ月で100キロ走破した時は達成感があった。

 継続は力なりなのか、その甲斐もあって21キロを完走することが出来た。それまでは、1日で21キロ走ったことがあっても、休憩を含めての合算記録だった。これで休憩なしの走りっぱなしの純粋な完走を達成することが出来た。あわよくば、2時間15分切りも意識したのだが、意識したタイミングが遅く、リカバリーできなかった。キロ平均6分33秒だったので、1キロあたり約10秒短縮して走れば2時間15分切りを達成できる。これなら手が届きそうだ。息が切れるほどの力をださずに完走できたが、足の痛みが強く、全力で走った場合自分がどれくらいの時間で走れるかわからない。本気で走らずとも2時間17分41秒だったのは、2時間切りを目指せということか。手が届きそうな2時間15分切りを目指すか。

 とあるサイトによれば、男性ランナーのハーフマラソン平均タイムは2時間6分12秒、女性ランナーは2時間21分19秒らしい。2時間切りをするためには、キロ平均5分41秒で走る必要がある。男性の場合は、2時間切りは上位27.7%、女性は上位13.5%だそうだ。2時間半を切るためには、キロ平均7分07秒。2時間15分で走るにはキロ平均6分24秒。女性の平均タイムはクリアしているが、男性の平均タイムからには届いていない。継続してトレーニングしていく必要がある。

 腕立ても週に3日程度を目安で続けており、最初よりもこなせる回数が徐々に増えてきた。腹筋と腕立てを継続してやっているが、ハーフマラソンで足の痛みが出たので、ふくらはぎと膝の筋トレも必要かもしれない。痛みが出るのは走り方も悪いせいだろうし、改善の余地はたくさんあるはずだ。

 大会に出て完走、記録も狙っていきたいところだが、新型コロナウイルス感染拡大第3波も来ており、機会を見つけるのも一苦労になりそうだ。

 とりあえずは、一人でのランニングであったものの、初めて21キロを完走することが出来たのは自信になった。年明けの自分と比べ、スタミナもついたようだ。この調子で、次の目標を達成できるようトレーニングを継続していきたい。

 今日はいくつかのニュースについて、考えを述べてみようと思う。

 

 まず1つ目は、株価の上昇についてだ。今日日経平均株価が29年ぶりに一時2万5000円台を回復したという。NY株も値上がりし、最高値を更新したようだが、これは製薬会社ファイザーの新型コロナウイルスワクチン開発について、90%の効果を確認したとの発表があったためだという。

 バブルの影響もあり、日経平均株価が良ければ景気がいいというイメージが非常に強いが、近年株価は景気の良さ悪さには関係が無いと感じている。特に今回の新型コロナウイルス感染拡大後の株価推移を見れば、景気が良くなる予想はまず立たないはずだ。自殺者も急増しているという。この先を悲観的に見てしまったのか、今が辛すぎるのか、人にって様々な事情があろう。株価の上昇が景気が良い状態とイコールにはならない。しかし、株価が低いと景気が悪いというのはイコールになり得る。もやは株価の推移は、投資家達等一部の限られた人間の世界の話であり、一般国民にとっては関係のないことだろう。バブル崩壊、失われた20年と言うが、バブルでも景気は良くなっていない。これは日本に限った話で、米国や中国等、他の国は成長をしていたのだ。日本経済は、再生不可能になってしまったのだろうか。これは制度の問題か、国民性の問題か、政府の問題か。

 

 2つ目は、日本における新型コロナウイルス感染拡大が再び起きていることだ。欧米では既にロックダウンをはじめとして、また大々的な制限が始まっているが、日本はどうだ。海外からの入国緩和や、GoToキャンペーンで経済を回しているだけで、あとはアルコール消毒や換気、マスクをして終わりだ。新型コロナ感染拡大以前と何が違うって、消毒と換気とマスクにうるさくなっただけのこと。これから冬が始まり、空気も乾燥してくることで流行に拍車がかかることも懸念されているが、北海道における新規患者数の急増がニュースで取り上げられ、各地で過去最高の感染者数が報告されてきている。

 そもそもGoToキャンペーンをやる段階からわかりきっていたことに対して、メディアも有識者も騒ぎすぎである。経済で死ぬか、コロナで死ぬか。後者で死ぬ確率の方がよほど少ない。既往症を持っている人、高齢者は気を付けなければならないし、当然元気な人も気を付けなければならないが、ウイルスの撲滅が出来ない以上、ある程度の被害は覚悟しなければならない。エボラ出血熱のような致死率が高いウイルスだったなら、こうはならないはずだ。症状が軽いからこうなるのであり、当然全員が軽症で済むとも限らない。中には重症化するケースもある。ワクチンの開発が無いことも一因かもしれないが、ワクチンも完全ではない。必ず副作用のリスクも存在する。皆が完全完璧を求めすぎているだけなのではないか。

 緊急事態宣言が出た時よりも感染者数が増大しているのに、緊急事態宣言どころか旅行や食事に行って金を使ってほしいという逆転の発想。新型コロナウイルスに対する認識をもっと改めるべきではないか。ホテルや病院へ隔離するのではなく、重傷者だけ病院で、その他はインフルエンザ同様、自宅治療だ。感染力が強いため、家庭内感染の可能性は高いだろうが、医療崩壊を招くのとどちらが良いと答えるか。政治、行政の真価が問われている。

 マスコミはもっと有益な情報を報道すべきだ。人数の増減などどうでも良い。北海道がなぜ急増したのか、GoToキャンペーンによるものなのか、掘り下げて報道しないのだから、無駄な情報や誤解を招く情報ばかりだ。なんのためにマスコミが存在するのか、もっと自分たちの存在意義を認識してもらいたい。報道の自由という権利を主張したり、妙な正義感で政府に対して批判をするのは一向にかまわないが、皆が知りたい情報を詳しく報じようとする姿勢は全くないのが怖い。ワイドショーなど見る価値なし。コメンテーターは好き勝手言うだけで、MCもくだらないやりとりばかり。芸能ニュースなどいらない。誰が妊娠しようが、結婚しようが、離婚しようが、もっと他に主として報道することがあるだろうと思う。不快になるので、テレビはほどんど見なくなった。ニュースはNHKでさらっと見る程度。バラエティもまったく面白くない。

 今後、感染者はさらに拡大することが予想される。GoToキャンペーンをやめるのか、緊急事態宣言をまた発出することになるのか。来春には終電の時間を繰り上げるようだが、通勤に関してはもう新型コロナウイルス感染拡大前とほぼ変わらない。変わったのは皆マスクをしているだけだ。これでは何の効果もないし、そもそもを変えようとしていないのだから、感染者拡大にいちいち反応する必要もない。冷静に物事を見て、判断し、行動していきたいものだ。皆に振り回されず、自分の目で見て、聞いて、理解して判断していきたい。

 11月に入った。今年も残すところ2カ月を切り、冬の足音も徐々に近づいてきている。このブログを書いている段階では、まだアメリカ大統領選の結果はわかっていない。今年の大きなニュースの一つになるであろうアメリカ大統領選。来月になれば、今年はどんな年だったのかと振り返る機会が増えてくるのだろうが、全てがコロナウイルスの前に霞んでしまった。東京オリンピックも延期になり、欧米ではコロナウイルスの拡大がまた始まっている。第2波、第3波と今後も発生するだろうし、状況が好転する材料は今のところ見当たらない。

 読書の秋、運動の秋、芸術の秋、食欲の秋と様々な活動を行いやすい季節だが、とにかく窮屈だ。マスクの着用云々で電車の中で揉めて、催涙スプレーを吹き付けるトラブルがあったようだが、なんと低レベルなことか。催涙スプレーを吹き付けた側が言いがかりをつけられた

(マスクが鼻を隠していなかったため、注意された)と報道されている。注意する方も注意する方がだが、催涙スプレーを持っている側も持っていること自体で危ない人間と思ってしまう。

 また改めて今年を振り返るブログを書くつもりなので、多くはここでは振り返らないが、そろそろ来年はどうするか、といった目標も考えていかなくては、と思っている。

 今月はニュース時事能力検定を受験する予定なので、まずはそちらに集中しなくてはならない。今日は通常よりも長めに、そして早めにランニングしてみた。ハーフマラソンを完走できるのか、まだ挑戦できていない。いつ挑戦できるような状況になるかはわからないが、筋トレとランニングを継続していく。勉強と運動の両立が当面の目標だ。

 

 また欧米では新型コロナウイルスの感染が急増している。日本とは桁違いの感染数だ。このような状況を見れば、終息という言葉はまだまだ遠いように見える。しかし、延期となったオリンピックは、未だ中止という選択肢を取ろうとしていない。もう10月が終わるのだから、開催まで残り1年を切るどころか約10カ月程度しか残っていない。仮に中止の決断をするのだとしたら、いつ、どのような状況を考えているのかといった説明は全くない。意地でも開催しようとしているのだろうか。アスリート達も、おそらくモチベーションの維持が一番の課題であり、苦しいところだろう。練習も満足にできないだろうし、これは国によっても大きく異なってくる部分ではないだろうか。欧米ではまたロックダウンも始まるだろうし、あと10カ月で東京オリンピックが準備万端で開催できるとはとても思えない。

 感染防止、医療体制の整備、何より日本国民を守るという部分へのアプローチが著しく低い。IOCは、中止という言葉を発することはまずないだろう。この部分に嫌悪感を覚えるのはわたしだけだろうか。誰もが嫌な決断は下したくない。しかし、今の状況を踏まえて、東京オリンピックをやるという決断をする方が無理がある。完全体のオリンピックをやるのではなく、アスリートのみで無観客の競技開催が最大の妥協点ではないだろうか。日本側から中止を求めることが出来ないのは、IOCとの契約上の問題と言われている。これで開催し、日本が大打撃を受けたとしても、IOCは何の責任も取らなければ、何とも思わないだろう。今、もうオリンピックの開催という意義を改めて考え直すべきである。オリンピックにかかる費用が高騰してしまい、立候補していた都市も相次いで撤退し、立候補できる都市は非常に限定的になった。IOCは、その事実を認識すべきで、あまりにも金権、利権が絡みすぎている。開催時期にしても、テレビ放映権の関係から今の時期から前後させることもできないようだ。

 アスリートに限らず、関係者たちのためにも、一刻も早く英断を決断すべきである。無駄な金を使うことにならないように、無駄な時間にならないように、追求すべきものをもっと精査し、いつまでに決断するかを明確に決めるべきだ。個人的には、年内には決めるべきだと思うし、遅くとも春には開催、中止の決断をすべきだと思う。

 WHOをはじめとして、WTO、IOC、国連。何も役に立っていないではないか。一体何のために存在している機関なのだろうか?国際機関と呼ぶには程遠い形骸化した機関と感じるのは自分だけだろうか?

 色々な思惑、事情が絡んでいるのは間違いないが、開催、中止の2択しかないことは揺るがない。 新型コロナウイルスに対する対応も、改めてもらいたい部分も多々あるし、これも正解がない問いである。もっと大胆不敵に、前を向いた議論をして、結論を出していってもらいたいと切に願う。

 このところ寒暖の差が激しい。寒い日というか、冷える日が増えてきつつある。ついこの間まで、暑い暑いと言っていたのに。

 冷える日が増えてきたので、コーヒーもホットを飲む機会が増えてきた。こういうところでも、季節の変わり目を感じる。

 自分はいつからコーヒーを飲むようになったのだろうかと、振り返ってみた。一時期オンライン麻雀ゲームに熱中し、一日中やっていた。社会人になり、コーヒーを飲む機会が増えたこともあるが、自分から積極的に飲もうとはしていなかった。オンライン麻雀ゲームはゲームセンターにあったので、自動販売機で飲み物を買う。その時に、甘いコーヒーを飲んでみたら、口にあったのだろう。ブラックは全く飲まなかった。微糖が多かったような気がする。オンライン麻雀ゲームをやる時には、缶コーヒーが常にある状態だった。

 缶コーヒーは健康に良くないということも耳にし始めた。飲むなら無糖、すなわちブラックがいいとのことで、糖分を気になり始めたらブラックばかり飲むようになってしまった。ブラック以外はほぼ飲まなくなった。

 コーヒーもたくさんの種類があり、風味も全く異なる。缶コーヒーも同じだ。酸味が強いもの、フルーティーな香りが強いもの、マイルドなもの、すっきりしているもの、挙げたらキリがない。段々と自分の好みもわかってくる。

 家にはネスカフェのバリスタを置いてあって、気軽にコーヒーを楽しむことが出来るし、カフェへ行って読書をしたり、勉強したりする時もコーヒーを飲みながらだ。スターバックスのキャラメルマキアートと、ホワイトモカは甘くて美味しい。たまに頼んで楽しむ程度だ。基本的にはどこであろうと、ブラックのコーヒー。ミルク、シロップ、砂糖は前はすべて使っていたが、最近では使ってもミルクだけになってきたし、使わないことの方が多い。

 寒くなってくると温かいコーヒーの美味しさもまた一段と増す。冬の気配も近づいてきている。読書の秋、コーヒーを片手に楽しみたい。

 

 

 

 

 

 

 

  よく言われるのが、読書の秋、芸術の秋、運動の秋、食欲の秋。秋はそれだけ行動するには快適な季節と言える。確かに、暑くもなく寒くもない、爽やかで過ごしやすい季節は秋と感じる。最近では、四季を感じることも少なくなった。これは地球温暖化と関連しているのかと言えば、確定づけるものは何もない。しかし、しとしと降る梅雨は無くなり、秋も体感的に短くなっていて、夏は猛暑となり命の危険に晒されるほどの気温となる。日本の四季は、少しずつ変化してきているようだ。それによって、旬のものも変化が生じるだろうし、特に農水産系は影響を受けつつある。

 今年は新型コロナ感染拡大の影響で、相当の行動に制約が掛かっている。おそらく読書の秋以外は、それなりに影響を受けているはずだ。芸術で言えば、劇団でクラスターが発生したり、満足に公演できない状況が続いているし、運動で言えば、運動会は行えないことや、観戦にも制限が掛かっていることだろう。食欲の秋は、GoToキャンペーンが始まったものの、観光客をターゲットにしていた部分は相当な影響を受けている。そして、キャンペーンが終わった後が正念場となるに違いない。飲食業をはじめとして、廃業、倒産、解雇が着実に増えてきている。

 一番安定して取り組むことが出来るのが、読書だろう。読書はコストパフォーマンスとしても最高で、知識をつけたり、視野を拡げることが出来るだけでなく、場所を選ばない。家でもいいし、カフェでのんびりコーヒーを片手に読書してもいい。読書と言うと堅苦しく聞こえるかもしれないが、本を読むなら何でもいいと思う。雑誌でもいいし、漫画でもいいし、小説でもいいし、ビジネス本でも自己啓発本でもいい。活字に触れて、何かを知る、楽しむことが大事だ。最近では、蔦屋書店等大型店ではカフェと隣接し、売っている本をその場でコーヒーを楽しみながら読める環境を整えてきたり、図書館も整備されたり、ブックオフでも安く購入することができたりと読書に対してより良い環境が構築されてきている。

 情報過多の世の中で、しかも新型コロナ感染拡大防止を踏まえつつ過ごせる読書を皆にお勧めしたい。メディアの偏った報じ方や、芸能人のゴシップなど何の興味も無ければ、意味もないし、無駄な情報でしかない。喧騒から遠ざかって、自分が読みたい本を手に取り、読書しよう。読書が楽しくないという人は、漫画や雑誌から入ってみよう。読書は決して無駄にはならない。

 私は文房具が好きで、特にノートが好きなのだが、私が気に入っているノートを挙げてみよう。

 

 ①プレミアムCDノート

 

 

 ②ニーモシネ

 

 

 ③SLADY

 

 

 ④EDIT

 

 

 ⑤MDノート

 

 

 

①のプレミアムCDノートは、プレミアムという名が付いているように紙の触り心地が気持ちいい。スベスベのサラサラだ。当然書き心地は滑らか。ストックしているくらいお気に入り。

②のニーモシネは、使い勝手が良いところが気に入っている。書き心地も良く、切り取り線も入っており、簡単に切り離すことができ、メモ代わりに使うこともできる。

③のSLADYは、私が見てきた中で一番スベスベ、サラサラの紙だ。文具女子博で見つけて購入したのだが、とにかく紙の触り心地が気持ちいい。①のプレミアムCDノートよりも上。難点は、取扱店が極端に少ないこと。店舗で見つけることは難しく、確実に手に入れるならネット通販になってしまう。店舗で安定して購入できるようになれば、間違いなく買い溜め。

④のEDITは、スタイルも良いだけでなく、ノート性能としても優秀。紙質にもこだわり、高級ノートとして人気を博している。こちらの難点は、価格。価格帯が他のノートに比べ、相当高い。リーズナブルな価格とは言い難く、値段設定さえ改善されればこちらも買い溜めしたいところ。

⑤のMDノートは、リーズナブルなうえにシンプルなデザインが売り。専用カバーを購入すれば、保存状態も格段に向上する。全体が白で余分なものは足していない。シンプルイズベストという言葉の意味がよくわかる。この商品よりグレードの高い、コットンも存在する。

 

まだまだ紹介していないお気に入りのおすすめノートがあるが、今回は以上の5つを紹介する。ノートはいくらあってもいい。使っていない、使いきれないのに買ってしまう。欲しくなる。文字を書く機会が減ってしまった今、ノートをきっかけに書くことの楽しみを味わいたい。

 人事院は、国家公務員の賞与について引き下げすることを決めたとニュースが出ていた。昨今のコロナによる民間企業の影響を踏まえれば、予想通りの結論である。

 Yahoo!ニュースのコメント欄を見ると、今までに比べてとても国家公務員の給与、賞与引き下げについて否定的な意見が多くなっているように見えた。国家公務員の給与や賞与より、国会議員にかかる経費に矛先が向けられているのがほどんどだ。誰もが、国会議員の必要性について疑義を持っている。議員数や議員の素質、議員の活動が費用対効果としてとても悪いという感覚を持っているのだ。正直言って、私もそう思う。

 コメントの中は、国家公務員の給与を下げることが果たして適切なものかと疑問を投げかけているものも少なくない。行政に優秀な人材が入ってこなくなることは勿論、勧告によって上がることはほとんどなく(上がってもそれは以前の下がり幅の範疇であり、下がり幅を取り戻すだけのことは無い。これまでの勧告を合計すると、下がり幅の方が多く上がり幅で下がった分をリカバリー出来ていない)、賞与をもらうだけでニュースになり叩かれる。そもそも国家公務員の賞与支給が毎回ニュースになるのは何故だろうか。そのニュースを報じる意図は何だろうか、血税だと言いたいのだろうか。メディアに悪意があるようにしか感じられない。

 影響は国家公務員に限らず、地方公務員をはじめとして多岐に渡るとコメントしている人も多い。実際その通りだろう。簡単な理由で給与を下げることが出来るからだ。その結果、消費が冷え込み、税収が減り、悪循環になることも予想出来よう。

 国会議員が叩かれるのは理由がある。役に立っていないからだ。霞ヶ関の国家公務員へ仕事を増やしているのは国会議員であるとのレッテルが貼られているし、これも事実だろう。国会議員対応や質問対応、パフォーマンス染みた押しかけやヒアリングと称して呼びつけた恫喝、与党野党間での建設的な議論は無く、誹謗中傷や反対意見ばかりで対案が無い。野党が支持率を伸ばせないのは、誰もがわかっている。否定しかしない、批判しかしない。良いところは良い、議論するべきところは議論する。中身が全くないやりとりや発言ばかりでうんざりしているだ。国会議員の一部には堂々と居眠りや読書をする等、非常識な行動を平然ととっている者もいる。国民の目に映っている政治家の姿とは、そういうネガティブな部分しかないのだ。

 国会議員であろうと、国家公務員であろうと、優秀な人、結果を出している人にはしっかりと評価し、相応の報酬を与えるべきだ。逆であれば、それなりの報酬になろうし、見合った価値を見出せない人間は淘汰されなければならない。身分に甘える時代はもう終わった。AIの発達、台頭もあることから、人間である必要性、人間の労力というものは今まで以上に再整理、検討されていくことになろう。その時、存在意義を見出せない人間はお役御免になるくらいの危機感を持っていってもらいたいものだ。

 今回は賞与とのことだが、給与も近々勧告が出るものと思われる。また一段と国家公務員の意欲は下がり、今回のコロナ対応による厚生労働省をはじめとした関係機関で多数の離職をする、または検討しているといったようなことに結びかねない。国会議員の定数見直しは、民主党から自民党へ政権交代する際の公約でもあったような記憶がある。国会議員は、公約の実行性を今一度検証し、達成できていない公約について説明責任を負っているはずだ。

 民間の景気を反映することの必要性はあろう。しかし、本当にそれでいいのか。ある意味、国を左右する制度でもあるはずだ。建設的な議論、検討を経て、今の最適解、最善解が導き出され、形にしてもらいたいと思う。

 約1週間ぶりのブログだ。今日は空き家問題についてのニュースを取り上げる。空き家が問題化しているのはこれまでも言われてきていることだが、先日報じられたのは、世田谷区で空き家が5万戸あり、流通していない空き家が1万2千戸あるとのことだ。

 少子高齢化が進んでいるということは、必要な家の数は減っていくというのは当たり前のことだ。まずこの事実は今後変わることはなく、むしろ拍車がかかる。空き家は間違いなく、減るどころか急増する。

 空き家が増えていく理由は色々あるが、一番の理由はやはり税金をはじめとした金銭的な理由だろう。相続税や固定資産税はかかるし、土地という特性から、簡単に手放したくない、手放さないということが挙げられよう。

 所有者の問題だろうか。それとも、国の制度の問題だろうか。はたまた、どちらもだろうか。世田谷なのだから、資産価値はそれなりにあるはずだが、空き家が果たして本当に資産価値として意味を成しているのかは私にはわからない。土地や家屋はある。整備すれば使用できるものもあるだろうし、さっさと壊して更地にした方が良いものもあろう。防災の面から言えば、更地を増やしていくことには一定の効果も期待できる。自治体における強制執行の権限を強化すべきだが、家屋を壊すにしても、更地にしても、自治体が行えば税金を投入せざるを得ないことから、財政を悪化させる要因となるのがネックだ。そのため、所有者に対してそれなりの責任を取らせなければならないだろうし、甘いが故に空き家という形になってしまっているのだ。

 新型コロナ感染拡大の影響で、首都圏から地方への居住意識が高まり始めたように感じる。テレワークを活用し、通勤をなくして出社せずに仕事ができる環境の整備の動きが活発になっていることから、首都圏に住む必要も無くなり始めている。空き家をリノベーションして再活用というのが一番コストパフォーマンスが良い方法ではないだろうか。新築の家は勿論誰だって欲しい。しかし、そもそも新しい土地を探すのはもはや困難だ。利便性の良い土地など、既に家屋が存在しているわけで、新たに開拓することなどできないのだから。

 言えるのは、速やかに法整備をしなければ、空き家問題を解決するタイミングを逸するということだ。財政面がまず追いつかなくなり、放置されたままになる。放置されたままになれば、治安悪化や景観を損ねることにも繋がり、近隣住民への影響も大きくなってくることだろう。世田谷で存在する5万戸は、おそらく解消されないし解消できないだろう。空き家が減る量よりも、圧倒的に増える量の方が多いことも安易に想像できるからだ。世田谷に限った話ではない。地方でも同じように空き家は急速に増えていく。

 日本全体として、空き家問題は避けては通ることができないものだ。社会保障費だけでなく、高速道路やトンネル、水道管といった各種インフラ整備への必要経費も莫大なものになる。そこに少子高齢化で税収の減収がくるわけで、火の車になろう。政治家や行政に携わる人たちは、どれだけ真剣にこれらの問題に向き合い、解決策を講じるのだろうか。明るい未来は見たくても見れない要素しか出てこないのだ。