感情もクラウドに置かれるようになる
■まとめ
今回の記事のまとめです。
・ クラウドについて (文化的考察と自分のクラウド区分)
・ これからのクラウドは、「感情」もネットワーク上に置いておくようになるのではないか
・ 今後はどこが「感情のクラウド」をプラットフォーム化するか
■クラウドの文化的考察
isologe(イソログ)というブログで、「なぜ『クラウド』か?の文化的考察+スキャナの効用第二弾」と題する記事がエントリーされていました。タイトルにもあるクラウドの文化的考察は、以下のような内容が書かれていておもしろかったです。
・ 著者は「クラウド」という表現に違和感を持っていた
・ なぜなら、雲などと「こんなモヤモヤした得体の知れないところに重要なデータを保存するのは、気持ち悪い以外の何物でもない」から
・ 新約聖書に、「富は天に積みなさい。そこでは虫が食うことも、さび付くこともなく、盗まれることもない」という旨の記述がある
・ (キリスト教文化である)欧米人には「クラウド≒天」という図式があり、「クラウドこそ財産を蓄える場所だ」という感覚があるのではないか
日本語には「雲隠れ」という言葉があるように、日本人の雲について「いつか消えてなくなるもの」という意識があるような気がしますが、欧米人のそれとは大きく異なるのかもしれません。
※クラウドコンピューティング
ネットワーク、特にインターネットをベースとしたコンピュータの利用形態である。ユーザーはコンピュータ処理をネットワーク経由で、サービスとして利用する。(Wikipediaより)
■クラウド区分
とは言いつつも、クラウドの各種サービスを使いだすととても便利だと感じます。自宅のPCと会社のPC、そしてiPhoneがクラウド上で同期することで、いろんな情報が1つに集約できます。イメージとしては、iPhoneが自宅と会社のPCのハブの役目を果たしており、この仕組みは非常にありがたいものです。
自分が活用している情報について、クラウドとしてどのような使い方をしているのかをちょっと整理してみました(図1)。クラウドの区分というよりは、自分が利用しているネットワークの区分というイメージです。切り口は以下の2軸で切っています。
・ 公共情報(仕事含む) or プライベート情報
・ ソーシャル(共有)ユース or パーソナルユース

右下の象限に仕事の情報とありますが、これは現在使用していません。理由は、社外秘情報もあるため社内に保管するにとどめていることと、クラウドに置いておく必要性がそこまで高くないためです。
■クラウド化できたらいいもの
現状、自分のクラウド区分は上図のイメージですが、身の回りを考えてみるとクラウド化できたらいいのにと思うもの・情報が多数あることに気づきます。主な例として次のようなものがありました。
・ 本、雑誌、新聞記事
・ 各種説明書、契約書、保証書
・ 思い出映像(出演したストリートダンスのショーとか)、CD
あえて上記のものをまとめて表現すると、
(1) 普段は使わないが、イザという時に必要になるもの
(2) 現状は必要になっても見つかるまで時間かかる
の2点で換言できそうです。
特に(2)については、Googleなどの便利な検索技術がある一方で、自分の身の回りの「検索」方法が手当たり次第に探すだけというのは、時に悲しいくらいのアナログな方法です。
なお、契約書等をクラウド上に保管するのはリスクもあるかもしれませんが、自宅での保管にも一定程度にリスクはあるわけで、トータルで考えて個人的にはクラウド上で一括管理ができたらいいなと思っています。
■今後のクラウド
ミック経済研究所の調査によると、2009年度のクラウドコンピューティング市場規模は1941億円(対前年度比138.4%)、今後は年平均29.4%で成長し、2014年度には6570億円の市場規模になる見通しだそうです。
では、今後のクラウドはどのように発展するのでしょうか?1つの方向性として、個人の「感情」がネットワーク上に置かれるようになるのではないかと思っています。
最近、mixiが「mixiフォト」を開始したようです。詳細は確認していないのですが、写真単位で「イイネ!」がつけられるとのことです。この「イイネ!」はmixiのボイスにもある機能です。Facebookには"Like"ボタンがあります。mixiの「イイネ!」はあくまでmixi内でのクローズドですが、FacebookのLikeボタンはあらゆるページで付けることができます。似たものに「はてなブックマーク」があります。
これらの機能は、「おっ」と思った時にポチっと押して、この「おっ」をそのサイトに付けておくものです。すなわち、自分の感情をネットワーク上に置いておくということではないでしょうか。今までは自分の感情を置いておくには例えばブログならコメント欄に記入しましたが、自分の気持ちを文章化してコメントをつけるというのは結構面倒なこともあり、その点"Like"ボタンは気軽にクリックするだけです。
さらに"Like"ボタンはFacebook上で公開されるので、どの人がどのページで付けたのかがわかります。つまり感情をネットワーク上で共有できるのです。
この方向性は結構おもしろいと思っています。例えば、今は「イイネ!」だったり"Like"だったりと感情の種類は1つしかありませんが、これが喜怒哀楽の4つになったら、そのサイトや動画などへのまわりの反応がもっとわかるのではないでしょうか。
そうなると、今後は感情のクラウドをどこがプラットフォーム化するかに興味があります。mixiはmixiという閉じた世界ではプラットフォーム化ができていますが、あらゆるサイトとなると現時点ではFacebookが一歩抜きんでた存在のような気がします。
感情をクラウド上に置くことで「雲隠れ」してしまうのか、あるいは「さび付かない天」に置けるのか。今後の動きに注目しています。
※参考情報
isologe(イソログ):「なぜ『クラウド』か?の文化的考察+スキャナの効用第二弾」
http://www.tez.com/blog/archives/001637.html
クラウドコンピューティング(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/
クラウドコンピューティング市場規模
http://journal.mycom.co.jp/news/2010/03/09/033/index.html
今回の記事のまとめです。
・ クラウドについて (文化的考察と自分のクラウド区分)
・ これからのクラウドは、「感情」もネットワーク上に置いておくようになるのではないか
・ 今後はどこが「感情のクラウド」をプラットフォーム化するか
■クラウドの文化的考察
isologe(イソログ)というブログで、「なぜ『クラウド』か?の文化的考察+スキャナの効用第二弾」と題する記事がエントリーされていました。タイトルにもあるクラウドの文化的考察は、以下のような内容が書かれていておもしろかったです。
・ 著者は「クラウド」という表現に違和感を持っていた
・ なぜなら、雲などと「こんなモヤモヤした得体の知れないところに重要なデータを保存するのは、気持ち悪い以外の何物でもない」から
・ 新約聖書に、「富は天に積みなさい。そこでは虫が食うことも、さび付くこともなく、盗まれることもない」という旨の記述がある
・ (キリスト教文化である)欧米人には「クラウド≒天」という図式があり、「クラウドこそ財産を蓄える場所だ」という感覚があるのではないか
日本語には「雲隠れ」という言葉があるように、日本人の雲について「いつか消えてなくなるもの」という意識があるような気がしますが、欧米人のそれとは大きく異なるのかもしれません。
※クラウドコンピューティング
ネットワーク、特にインターネットをベースとしたコンピュータの利用形態である。ユーザーはコンピュータ処理をネットワーク経由で、サービスとして利用する。(Wikipediaより)
■クラウド区分
とは言いつつも、クラウドの各種サービスを使いだすととても便利だと感じます。自宅のPCと会社のPC、そしてiPhoneがクラウド上で同期することで、いろんな情報が1つに集約できます。イメージとしては、iPhoneが自宅と会社のPCのハブの役目を果たしており、この仕組みは非常にありがたいものです。
自分が活用している情報について、クラウドとしてどのような使い方をしているのかをちょっと整理してみました(図1)。クラウドの区分というよりは、自分が利用しているネットワークの区分というイメージです。切り口は以下の2軸で切っています。
・ 公共情報(仕事含む) or プライベート情報
・ ソーシャル(共有)ユース or パーソナルユース

右下の象限に仕事の情報とありますが、これは現在使用していません。理由は、社外秘情報もあるため社内に保管するにとどめていることと、クラウドに置いておく必要性がそこまで高くないためです。
■クラウド化できたらいいもの
現状、自分のクラウド区分は上図のイメージですが、身の回りを考えてみるとクラウド化できたらいいのにと思うもの・情報が多数あることに気づきます。主な例として次のようなものがありました。
・ 本、雑誌、新聞記事
・ 各種説明書、契約書、保証書
・ 思い出映像(出演したストリートダンスのショーとか)、CD
あえて上記のものをまとめて表現すると、
(1) 普段は使わないが、イザという時に必要になるもの
(2) 現状は必要になっても見つかるまで時間かかる
の2点で換言できそうです。
特に(2)については、Googleなどの便利な検索技術がある一方で、自分の身の回りの「検索」方法が手当たり次第に探すだけというのは、時に悲しいくらいのアナログな方法です。
なお、契約書等をクラウド上に保管するのはリスクもあるかもしれませんが、自宅での保管にも一定程度にリスクはあるわけで、トータルで考えて個人的にはクラウド上で一括管理ができたらいいなと思っています。
■今後のクラウド
ミック経済研究所の調査によると、2009年度のクラウドコンピューティング市場規模は1941億円(対前年度比138.4%)、今後は年平均29.4%で成長し、2014年度には6570億円の市場規模になる見通しだそうです。
では、今後のクラウドはどのように発展するのでしょうか?1つの方向性として、個人の「感情」がネットワーク上に置かれるようになるのではないかと思っています。
最近、mixiが「mixiフォト」を開始したようです。詳細は確認していないのですが、写真単位で「イイネ!」がつけられるとのことです。この「イイネ!」はmixiのボイスにもある機能です。Facebookには"Like"ボタンがあります。mixiの「イイネ!」はあくまでmixi内でのクローズドですが、FacebookのLikeボタンはあらゆるページで付けることができます。似たものに「はてなブックマーク」があります。
これらの機能は、「おっ」と思った時にポチっと押して、この「おっ」をそのサイトに付けておくものです。すなわち、自分の感情をネットワーク上に置いておくということではないでしょうか。今までは自分の感情を置いておくには例えばブログならコメント欄に記入しましたが、自分の気持ちを文章化してコメントをつけるというのは結構面倒なこともあり、その点"Like"ボタンは気軽にクリックするだけです。
さらに"Like"ボタンはFacebook上で公開されるので、どの人がどのページで付けたのかがわかります。つまり感情をネットワーク上で共有できるのです。
この方向性は結構おもしろいと思っています。例えば、今は「イイネ!」だったり"Like"だったりと感情の種類は1つしかありませんが、これが喜怒哀楽の4つになったら、そのサイトや動画などへのまわりの反応がもっとわかるのではないでしょうか。
そうなると、今後は感情のクラウドをどこがプラットフォーム化するかに興味があります。mixiはmixiという閉じた世界ではプラットフォーム化ができていますが、あらゆるサイトとなると現時点ではFacebookが一歩抜きんでた存在のような気がします。
感情をクラウド上に置くことで「雲隠れ」してしまうのか、あるいは「さび付かない天」に置けるのか。今後の動きに注目しています。
※参考情報
isologe(イソログ):「なぜ『クラウド』か?の文化的考察+スキャナの効用第二弾」
http://www.tez.com/blog/archives/001637.html
クラウドコンピューティング(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/
クラウドコンピューティング市場規模
http://journal.mycom.co.jp/news/2010/03/09/033/index.html
あらゆるコンテンツがフラット化する
■まとめ
今回のエントリーのまとめです。
・ マラドーナやペレのプレーを見て、その試合があたかも今やっているものかと思った
・ 「電子書籍の衝撃」で書かれたフラット化をなんとなく実感した
・ Google TVやiPadなどにより、あらゆるコンテンツがフラット化する環境ができつつある
■マラドーナとペレ
先日、NHKのBSで1986年のサッカーW杯のアルゼンチン対イングランド(準々決勝)、1970年のブラジル対イタリア(決勝)の試合を見ました。
前者はマラドーナの「神の手」ゴールと「5人抜きドリブル」でアルゼンチンが、後者はペレの先制ゴールなどでブラジルが勝利した試合です。ちなみに、この放送は「FIFAワールドカップ 記憶に残る名勝負」というNHKの企画で、過去のW杯の中から名勝負をピックアップしハイライトではなくその試合を始めから試合終了までを放送したものです。
■「電子書籍の衝撃」で書かれたフラット化
W杯の記憶に残る名勝負とだけあっておもしろかったです。特にマラドーナの5人抜きはそのシーンだけなら何度も見たことがあったのですが、試合全体の流れの中で見たのは初めてでした。で、見ていてふと思ったのが、過去の試合ではなくあたかも今現在どこかでやっている試合のような気がしたことです。
「電子書籍の衝撃」(佐々木俊尚 ディスカバー)には、以下のような記述がありました。
---------------------------------------------------------------------------
1960年代の古いロックからゼロ年代の新しいポップミュージックまでが同じ地平線の上に見えていて、その並び順は「自分が気持ちよいと感じるかどうか」「友人が『この曲凄いよ』と紹介してくれた」といった文脈の中に存在しています。(中略)
つまりここで起きているのは、(中略) 「いつでも自分の好きな音楽を好きなように聴く」という方向へとアンビエント化が進んでいるということなのです。(p.50-51から引用)
---------------------------------------------------------------------------
まさにこれと同じことを、W杯の試合映像でそう思ったのです。
■あらゆるコンテンツでのフラット化
テレビは地デジなどによるデジタルのコンテンツが主流になりました。本や雑誌についても、最近話題の電子書籍というデジタル化が進んでいくのでしょう。(テレビのアナログ放送とは違い、紙の本が今後もなくなることはないと思いますが)
このように、いろんなものでデジタル化が実現されています。主なものを整理すると、下表のようになります。(表1)

「電子書籍の衝撃」の著者である佐々木俊尚氏は、前述の引用部分の状況について、「古い音も新しい音も、フラットに聞こえている」と表現しています。これと同じように、上記の音楽以外のコンテンツでも私たちのまわりにフラットに、すなわち同列に並ぶようなっていくと思います。ちなみに、「古いW杯も新しいW杯も、フラットに見える」と感じたのが、前述のW杯の放送でした。(もちろん、当時の戦い方やルールなどは今とは異なるものもありましたが)
本・雑誌は電子書籍やキンドル・iPadなどの新しい端末の登場により、また音楽はiTunesによりフラットになります。写真についてもデジタル媒体で保存すれば、フォトフレーム等で昔の写真も最近の写真も簡単に同列に並べることができます。テレビ番組も、さらなるオンデマンド化やGoogle TVなどのネットテレビの登場により、昔の良質な番組を見たい時にいつでも見られるようになってほしいです。そういえば、ゲームでは先日Googleのロゴがパックマンになり実際にプレーできる環境が用意されていました。
あらゆるコンテンツがフラット化する環境、見たい時・聞きたい時・遊びたい時に自然と身の回りにあるというアンビエント化。マラドーナやペレの躍動感あるプレー、Google TVのニュース、昨日のiPadの日本での発売状況を見ていると、このような環境がすぐそこまで来ているように思いました。
電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)
今回のエントリーのまとめです。
・ マラドーナやペレのプレーを見て、その試合があたかも今やっているものかと思った
・ 「電子書籍の衝撃」で書かれたフラット化をなんとなく実感した
・ Google TVやiPadなどにより、あらゆるコンテンツがフラット化する環境ができつつある
■マラドーナとペレ
先日、NHKのBSで1986年のサッカーW杯のアルゼンチン対イングランド(準々決勝)、1970年のブラジル対イタリア(決勝)の試合を見ました。
前者はマラドーナの「神の手」ゴールと「5人抜きドリブル」でアルゼンチンが、後者はペレの先制ゴールなどでブラジルが勝利した試合です。ちなみに、この放送は「FIFAワールドカップ 記憶に残る名勝負」というNHKの企画で、過去のW杯の中から名勝負をピックアップしハイライトではなくその試合を始めから試合終了までを放送したものです。
■「電子書籍の衝撃」で書かれたフラット化
W杯の記憶に残る名勝負とだけあっておもしろかったです。特にマラドーナの5人抜きはそのシーンだけなら何度も見たことがあったのですが、試合全体の流れの中で見たのは初めてでした。で、見ていてふと思ったのが、過去の試合ではなくあたかも今現在どこかでやっている試合のような気がしたことです。
「電子書籍の衝撃」(佐々木俊尚 ディスカバー)には、以下のような記述がありました。
---------------------------------------------------------------------------
1960年代の古いロックからゼロ年代の新しいポップミュージックまでが同じ地平線の上に見えていて、その並び順は「自分が気持ちよいと感じるかどうか」「友人が『この曲凄いよ』と紹介してくれた」といった文脈の中に存在しています。(中略)
つまりここで起きているのは、(中略) 「いつでも自分の好きな音楽を好きなように聴く」という方向へとアンビエント化が進んでいるということなのです。(p.50-51から引用)
---------------------------------------------------------------------------
まさにこれと同じことを、W杯の試合映像でそう思ったのです。
■あらゆるコンテンツでのフラット化
テレビは地デジなどによるデジタルのコンテンツが主流になりました。本や雑誌についても、最近話題の電子書籍というデジタル化が進んでいくのでしょう。(テレビのアナログ放送とは違い、紙の本が今後もなくなることはないと思いますが)
このように、いろんなものでデジタル化が実現されています。主なものを整理すると、下表のようになります。(表1)

「電子書籍の衝撃」の著者である佐々木俊尚氏は、前述の引用部分の状況について、「古い音も新しい音も、フラットに聞こえている」と表現しています。これと同じように、上記の音楽以外のコンテンツでも私たちのまわりにフラットに、すなわち同列に並ぶようなっていくと思います。ちなみに、「古いW杯も新しいW杯も、フラットに見える」と感じたのが、前述のW杯の放送でした。(もちろん、当時の戦い方やルールなどは今とは異なるものもありましたが)
本・雑誌は電子書籍やキンドル・iPadなどの新しい端末の登場により、また音楽はiTunesによりフラットになります。写真についてもデジタル媒体で保存すれば、フォトフレーム等で昔の写真も最近の写真も簡単に同列に並べることができます。テレビ番組も、さらなるオンデマンド化やGoogle TVなどのネットテレビの登場により、昔の良質な番組を見たい時にいつでも見られるようになってほしいです。そういえば、ゲームでは先日Googleのロゴがパックマンになり実際にプレーできる環境が用意されていました。
あらゆるコンテンツがフラット化する環境、見たい時・聞きたい時・遊びたい時に自然と身の回りにあるというアンビエント化。マラドーナやペレの躍動感あるプレー、Google TVのニュース、昨日のiPadの日本での発売状況を見ていると、このような環境がすぐそこまで来ているように思いました。
電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)
インターネットが死語になる日
■まとめ
今回の記事内容は以下の3点です。
・ これからはあらゆるものがネットと接続する
・ ネット接続が当たり前になると、単に「コンテンツを利用している」という感覚しか持たなくなる
・ そうなると、私たちはネットにつながっている状態を全く意識しなくなるのではないか
■メディア接触時間
1年くらい前に発表されたデータですが、博報堂DYメディアパートナーズが生活者のメディア接触の現状を分析する「メディア定点調査2009」を発表しました(09年6月)。その中に、東京地区でのマス4媒体からインターネットまでを合わせた、1日のメディア接触総時間(1週間平均)の調査結果があります。(図1)

09年の1日のメディア接触時間トータルは323.9分と約5時間半。うちテレビは163.5分とその半分を占めています。PCや携帯は増加しておりますが、まだまだテレビには及びません。(ただし、年代別に見ると20代男性ではPCがテレビよりも多くなっている)
なお、この調査は郵送にて実施されています。対象者は東京都・大阪府・高知県の1919人。うち東京都のサンプルサイズはどれだけかは明記されていませんでしたが、おそらく1000人未満くらいからの調査結果であると思います。
■情報通信は家電で増える
5月13日の夜、ソフトバンクの孫社長とジャーナリストの佐々木俊尚氏が、5時間にわたり「光の道」対談を行ないました。その様子はユーストリームやニコニコ動画から配信され、ネット上では大きな反響を呼びました。この対談では、孫社長が「光の道実現に向けて」という主題でプレゼンをするところから始まりました。
このプレゼン資料の中で、これからの情報通信量は情報家電において増えていくという話がありました。(図2) これは、孫さんが主張する「全世帯に光通信を通す」という「光の道」構想の前提となっているものです。

冒頭でのマス4媒体+PC+携帯における接触時間を取り上げましたが、調査ではこのうちネットに接続しているのはPCと携帯としています。ただ、マス4媒体についてもネットへの接続が実現されつつあります。
・ テレビ: Google TV
・ ラジオ: radiko.jp
・ 新聞: 日経電子版
・ 雑誌: iPad
■インターネットが死語になる日
今後はもっとたくさんのものがネットにつながるはずです。グーグルはアンドロイドOSを無償公開していますが、OSとブラウザを家電などに組み込むことは技術的にはそれほど難しくないのではないかというのが個人的な印象です。例えば、冷蔵庫やキッチン、お風呂やトイレなど、家の中のあらゆるものがネットにつながるようになるのではないでしょうか。
ここまで考えていて、ふと思ったのは、いろんなものがネットに接続されるようになると、もはや私たちはネットにつながっている状態をほとんど意識することなく利用するのでないかということです。
これまではネットを使う場合は、パソコンを起動しネットブラウザを立ち上げるというステップがいりました。しかし、最近iPhoneを使うようになって感じるのは、ネットへの接続が簡単になればなるほど、ネットを使うというよりも、ただ記事を読んだり動画を見たりという「コンテンツ」を利用しているという感覚しか持たなくなるということです。将来、この状態が他のあらゆる家電でも起こるようになると、ますますネットを使うという感覚が薄れるのではないでしょうか。
自分にとって、インターネットはなくてはならないものです。ただ、ネットにつながるという状況が当たり前になればなるほど、その存在自体を意識しなくなります。もしかしたら、「インターネット」という言葉が死語になってしまう日はそう遠くないのかもしれません。
※参考情報
博報堂DYメディアパートナーズ「メディア定点調査2009」
http://www.hakuhodody-media.co.jp/newsrelease/2009/HDYnews090623.pdf
ソフトバンク「光の道実現に向けて」
http://www.softbank.co.jp/ja/irinfo/shared/data/announce/20100513_02.pdf
光の道 テキスト中継ログ
http://www.tarosite.net/blogging/-hikari-road.html
radiko.jp
http://radiko.jp/
今回の記事内容は以下の3点です。
・ これからはあらゆるものがネットと接続する
・ ネット接続が当たり前になると、単に「コンテンツを利用している」という感覚しか持たなくなる
・ そうなると、私たちはネットにつながっている状態を全く意識しなくなるのではないか
■メディア接触時間
1年くらい前に発表されたデータですが、博報堂DYメディアパートナーズが生活者のメディア接触の現状を分析する「メディア定点調査2009」を発表しました(09年6月)。その中に、東京地区でのマス4媒体からインターネットまでを合わせた、1日のメディア接触総時間(1週間平均)の調査結果があります。(図1)

09年の1日のメディア接触時間トータルは323.9分と約5時間半。うちテレビは163.5分とその半分を占めています。PCや携帯は増加しておりますが、まだまだテレビには及びません。(ただし、年代別に見ると20代男性ではPCがテレビよりも多くなっている)
なお、この調査は郵送にて実施されています。対象者は東京都・大阪府・高知県の1919人。うち東京都のサンプルサイズはどれだけかは明記されていませんでしたが、おそらく1000人未満くらいからの調査結果であると思います。
■情報通信は家電で増える
5月13日の夜、ソフトバンクの孫社長とジャーナリストの佐々木俊尚氏が、5時間にわたり「光の道」対談を行ないました。その様子はユーストリームやニコニコ動画から配信され、ネット上では大きな反響を呼びました。この対談では、孫社長が「光の道実現に向けて」という主題でプレゼンをするところから始まりました。
このプレゼン資料の中で、これからの情報通信量は情報家電において増えていくという話がありました。(図2) これは、孫さんが主張する「全世帯に光通信を通す」という「光の道」構想の前提となっているものです。

冒頭でのマス4媒体+PC+携帯における接触時間を取り上げましたが、調査ではこのうちネットに接続しているのはPCと携帯としています。ただ、マス4媒体についてもネットへの接続が実現されつつあります。
・ テレビ: Google TV
・ ラジオ: radiko.jp
・ 新聞: 日経電子版
・ 雑誌: iPad
■インターネットが死語になる日
今後はもっとたくさんのものがネットにつながるはずです。グーグルはアンドロイドOSを無償公開していますが、OSとブラウザを家電などに組み込むことは技術的にはそれほど難しくないのではないかというのが個人的な印象です。例えば、冷蔵庫やキッチン、お風呂やトイレなど、家の中のあらゆるものがネットにつながるようになるのではないでしょうか。
ここまで考えていて、ふと思ったのは、いろんなものがネットに接続されるようになると、もはや私たちはネットにつながっている状態をほとんど意識することなく利用するのでないかということです。
これまではネットを使う場合は、パソコンを起動しネットブラウザを立ち上げるというステップがいりました。しかし、最近iPhoneを使うようになって感じるのは、ネットへの接続が簡単になればなるほど、ネットを使うというよりも、ただ記事を読んだり動画を見たりという「コンテンツ」を利用しているという感覚しか持たなくなるということです。将来、この状態が他のあらゆる家電でも起こるようになると、ますますネットを使うという感覚が薄れるのではないでしょうか。
自分にとって、インターネットはなくてはならないものです。ただ、ネットにつながるという状況が当たり前になればなるほど、その存在自体を意識しなくなります。もしかしたら、「インターネット」という言葉が死語になってしまう日はそう遠くないのかもしれません。
※参考情報
博報堂DYメディアパートナーズ「メディア定点調査2009」
http://www.hakuhodody-media.co.jp/newsrelease/2009/HDYnews090623.pdf
ソフトバンク「光の道実現に向けて」
http://www.softbank.co.jp/ja/irinfo/shared/data/announce/20100513_02.pdf
光の道 テキスト中継ログ
http://www.tarosite.net/blogging/-hikari-road.html
radiko.jp
http://radiko.jp/