思考の整理日記 - アメブロ時代 -41ページ目

書籍 「論点思考」

「論点思考」(内田和成 東洋経済新報社)を読みました。

この本では、論点の定義を「解くべき問題」、「真の問題」と定義しています。なぜこの本を読んでみたかというと、冒頭の「はじめに」の中で書かれている以下の部分に共感したからです。
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今回はそもそも、解いている問題そのものが間違っていたらという問題提起である。問題解決はビジネスで成果をあげる際にとても重要なものだが、暗黙の前提として「正しい問題」を解いていることを想定している。あなたがいま解いてる問題、あるいは、これから解こうとしている問題は正しいのか。ここを一度考えてみようというのが本書の狙いの一つでもある。 (p3-4から引用)
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読んでみての感想は、筆者の言う「問題設定」は一朝一夕には難しいということです。これはある意味当たり前で、たかだか本を一冊読んだくらいでできるようになれば、例えばコンサルタントなどは不要になってしまうことになります。ただ、問題設定は難しいと言いましたが、でもだからこそ、常日頃のちょっとした意識だったり行動が大事になるのではということが、この本から得たことです。以下、4つに絞り書いておきます。

■「本当にそれが論点か」と常に疑問を持つ
例えば、上司から指示があった場合、もちろんその通りにやってうまくいくこともありますが、そもそもとして論点が間違っている可能性があるかもしれません。「本当にそうなのか」と考え、結果としてそう考えなかった場合と同じ問題設定になったとしても、一度自分の中で考えることが大事なんだと思います。この視点は意識として持ち続けたいものです。

■仕事の中で常に大論点を意識する
ここで言う「大論点」とは、最上位の論点のことです。大論点を意識するとは、別の言葉で表現すれば全体像を把握することです。目の前のことに集中すればするほど、視点が狭くなってしまうもの。一つのことに集中するのは、これはこれで大切ですが、同時に一歩引いてみる余裕もまた大切なのではと思いました。

■解決できるかどうか→実行可能か→解決したらどれだけ効果があるか
問題を設定する際に、考えるポイントです。これが問題だろうと当たりをつけても、そもそも解決できない可能性があります。その理由は資金や人手が足りなかったり、技術的に不可能なこともあります。だとすると、現実的には異なる問題設定をするべきと筆者は言います。一方で、解決策を見いだせても、実行不可能なものは机上の空論であり、また実行できたとしてもその効果が小さければ、問題設定としては適切ではないと説きます。

■2つ上のポジションに就いているつもりで仕事をする
2つ上とは、例えば自分が平社員なら係長ではなく部長、自分が取締役であれば常務でなく社長の立場で物事を考えるというものです。というのは、1つ上だけでは、まだ自分のことと関係づけてしまいますが、2つ上だと今の利害を引きずりすぎることなく、より高い視点で物事が見られるからです。



論点思考


$つばさのブログ-論点思考

クリティカルワークで検索

今みなさまにはこの記事を読んでいただいているわけですが、実はこれと同じものをmixiとGREEでも公開しています。つまり、記事の更新を3回やっていることになります。

なぜそんなことをするのか。その理由を一言で表現すると、「リスク分散のため」ということになります。

もともとはmixiだけでの更新だったのですが、いつだったか、ふとこんなことを思ったことがありました。「もしmixiがつぶれたら、これまで更新した内容はどうなるのか。Web上から跡形もなく消えてしまうのではないか」と。そこでせっかく書いたものがなくなるのを防ぐにはどうすればよいかを考え、当時出した結論が冒頭で書いたことを行なうというものでした。単純な発想ですが、mixi・GREE・外部ブログの3つともがつぶれることはまずないので、3つそれぞれで更新しておけば、自分の記事がなくなってしまうことはない、というものです。(ちなみに当初は外部ブログも2つでしたが、さすがに面倒だったので今は1つです)



そんなわけで外部ブログも、人造人間セルのためにその後の悟空の戦いを小型虫型ロボットでデータを送っていたかのごとく、密かに更新し続けていました。

ブログには便利な機能がいくつかあって、その1つにどんな検索ワードで自分のブログにたどり着いたかというものがあります。何気に見ていると、「クリティカルワーク」という検索が上位にありました。ためしに自分でもGoogleで検索してみると、なんとなんと、検索結果のトップに上がってくるのです(2010年2月末現在)。

しょうもないことですが、「Google”クリティカルワーク”検索市場」でナンバー1になったわけです。自分のブログが検索結果のトップに来るというのは思いのほかうれしいものです。(もし興味のある方は、「クリティカルワーク」でググってみてください)



ところで、クリティカルワークという言葉自体は一般的なものではないように思いますが、「クリティカル・ワーカーの仕事力」という本には、次のように書かれています。
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クリティカル・ワーカーは、前例のない仕事に挑戦し、根本的な問題解決や画期的な生産性を実現させる、いわば自ら新しい価値を創造する突出した個人だ。(表紙裏より引用)
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明日から3月ということもあり、来年度のことも現実的に考えながらの仕事になります。個人的には、中国で0から1を生み出す事業。来年度は海外展開も視野に入れていきたいです。



あとがき
外部ブログはもともとアーカイブ用だったのでブログタイトルはなんの工夫もしていないのですが、最近、あまりにそのセンスがないことにちょっと悩み中です。


クリティカルワーカーの仕事力

あえて国母選手を応援したい

「収まらぬ服装問題余波」と書かれていました。オリンピックスノーボード代表の国母選手についての記事です。JOC(日本オリンピック委員会)、SAJ(全日本スキー連盟)ばかりか在籍する東海大にも抗議や批判が殺到したそうです。一時はSAJが国母選手に出場辞退を申し出るにまで至りました。(その後、橋本聖子団長が出場を容認)



この件で問題だと思うのは2つ。SAJによる出場辞退要請と国母選手についての過熱報道です。

国母選手への批判をあらためて整理してみると、公式服装を着崩していた「見た目」、会見での「態度」と「言葉遣い」に集約できます。確かに、実際に会見の映像をニュースで見ましたが、好ましく思わない気持は理解できます。ですが、この構図は自分の考え方や価値観と異なるものについての嫌悪感であり、「嫌いである」という感情がベースになっています。よって、この件に関しては、他人である我々は国母選手に対して自分は「好き」か「嫌い」か(あるいは価値観に合うかどうか)という議論だけで、あとは国母選手自身が今後自分の態度や言葉遣いをどうするかどうか、これだけのことだと思います。

理解できないのは、SAJによる出場辞退要請です。もし、国母選手が例えば記者に暴力をふるったりだとか、禁止薬物を使用していた場合、仮にこのような事態になれば当然、出場辞退を強いることは正しいと思います。なぜなら、前者は法に触れており、後者も禁止されているものであり、薬物を使ってでも勝ちたいというフェア精神にも反するからです。つまり、ルールに違反している場合です。また、同じ理由から各種報道についても、取り上げ過ぎな感があります。

しかし、見た目や態度等で自分が気に入らないからと言って、出場辞退という処分はあってはならないと思います。その意味で、橋本団長の出場させるという決定は立派(というか当然)だと思います。



母校の東海大が応援会を中止するようですが、こういう状況だからこそ母校くらいは応援してあげてもいいのではと感じます。

なので、あえて国母選手にはこう言って応援したいです。「服装だけでなくスノーボードでも自分を表現し、思う存分ハーフパイプを楽しんでこい」と。