――パルス型消費、スラッジ包囲網、そして猶予期間の終わりに
1.購買プロセスの変遷 ― ジャーニーからパルスへの断絶
日本の消費社会における購買決定モデルは、マスメディア全盛期のAIDMA [1]に始まり、インターネットの普及に伴う能動的な検索・比較を前提としたAISAS [2]やAISCEAS [3]へと進化を遂げてきた。
[1] AIDMA(アイドマ): 1920年代にアメリカの広告学者サミュエル・ローランド・ホールが提唱した、マスメディア時代の古典的な購買決定モデル。消費者の心理プロセスを、Attention(注目)→ Interest(関心)→ Desire(欲求)→ Memory(記憶)→ Action(行動)の5段階で捉える。売り手からの情報を受動的に受け取ることを前提としている。
[2] AISAS(アイサス): 2000年代に電通が提唱した、インターネット普及期における購買決定モデル。Attention(注目)→ Interest(関心)→ Search(検索)→ Action(行動)→ Share(共有)からなる。消費者が自らネットで情報を「検索」し、購入後にSNSなどで「共有」するという能動的な行動が組み込まれた。
[3] AISCEAS(アイセアス): アンヴィコミュニケーションズ代表の望野和美氏らによって提唱された、AISASを発展させたモデル。Attention(注目)→ Interest(関心)→ Search(検索)→ Comparison(比較)→ Examination(検討)→ Action(行動)→ Share(共有)の7段階。価格比較サイトやレビューサイトの台頭により、購入前に徹底的に「比較・検討」する消費者の慎重な心理を反映している。
しかし、スマートフォンとSNSが生活インフラとして完全に溶け込んだ現代においては、購買へと至る直線的なカスタマージャーニー(顧客の旅)の概念そのものが崩壊しつつある。
その象徴が、スマホやPCの画面上の視覚的情報から直感的に衝動買いを誘発するVISAS [4]の台頭であり、さらにはGoogleが提唱したパルス型消費 [5]への移行である。
[4] VISAS(ヴィサス): SNSの普及に伴い提唱された、タイムライン消費に対応するモデル。View(ソーシャルメディアでの閲覧)→ Interest(関心)→ Search(SNS内やハッシュタグでの検索)→ Action(購買)→ Share(口コミとしての共有・拡散)からなる。視覚的な直感と、身近なユーザーの口コミ(共感)が購買の決定打となる。
[5] パルス型消費(パルス消費): 2019年にGoogleが提唱した現代の消費行動理論。スマートフォンを常時利用する消費者が、「買いたい」という衝動(パルス)を覚えた瞬間に、検索や比較検討のステップを一切踏まず、その場で直感的に購入を完了させる行動パターン。従来の「段階的なジャーニー型」に対するカウンターとして注目されている。
現代の消費者は、洪水のように溢れる情報に晒される中で、検索し、比較し、熟考するという面倒な手続きを負荷として極度に嫌う。 購買行動は、旅のように段階を踏むものから、日常の隙間時間に突然買いたいスイッチが入り、その場で一瞬にして決済を完了させる突発的かつ短絡的なイベントへと変貌しているのである。
2.PC忌避が育てた日本の組織風土と旧い購買モデルの延命
本来であれば、こうしたパルス型消費や、実店舗をネット通販の無料カタログ代わりに使うショールーミング [6]の一般化は、百貨店や街の本屋といった既存の物理空間ビジネスを瞬時に絶滅させるはずの劇薬であった。
[6] ショールーミング: 実店舗で実際の商品を手に取り、サイズ感や質感、機能などを確認したうえで、その場では購入せず、より安価なECサイト(ネット通販)で購入する消費行動のこと。実店舗がオンライン販売のための単なる「ショールーム(展示場)」として利用されてしまう現象を指す。
しかし、これらが現在も日本国内で辛うじて持ちこたえている背景には、1980年代のオフィスPC黎明期にまで遡る、歪んだ組織風土と人口動態の因果関係が存在する。
1980年代初頭、オフィスにワープロ専用機や表計算ソフト(Lotus 1-2-3など)が導入された際、日本企業の従業員には「下手にPCが扱えると便利屋として使い潰される」「機械相手のシステム部門に幽閉され、出世コースから外れる」という恐怖感が存在した。
当時の日本型組織におけるエリートのキャリアの王道は、社内政治、根回し、対面交渉、そして汎用的なマネジメント能力であり、キーボードを叩くスキルは事務職や下請けの領分として一段低く見られていた。
要領の良い人間ほどPCをわからないフリをして遠ざけることが、20世紀末の正しいサラリーマンの生存戦略だったのである。
このIT音痴であることを大物の証として誇る組織風土は、21世紀に入っても根強く生き続けた。
その結果、デジタル変革(DX)のリーダーシップを執るべき経営中枢にメールすら自分では打てない役員が居座り続けるという、日本の慢性的なIT遅滞を招くことになった。
そして皮肉にも、この昭和から平成初期の歪んだ生存戦略を勝ち抜き、現在もっとも経済的余裕(退職金や厚い年金)を保有しているシニア層こそが、当時のPC忌避層そのものである。
彼らはデジタルを通じた検索・比較(AISCEAS)を認知的負荷として心底嫌悪し、外商との人間関係や実店舗の棚といった「対面の信頼と手触り」の世界から抜け出せない。
つまり、現代の日本において朽ち果てるはずの旧い購買モデル(AIDMA型)や既存の小売業は、かつて意図的にITリテラシーを低く保つことで成功した層の圧倒的な購買力によって、逆説的に守られ、奇跡的な下支えと延命の機会を得ているのだ。
現在の実店舗ビジネスは、この歴史的なリテラシー格差がもたらした猶予期間のバブルを生きているにすぎない。
3.行動経済学由来のスラッジとそれを支える脳の疲弊
一方、逃げ出す隙もなくデジタル社会に捕まった現代の現役世代やIT技術者は、かつての世代が放棄したデジタルのツケを命がけで支払わされている。
企業側は、消費者が熟考を嫌うという認知特性(直感・ファスト思考)の隙を突き、行動経済学の知見を悪用したスラッジ [7]やダークパターン [8]をマーケティング技法に滑り込ませている。
[7] スラッジ(Sludge): 行動経済学者のリチャード・セイラーとキャス・サンスティーンが提唱した概念。人間が合理的な行動をとるのを妨げる「摩擦」や「泥沼のような煩雑さ」を指す。望ましい行動を後押しする「ナッジ(Nudge)」の対義語であり、解約手続きを意図的に複雑化するなど、企業や組織の利益のために消費者の行動を阻害・誘導する仕掛けとして悪用されるケースが問題視されている。
[8] ダークパターン(Dark Patterns): 2010年にUXデザイナーのハリー・ブリグナルが提唱した用語。WebサイトやアプリのUI(ユーザーインターフェース)を巧妙に設計することで、ユーザーを騙したり心理的に誘導したりして、本来意図していない購入や有料プランへの登録、個人情報の提供などを引き出す悪質なデザイン手法の総称。
黙っていてはモノもコトも容易には売れない時代ゆえ、良心的な企業であってもスラッジに手を染める傾向は否めない。 ましてや、そんなことはどうでもよく、とにかく売上を志向する企業においてをやである。
偽の希少性で焦燥感を煽るカウントダウン、ワンタップ決済による支払いの痛みの消去、入会は一瞬なのに解約ページは迷宮のように深くする罠などがその典型である。
消費取引におけるデフォルト設定は消費者ではなく企業側の最適パターンに調整され、事実上、現代の消費者はスラッジ包囲網の中で消費行動を規定されている。
この一瞬で完了する快適な消費の罠を裏側で実装し、保守しているのが、システムエンジニア(SE)やゲームクリエイターたちである。
昨今のアニメの異世界転生モノにおいて、デスマーチ [9]による過労死が転生前の冒頭における定番のプロットとなっている現象は、彼らが組織の歯車として奴隷のように使い潰されている現実のルポルタージュに他ならない。
[9] デスマーチ(Death March): もとは「死の行進」を意味する軍事用語だが、IT業界においては、無謀な納期や非現実的な予算・人員計画のもとで強行されるソフトウェア開発プロジェクトを指すスラング。エンジニアに長時間労働や休日出勤、不眠不休の対応が強いられ、心身の健康を損なう過酷な労働環境を表す言葉として定着している。
さらに深刻なのは、深夜労働や終わりのないバグ修正、無理な納期の逼迫によって不眠不休に追い込まれたエンジニア自身が、深刻な脳の疲労ゆえに、自らが実装させられているスラッジに対して倫理的・社会的な疑問を差し挟む余裕すら奪われている点である。
思考力を奪われた労働者が、消費者の思考力を奪うシステムを構築させられている――ここに二重の脳の疲弊の連鎖が成立しているのである。
4.日本における規制の鈍感さとタイムラグ ― シニア退場後の未来で間に合うか
この歪んだ構造は、日本が欧米に比べてスラッジやダークパターンへの法規制に決定的に鈍感である理由をも鮮やかに説明する。
EUがデジタルサービス法(DSA) [10]等で先進的な規制を敷き、米国が巨大プラットフォーマーの悪質な導線を提訴するなか、日本政府の腰が重いのは、政治的・社会的な主権を握るシニア層がネット空間に深入りしていないからである。
[10] デジタルサービス法(DSA:Digital Services Act): 2022年にEU(欧州連合)で採択され、2024年2月に全面適用された巨大IT企業やオンラインプラットフォームを規制する法律。違法コンテンツの排除やアルゴリズムの透明性確保に加え、ユーザーの意思決定を歪める「ダークパターン」の使用を明示的に禁止しており、違反企業には巨額の制裁金が科される。
彼らは上述の通り、実店舗や伝統的メディアの圏内に留まっているため、スマホやPC上のスラッジに遭遇する機会自体が少ない。 結果、社会のボリューム層から被害の声が上がらず、稀に起きるトラブルも個人のITリテラシーの低さといった自己責任論に回収され、構造的な悪意への規制論へと発展しないのである。
しかし、これから10年、15年が経過し、このITを拒絶して逃げ切ったシニア層が市場と政治の舞台から退場したとき、日本の空気は一変する。
すべての国民が常時インターネットに接続し、パルス型消費を行う完全デジタルネイティブ世代だけの社会になれば、スラッジの被害は全国民が日常的に搾取されるインフラの欠陥となる。
そのときはじめて、「なぜ欧米ができる規制を、日本政府は野放しにしているのか」という不満の声が怒りとなり、政治の動輪を動かすことになるだろう。
問題は、そのデジタル民主主義の覚醒が地殻変動に間に合うかという点である。
法規制が追いつく前に、AIを用いたさらに巧妙でパーソナルなスラッジ技術が社会に定着し、消費者が抜け出せない依存システムの中に完全に取り込まれてしまっていれば、後から法律を作っても時すでに遅しである。
現代の日本の消費社会は、過去にPCを避けて出世した世代の残り香のような富によって実店舗の崩壊が食い止められ、その一方で、現代のデジタル基盤はPCから逃げられずに使い潰される世代の命を削るデスマーチによって維持されている。
そして、このリテラシー格差が、消費者を守るべき法規制の麻痺という副産物まで生み出している。
この三位一体の歪んだ構造は、人口動態の交代とともに確実に崩壊する。
地面が消失したその後に訪れるのは、持続可能性を喪失したデジタル社会の寒々しい風景かもしれない。 私たちは今、猶予期間の終わりに立っている。